日比嘉高研究室

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菊と少女:あいちトリエンナーレ2019 振り返りPart 3 終

10月13日

キュレーターの方が雑談の中で言っていたことが気になっている。〈菊タブー〉は大きいですよ、慰安婦の問題と天皇の問題は一緒くたにできないと、再開された「表現の不自由展・その後」の抽選券を求めて並ぶ人々の列を見ながら、その人は言った。

そういえば、と私は思う。「表現の不自由展・その後」の問題を報じるテレビニュースでは「いわゆる慰安婦像など」というようにキム・ソギョン/キム・ウンソンの《平和の少女像》を焦点化した物言いが多かったように思うし、新聞報道でも天皇の表象の問題は避けられがちだと思う。つい最近出たばかりの『あいちトリエンナーレ「展示中止」事件 表現の不自由と日本』(岡本有佳・アライ=ヒロユキ編、岩波書店2019)に収められた論も、少女像にフォーカスする論考が多い。

愛知芸術文化センターの大きな吹き抜けをぐるりと囲んだ通路に、たくさんの人々(私もそうした一人だった)が並んでいる。彼らは何を目撃したいのだろう。菊と少女、なのだろうか。他の作品だろうか。あるいは企画そのものも含めた、その炎上のようすか。

「表現の不自由展・その後」の展示中止を語る言葉たちの中で、天皇表象の問題と慰安婦像の問題とは、多くの場合並んでおかれていた。中止を迫る脅迫行為や、愛国主義的な批判、政府と地方自治体による助成金不交付の脅しなどといった外在的な圧力が次々に加えられ、再開か不再開かという対立になっていて、しかも当初実際の展示を見ていた人はごくわずか(3日間の展示と内覧会のみ)であったのだから、当然といえば当然である。むろんこの二つを並べ、結び付けて論じる必要性もある。なぜなら、慰安婦とされた諸地域の女性達の悲劇は、日本軍をはじめとした戦前の大日本帝国の国家体制、社会制度のありかたと不可分だからである。

ただ、二つを並べたために、見えにくくなっていることもある。(論点を限定するが、慰安婦像の問題を小さく見積もるつもりはない)。それが天皇をめぐる現在の「情」と「例外」の問題である。

大浦信行の映像作品《遠近を抱えて part II》は明らかに昭和天皇の戦争責任をモチーフの一つにしていた。だが、大浦の天皇表象を天皇の戦争責任の問題として扱う見方は広がらなかった。議論はむしろ、燃やされたのが「昭和」天皇であることよりも、単に「天皇」であることに集中した。そして昭和天皇から「昭和」が脱落するとき、人びとのいう「天皇」は平成以後の ── つまり戦没者の慰霊や被災地の訪問を熱心に行い、平和への願いを繰り返し述べつづけた平成天皇のイメージをもとに作り上げられることになる。

天皇をめぐる私たちの感性は、昭和から平成令和へと変化を続けている。そして今、戦争の時代を率いた昭和天皇と、冷戦以後を生きた平成・令和の天皇とを、多くの人々は日常的な感覚において区別しなくなっているように見える。平成天皇および皇室への好意の高まりは、畏れではなく敬いとしての、好意に固められた菊タブーを昂進させている。そしてそのことは、統治する天皇とともにあった昭和の黒い歴史への、明るい忘却と対になっている。人々は国旗を振り、終わりなく万歳を叫び続け、提灯行列をし、代替わりの日に夜通し盆踊りを踊り続ける。

実際に見た《遠近を抱えて part II》は、攻撃的だと私には感じられた。おそらく美術展の運営側もそれを認識していた。作品を上映する際のガードは固かった。一箇所に集められ、短いレクチャーがあり、作品の撮影禁止を確認された。作中、若い昭和天皇の肖像は、つごう4回ガスバーナーで燃やされた。その炎は、怒りである。昭和の感性を忘れない者にとって、アジア太平洋戦争における数百万の戦死者・戦没者や、日本が近隣諸地域に引き起こした持続的な惨禍と比べれば、アート作品の画面上で4回だろうが何回だろうが燃やされることなど、比較自体がナンセンスだ。

だがそれは平成以後の感性にとって同じではない。燃やされる昭和天皇から「昭和」は剥がれ落ちる。平成以後の〈明るい菊タブー〉が行う検閲の眼には、単に「天皇への攻撃」しか映らない。ふと目をやると、Twitterのタイムライン上の動画で、昭和23年生まれであり、たしか歴史好きを自認するはずの名古屋市長が、「陛下への侮辱を許すのか!」というプラカードを手に、日の丸に囲まれながら座り込みのパフォーマンスをしていた。

昭和天皇は神から人になった。一部の人びとは、その道を天皇が引き返していくことを望んでいるのだろうか。そんなことあるわけがない、ときっと否定されるだろう。だが神である必要はないのだ。天皇は「例外」でさえあればいい。だれにとって「いい」のか。統治者にとって、である。

いま、私たちの政治では「例外」が増えている。それは「閣議決定」という鵺のような意思決定であったり、公文書の扱いであったり、高級官僚の人事的配置であったりする。あいちトリエンナーレ2019では、ここにいったん内定が決まっていた助成金の不交付という新しい例外的判断が加わった。

天皇の「例外」と政治の「例外」は、やがて結びつくのだろうか。そうならないことを願わずにはいられない。だが、あいちトリエンナーレは、もしかしたら二つの「例外」が、情の発火をきっかけとして結び合ってしまった一つの先例となっているのかもしれない。

天皇をめぐる情の時代は、また動き出している。「例外」としての天皇に向かう情動は、その先に、どこへ流れ出していくのだろう。