子供の生きる時間
幼児には「タイムライン」がない
子供を保育園に送り迎えしていると、子供の「寄り道」が楽しくもあり、めんどくさくもある。こちらの心やスケジュールに余裕がある時は、一緒にドングリを拾い、飛行機を眺め、月を指さし、側溝をのぞき込む。物たちは私により近しくなって、子供たちの世界を私も少しのぞき込む。一方、スケジュールがタイトな時はたいへんだ。あと〇〇分で授業や会議が始まる。にもかかわらず此奴は右へ逸れ、左に立ち止まり、挙げ句の果てに羽虫を追って逆戻りする。強制的に抱きかかえ、抵抗する子供にああだこうだ呪文をささやきながら門に走る。
今朝もすれ違いに、そのような状況で苦り切っている一人のお母さんに遭遇。足もとの其奴はジャンパーを着ることさえ拒否しているようで、坂道の途中で座り込んでいる。同情すること限りない。むろんお母さんに。そのとき、ああ子供には「タイムライン」がないもんな、とふと思った。
「タイムライン」はFacebookなどの用語だが、ようするに時系列の流れである。何年何月にこういう事があって、先月何日にこういう事があって、先週何をして、、、というあれである。
幼児の記憶、幼児の過去
トーゴ氏は、最近かなり「過去」を認識するようになってきた。正確に言えば、「過去」というよりは経験、記憶である。「おとうさんとバロー(スーパーマーケット)に行った」とか、「お魚(水族館に行った時)の写真」とか、「お昼、おうどん食べた」とかである。この前は、保育園の帰りの車の中で、突然「とうくん、[今日]泣いちゃった」と言い出してびっくりした。「今日」という単語が入っていたかどうか、残念ながら記憶にない。しかし聞いた瞬間に、今日の出来事を回顧していると私がわかったので、「今日」と言ったのかも知れない。聞いてみれば、保育園のおもちゃを、友達と取り合ったらしい。こんなことが言えるようになったんだな、ととても感心した。
ただし、こうした子供のもっている「経験の記憶」のあり方は、大人のもつ「過去」とは少し違う気がする。あるいは、ちょっと大げさだが近代以降の「歴史」についての教育を受けるようになった人々のもっている「過去」のイメージとは違う。私たちは、教育の過程でたとえば「年表」というものをならう。そこでは過去に起こったさまざまな出来事が、一直線に配置されている。小学校何年かの教室には、教室の後ろの壁の上部に、巨大な歴史年表が掲げられていたと記憶する。あの「年表」という型式のもつ線条性が、私たちの過去、そして現在、未来についての想像力を強く規定していると思う。「タイムライン」、と言う。ライン、つまり線。「去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの」という高浜虚子の俳句。年末年始によく引用される句だが、これも「棒」によって年月の流れをたとえている。つまり、私たちは過去から現在に来たり未来につながる一直線のものとして、時間を認識することに慣れている。
しかし、幼児にこの発想はない。おそらく彼らの経験の記憶は、群島のようなものになっているのだろう。自分と結びつく数々の大きな、小さな島々。それらばバラバラに散在していて、線状をなしたりしないし、相互の連関性もほとんどない。
子供は突然、突拍子のないことをいう。ご飯を食べながら唐突に公園の話をしたり、ベッドの中で友達の名前を口にしたりする。子供とはそんなものだと思っていたが、考えてみればこれは子供の記憶のあり方と関係があるのかもしれない。私たちも唐突になにかを思い出したりするが、それを口にすることはしない。大人は思ったことをそのまま口にしたりしない、ということもあるが、大人の生活の持っている時間的な秩序が、そうした飛躍のある記憶の想起を抑圧しているところがあるのかもしれない。
過去というのは私たちのアイデンティティを構成する。自分が今日も自分である、と考えられるのは、持続的な過去の記憶があり、持続的な関係が事物や人々と結べているからである。物質的な意味においては、人の体は新陳代謝によって(一部の例外的細胞を除いて)すべて入れ替わっていくと聞く。私たちの自己同一性を形づくるのは「過去」および「過去」と取り結ぶ現在の関係性である。とすると、幼児の自己同一性とは、私たち大人のそれとは著しく異なるのだろうか…
幼児に「未来」はないのかもしれない
