日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

ゴロが死んだ話

 ここのところ食べる餌の量が目に見えて減っていたから、予期はしていた。夕食の後、リビングの隅に置いたケージを覗きに行くと、餌の減りがさらに少なかった。あいかわらず彼は巣の中に入り込んでいて姿を見せない。あまりに変化のない餌箱に、ふと不安を感じて巣をつついて見る。反応はない。白樺チップとケナフ繊維でつくられたドーム型の巣だ。覆っているごく細い繊維をかき分けると、茶色の毛皮が見えた。突いてみるが動きはなかった。こちらの押す力にしたがって、小さな体が揺れた。それがゴロの死だった。

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 そのハムスターを買ったのは、二年前の息子の誕生日だった。テレビで放送されていたアニメの影響だったか、友達の影響だったか、いまでは覚えていないが、誕生日を控えた息子が、ハムスターを飼いたいと言い出したのだった。
 きっと欲しいと言った息子ではなく、自分や妻が面倒を見ることになるのだろうと予感しながら、ペットショップに行った。ゴールデン・ハムスターというもっとも一般的な、薄い茶色のハムスター。大きな展示ケージには、一か月ほど前に生まれた子供だと書いてあった。
 息子と一緒に、歩き回ったりうずくまったりしている数匹をのぞき込む。まだあどけなさを残しているそのねずみたちは、黒い真円の目を持ち、ふわふわの球のような薄茶色の体を持ち、小さなしかし器用に動く手を持っていた。

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 どうやってその一匹を選んだのだったのだろう。元気のよかった一匹だったのか、かわいらしかった一匹だったのか、もう覚えていない。だが、どこかの繁殖の施設で生まれたであろうその数匹のきょうだいのうち、一匹を私の息子が選び出し、そして彼は家にやってきた。彼は「ゴロ」という名をもらい、数匹の͡仔ねずみのうちの一匹から、私たち家族の中の一匹に変わった。

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 ハムスターの寿命は二、三年だという。ゴロの場合、それは二年と三か月だった。二年三か月は、家族の中に入り込むのに十分に長いが、それが一生であると考えれば、あまりに短い。彼の世話をしながら私は、猛スピードで通り過ぎていく生命の時間を、早回しで見続けているように感じていた。
 彼は小さな子供としてやってきた。それはちょうどまさに、私の息子よりも少し小さいか、同じぐらいの感じだった。毛並みはつやつやとして柔らかく、目は大きく、あどけない顔立ちをしている。好奇心が旺盛で、ケージのなかを盛んに走り回っていた。
 そして彼はあっという間に、おとなになった。体つきはがっしりとし、乾燥した木の実をかじる口にも力強さが出てきた。ケージの外に出られることを覚え、扉をかじっては、ここから出せ、散歩をさせろ、と請求した。
 たまに私は、ケージのロックをかけ忘れることがあった。彼にとってそれは深夜の散歩のチャンスだった。床に点々と落ちている白樺チップの木くずが、彼の夜の足跡を示していた。

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 小動物をかわいがる仕方には、それぞれの流儀があるようだった。妻は、ハムスターに触れるのが好きだった。彼女は彼の名を呼びながら扉を開け、取り上げて掌の中に包み、撫でた。
 私は、彼に触れたいとはほとんど思わなかった。彼に餌をやり、彼が餌をかじったり巣へ運んだりし、給水器から水を飲み--金属の円筒形の管を両手でつかみ、かじりつきながら歯音を立てて水を飲むのだ--、トイレで用を足し、ケージ内を歩きまわるのを見ているのが好きだった。
 息子は、やはりろくに世話をしなかったが、私や妻がゴロの世話をしていると近づいてきて、触ったりリビングを散歩をさせたりするのだった。

 ゴロが死んだとき、私はゴロを取り上げなかったが、妻が死んだ彼を掌に乗せた。まだあたたかいみたい、と彼女は言った。死んですぐなのかもね。
 たしかに、手渡されたゴロの体は、まだほんのりとあたたかかった。しかしそれは、巣の下に敷いてあったヒーターの熱が、彼の死んだ体を温め続けていたにすぎなかったかもしれない。妻が横から覗き込みながら、眠ったまま死んじゃったみたいだね、と言う。ゴロは軽かった。横向きに丸くなり、目を閉じている。撫ぜると、体は骨ばっているのがわかり、毛皮の下のやせた骨格が感じられた。生きていた時は、この掌の上を四つの小さな足が踏み、やわらかな茶色の毛が指を撫ぜたのだった。
 あたたかさが急速に薄れつつあるような気がして、私はその前にそれを息子に手渡したいと思った。

