日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

一歳になった


勤労感謝の日トーゴ氏の誕生日である。日本のカレンダーが変わらない限り、彼は誕生日を祝日で迎え続けることになる。知人がやはり同じような境遇だと言って、話をしてくれたが、今となってはありがたいが、学校時代はいつも友達に祝ってもらえなくて寂しかったそうだ。ナルホド。

一歳の誕生日というのは、やはりそれなりの感慨があった。
無事にここまで大きくなったなぁ、というたいへん月並みだが嬉しい感慨だった。私の誕生日はちなみに二日後の憂国忌なんだが、まあ大人になると途中から誕生日というものは本当にどうでもよろしくなり、子供の誕生日と一緒くたになろうが何だってかまわない。しばらくは子供の誕生日は毎年嬉しいだろうから、それで十分である。

日本全国どこでもやるのかどうかわからないが、「一升餅」を背負う、という一歳の誕生日の儀式がある。私は子供が生まれるまでこの習慣を知らず、たぶん私自身もやっていないのだが、やったという友人に教えられて、これは面白いと思ってやってみた。「一升」の餅を一歳の背負わせる、というただそれだけの行事だが、一生(もちろん一升にかけてある)食いっぱぐれない、とか、一生食べていくことの重みを味わわせるとか、そんな意味づけがあるらしい。名古屋の私が住んでいる近辺では、足形の紅白の餅を用いた。ご覧の通り、でかい。風呂敷包みで背負わせたが、つかまり立ちのトーゴ氏が、背負って立てるわけがない。まあ、無理矢理やらせたが(笑)

ちなみに、もう一つ遊びをやった。留学生に教えてもらったもので、中国語で「抓周」、英語ではdraw lotsと訳しているらしい。たしか韓国にも同じ風習があるはずだが、名前は知らない。一歳の誕生日に、その子の未来を暗示するモノを並べて、選ばせるという占いである。トーゴ氏には、以下の3択でやってもらった。
A お札(実業)
B 本(学問)
C 色鉛筆(芸術)
何を選んだかは、直接日比に聞いてのお楽しみである。

トーゴ氏は、どんどん知恵をつけている。積めなかった積み木が積めるようになり、扉という扉を開けまくり、電話の受話器を反対向きに耳に当て、パソコンのキーを乱打する。いくつか、意味のある言葉を覚えたらしい。「アッタ」「イッテ」「アレ」の3語。すべて周囲への指示である。 母の名も父の名も呼ばない。そういう男なのだろうか。。。