幼児にとって「過去」よりもさらに疎遠なのは「未来」である。「過去」は多くの場合経験である。したがって記憶の能力が育てば、かなり早い段階から蓄積していく。一方、「未来」はまだ起こっていないことである。想像と類推とが「未来」を作り出す。幼児にとって、それはとても難しい作業なのではないだろうか。大人のもつ歴史のイメージが「線」という形に寄りかかっていることは先に書いたが、私たちはこの線の喩えによって、未来を想像できる。過去から今に至り、そして未来へ伸びていく線。
「タイムライン」がない、という思考にとって、「未来」は一体どのように現れるのだろう。「未来」は、ない、のかもしれない。私は私とトーゴ氏が登る坂の上に、保育園があることを知っている。いまこの地点で9:08なのだとすると、このまま此奴のペースで歩き続けると、保育園の先生にトーゴ氏を受け渡すのは9:20ぐらいになり、とすると研究室への到着は、、、という計算が働く。トーゴ氏は、そんなことは考えない。考えられない。そういえば私は彼を急がせる時に「先生が待っているよ」とか「朝の会、はじまるよ」とか言っていたが、これは「未来」を語る表現であるつもりだったが、考えてみればこれは「未来」ではなく、彼と先生あるいは朝の会との関係性の角度から、「君は待たれている」ということを言っている。自然に子供の言葉に「翻訳」していたのだろう。「間に合わない」という時間的な言い方は通じないから。
「未来」がない世界に生きるというのは、一体どういうことなのだろう。月並みないい方だが、その瞬間、その瞬間を生きている、ということなのだろうか。それはとてもうらやましいことであり、そして恐ろしくもある。私たちは「未来」への配慮や不安なしには生きられない。数々の予定、締め切り、ローン返済、災害や事故への怖れ、危険な法案を暴力的に通過させる政府が舵を握る社会の将来。私たちの今は、未来との関係の中にある。たとえば子供の成長のように、未来が楽しみなこともむろんある。一方、未来はしばしばとても不安で不快なことでさえある。だが不安や不快も必要なことだ。だから私たちは準備をすることができるし、想像力と推定を根拠に未来のために闘うことができる。(そう。だから仕事の締め切りを守るべく早めに準備を始めなければならない>自分)
「未来」があるからこそ、私たちは不安にもなり安心もする。では、「未来」がない世界とはどんな世界なのだろう。うまく想像できない。一ついえるのは、未来がない世界に生きている子供は、《瞬間という永遠》に生きているのだろうということだ。「今」しかない世界。「今」が、ずっとずっと持続する世界。今日も明日も明後日も一年後も「今」であるという世界。私はそういう世界に生きることに恐怖を覚えるが、それはすでにそういう世界から去ってしまった者の見当違いな恐怖なのだろう。
ふと、「今」にしか生きていない子供は、子供だけではないのではないか、ということを思ったりもする。未来を想像できない「子供」が、大人の世界にも少なからずいるような気がするから。
「未来」と出会ったときのこと、および来たるべき崖
私は、私自身が「未来」に出会ったときのことを、かなり鮮明に覚えている。小学校の低学年だった。校庭で私は遊んでいた。突然ふと私は、私がこの学校に「六年生までいるのだ」ということに思い当たった。四階建てのL字型の校舎が、私の目の前にそびえていた。「六年生まで」。その「六年生まで」の数年間は、私にはほとんど永遠の同義語であるように思われた。小学生は、永遠に終わらないような気がした。今考えれば、私はそのとき、《瞬間という永遠》に生きている時代と、「タイムライン」という線条的な歴史の中に生きる時代の境目に立っていたのだろうと思う。「今」しか知らない子供が、数年間を想像すれば、それは目眩がするような長期間に思われるだろう。
2013年も終わろうとしている。線条的に延びた時間は、ある時からループを始める。いや線条的に続く時間と、ループを始める時間に二重化すると言うべきか。2014年は私にとって新しくもあり反復でもあるだろう。反復が始まった時、時間の流れは加速する。もう数年が永遠とは、とても思えない。そしておそらく、あと何年後かわからないが、線形とループの上にもう一つ、崖のような時間が重なってくるのだろう。41歳の私には、その先に何も無くなる《時の崖》のイメージは、まだよくわからない。