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 巣材をかき分けてゴロが死んでいるのを発見したとき、私はそれを十分に予期していたと思う。この一か月ほど、彼の衰えは目立った。不活発になり、ほとんど巣から出てこなくなった。餌を食べる量が減り、水を飲む量も減り、トイレが汚れる度合いも少なくなった。たまに巣穴から出てきて餌場に出て行く彼の毛は、つやを失っており、ぼさぼさと乾いていた。動きは遅くなっており、好奇心も消えていた。以前ならケージの扉が開いているのであれば、必ずそこから降りようと試みた。しかし老いを迎えた彼は、開け放たれたケージの桟に手をかけて下をのぞき込むものの、決して降りようとはしなかった。一度など、巣穴から出てくると、彼は木くずでできたゆるい斜面で転倒し、転がり落ちさえした。壮年を通り過ぎた彼は、急速に老境に入っていた。

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 ハムスターの一生を、たかがねずみの一生を、人間のそれになぞらえることは馬鹿馬鹿しいことだろうか。しかし私は、彼の猛スピードで駆けていく一生を、子供と重ね、自分と重ね、私の父母や義母と重ねずにはいられなかった。彼の二年三か月の一生に付き添いながら、私はヒトの子供のどこまでも伸びていけるような成長の力を再確認し、力強く落ち着いた成年者の完成を感じ、そして衰微していく命のたよりなさを危ぶんだ。

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 私は大病を得た母のことを考えずにはいられないし、衰えが目立ってきた父や義母のことを考えずにはいられない。さらにいうならば、二十数年先に待っているだろう自分の老いのことも。

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 ゴロは、このケージという彼の「世界」を、どのように見ていたのだろうか。ハムスターの目はさほど良くないという。だから彼は、視覚としてその狭さを感じていたことはないかもしれない。だが、音とにおいと体に染みついた行動の履歴とで、そのわずか幅60cm×奥行40cm×高さ30cmほどの「世界」を、彼は熟知していたことだろう。その一生を、たった一人で、その小さな「世界」のなかで過ごすということは、彼にとってどんなことだったのだろう。
 最初にケナフの繊維を巣材として入れてみたときのことだった。彼は一晩かかって、大きな円形の立派な巣を作り上げた。妻と義母と息子はそれを見ながら、繁殖期で家族が欲しいんじゃないかと話し合っていた。繁殖期かどうかはしらないが、生殖は行いたいだろうなと私は思った。
 だが、私はゴロのパートナーを飼うことはしなかった。ハムスターが家で増えていくことは、私には考えられなかった。

 そしてゴロは一人のまま狭い世界で生き、一人で死んだ。

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 私たちは増えすぎたのかもしれない。と、そのハムスターの死体を見ながら私は唐突に思う。
 私たち人間は。
 生殖に興味を失いつつある私たち。老境を迎えてなおさまざまな手段で死期を伸ばし続けている私たち。生理的な不快感の敷居を超えて密集しあって暮らしている私たち。どんどんと下がっていく出生率は、ヒトが種として生き延びていくための当然の「制御」なのではないのか。
 私の住むケージの外では、ウイルスが猛威を振るっている。もしかして新しいウイルスとの「共存」もまた「制御」の一つなのか。
 まさか。
 死んだ彼が私を少し混乱させているだけのことだ。

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 私はゴロを愛していたが、同時に彼に、孤独で過酷な生を強いたのだろう。ネットで調べると、ゴールデン・ハムスターについて、もともと中東地域にいた野生種が数匹持ち出されて、実験用などのために繁殖が行われ、世界中に広がったという説が目に入る。持ち出されたのは1930年のことだったとある。
 ほんとうだろうか。数匹の、おそらくは1家族から広がった、無数の、世界中のゴールデン・ハムスターたち。それがほんとうだとするならば、それもまた人がハムスターのある家族に強いた、過酷な生の管理だというべきだろう。私はその家族の遠い末裔の一匹を、91年後の極東で、ケージに閉じ込めて死なせたというわけだ。

  *
 私たちは明日、ゴロを埋める。ゴロは土に帰っていくだろう。彼はそれをようやく訪れた解放だと考えるだろうか。あるいは別のことを考えるだろうか。

 いや、彼が考えることなどあるまい。ハムスターは単なるハムスターで、何も考えずに死んでいくのだ。ただのハムスターが、一匹、死んだだけである。
 小さな、ゴロが。

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ゴロの墓(息子作)