日比嘉高研究室

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遅すぎる子供と早すぎる大人

息子が遅すぎる

f:id:hibi2007:20190209234613j:plain:right:w200息子は小1になっているのだが、どうにも行動が遅い。着替えも遅い、食べるのも遅い、勉強を始めるのも遅い、遊びをやめるのも遅い。給食はクラスで一番最後に食べ終わり、プールの教室でも一番最後に着替え終わる。

遅くなってしまう理由は色々あるようだけれど、その一つには「時間とタスクの俯瞰能力」の問題があるような気がする。子供なら誰だってそうだ、という特性であるわけだが、今日はそのことについてつらつら無駄話してみる。ひさびさの子育てネタだ。

時間とタスクの俯瞰能力が育っていない

出かける10分前になって、歯も磨いてない、トイレも行ってない、ハンカチも持ってない、それなのに俺はまだ笑いながらパンをかじっている、ということに気づけば、大人は「うわ、やば」となってスイッチが切り替わる。残りの10分間が俯瞰できるからである。

子供は、それがうまくできない。私の息子もタスクのリスト(歯磨き、トイレ、ハンカチ…)はわかってはいるようだが、それと10分間の持ち時間のサイズ感や、10分間の過ごし方のイメージが結べないようである。

5時半から「ゲゲゲの鬼太郎」を見たいなら、あと30分の間に宿題終わった方がいいよね、ということを理解し納得するのだが、物音や机の上の物品にあっという間に関心を持っていかれてしまい、「30分の俯瞰」が「目の前の関心」にいともたやすく打ち倒される。結果、鬼太郎の開始にはやっぱり間に合わないのである。

リュックサックにキーホルダーを付けるな

保育園の時、リュックサックにキーホルダーやらいろいろ付けてはいけない、と園から指示が来た。うるさいなあ、そんなところまで口出ししなくても安全である限りいいじゃないか、と思ったのだが、その理由の説明にそやねぇと納得した。リュックに何かついていると、子供はそっちに関心をもっていかれてしまう。リュックを持って集合、先生のお話を聞きます、というときなどに、目の前に現れたキーホルダーが格好のおもちゃになって、ごそごそと遊び始めて耳がお留守になってしまう、ということだった。

我が子を見ていてよくわかる。目の前の棒きれはすぐに鋭い剣に化け(ヤアっ)、L字型っぽい形状の物品はピストルとなり(バキューンバキューン)、四角いものは車に(ぶいーん)細長い器か円柱は戦艦(波動砲ッ!ドワーン 宇宙戦艦ヤマト絶賛流行中)となる。穴があれば覗き込み、鏡があれば変顔でふざけだし、シモに結びつくネタを目に耳にすれば即座に「おし○、お○ぱい、○ん○ん、う○ち」×nでテンション急上昇↑

大人はそうではない。目の前のなにごとかに関心を持っていかれそうになっても、時間とタスクの俯瞰をすることができるから、やるべきことのトリアージができる。それは、大人が大人になる過程で時間をかけて身につけてきた能力である。

時間がないとき、チンタラいつまでもやっている息子に腹を立てる。早くしろよ。早くやれよ。早く大人になれよ、と。

でも、ふと思う。俯瞰がいつもいいとは限らない。

俯瞰がいらないとき

子供と一緒に、近所の公園に遊びに行った。もう夕方に向かう時間帯だった。寒い日で、風も強く、全然乗り気ではなかった私は、適当に受け流しながら、彼の遊びに付き合っていた。

頭の中では、別のことを考えていた。……あと何分で帰った方がいい。帰ったら遅くなっているおやつを食べさせて、宿題やらせないといけない。鬼太郎の前に、だ。寒いし。体も冷えるし。さっきから鼻水出てるじゃねーか。そういや、あのメール書いてないわ。あ、あれもそろそろリマインドしないとな。……

子供は、全力で遊んでいる。ちょっと前から「石の隠しっこ」がブームなのだが、必死で私が隠した石のありかを探している。「えー、どこー、どこー、このへーん?」

「あー、そのへん、そのへんだなー」とヒントを出す。「あったっ!」と見つけて走ってくる子供を見て、ふっと自分がうまく笑い返せないと思う。心がここにないから。私の心は今を俯瞰して、高いところから見てしまっているから。

言うことがころころ変わる先生

「○○先生、もーほんと相談に行くたびに言うこと違うんだもの」と、知り合いが昔大学時代の恩師を振り返ってそういった。思い出話として。

今私は同じような立場に身を置いて、その先生のことがわかる。彼の心はそこになかった。別の仕事、別の講義、別の論文、別の学生、家のこと、自分のこと、その他色々なことを同時にやっている。その都度その都度、各仕事はそれなりにまじめにやっていて、目の前の学生の相談にも真剣に向き合う。

けれど、相談の場に臨んで集中し相手に向き合うが、同時に俯瞰する自分も上空で走っている。目の前のタスクは、その場のタスクとして処理されて、持続しない。結果、この相談と次の相談の連続性は、途切れがちになる。

俯瞰のスイッチを切る

俯瞰することによって大人はタスクを管理し、処理スピードを上げている。それは人が社会化していく上でどうしても必要な能力だ。

けれどそれによって、たくさん受けとめられるはずの何かをわずかにしか手にしなかったり、大切に育てられる何かを知らぬ間に毀損してしまうことが、あるのかもしれない。

俯瞰のスイッチを切る時間が、大人には時に必要なのだろう。



なお、えらそうに書いたこの文章は、締め切りをとうに過ぎた某論考が行き詰まった逃避として書いている。タスクを俯瞰するのって難しいですね(涙)