昨年度はサバティカル(=大学の特別研修期間)だった。
諸事情(主に家庭方面)あって、勤務校での研修となった。そして勤務校には子どもの保育園があるので、結果、ほぼ毎日大学に行くことになった。
春、私を見かけた同僚たちは、なぜサバティカルなのにいるのか、という顔をした。
夏、同僚たちはいなくなったが、私は大学にいた。
秋、誰も私が学内にいることについて、不思議と思わなくなった。
冬、どうしておまえは教授会に来ないのだ、とさえ思われている気がした。
いろいろ言いたいことはあるし、最終日に吐き出してやろうと思っていたけれど、やめた。
もらえただけで十分だ。そして俺は働いて、元気だ。血圧はちょっと上がり気味だが。
以前勤務していた大学で英語科の先生に、サバティカルsabbaticalはサバスsabbathから来ている言葉で、つまりはユダヤ教・キリスト教の「安息日sabbath」の発想なのだ、と教えてもらった。つまり、カミサマは6日働いて、1日休んだ。そういうカウントのしかたで、6年働いて1年休むのが、大学の研究休暇のSabbaticalである、と。
聖書の「創世記」を読み直してみた。安息日は、第2章の冒頭にあった。6日働いて1日休むのが1サイクルではないのだ。sabbathは新しい章の始まり。であるならば、sabbaticalもまたそうであろう。
今年度は、私の第2章の2年目である。
カミサマは人をここからエデンに住まわせた。
私の現在地がエデンとは到底思えず、むしろどうみても修羅道にしか見えないが、とりあえずここからまた始まる。