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日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

「大学は役に立つのか」にマジレスしてみます 個別分野編(日本文学研究)その1

大学はいま

日本文学研究って役に立っているのか


「大学は役に立つのか」にマジレスしてみます企画の個別分野編です。総論編はこちらをご覧下さい。

説明するのは、私自身が研究している「日本文学研究」という分野です。なかでも、私は近現代文学という明治時代以降の文学を研究しております。文学研究・・・聞くからに「役に立」ちそうにないですか?(笑) 新素材開発も人助けもできませんものね。

しかし、角度を変えると、文学研究が寄与していることはいろいろあります。説明に多少でも納得していただけるのを祈りつつ。目次=ポイントは以下のとおりです。

A 大学で文学を学んで得られること・わかること

  1. 日本の文学的資産を循環させ、再生産に寄与する
  2. 「文学に関わる」ための技術・知識・嗜好・時間を獲得する
  3. 文章を「何が書いてあるか」ではなく「どう書いてあるか」の視点で見られる
  4. 文学は他領域へ関心や知識が伸びていくよい導きとなる
  5. 日本文学は、日本人による日本人のためだけの文学では(昔も今も)ないと知る

B 大学に文学研究が存在する意義

  1. 自国(大学所在国)の文化を研究する
  2. 日本文学の研究者を養成する
  3. 日本文学に理解をもつ日本人学生を養成する
  4. 日本文学に理解をもつ留学生を養成する
  5. 国語科の教員養成を担う
  6. 入試でも活躍します

それぞれ簡単に説明してみます。

A 大学で文学を学んで得られること・わかること

1. 日本の文学的資産を循環させ、再生産に寄与する

万葉集』の昔に始まり、『源氏物語』『平家物語』『好色一代男』『曽根崎心中』。近代に入って夏目漱石森鴎外芥川龍之介谷崎潤一郎太宰治ノーベル賞文学を取った文学者も川端康成大江健三郎の二人がいます。村上春樹が世界中で読まれているのはご存じの通り。

日本文学の「資産」は、大変恵まれた状況にあります。あえて比較をしますが(競争が目的ではありません)、他の国々の多くがこうではありません。1000年以上も前の文学作品が、散逸せずに残っていることは、ほとんど奇跡的なことです。多くの国で、過去の作品は戦乱などにより亡失してしまったり、建国が浅かったり、言語芸術への関心が低かったりして、古代から現代まで大量の作品が揃っているという状況にはありません。

日本文学は、その意味で貴重な文化的遺産の宝庫であり、かつ社会内で文学的趣味が(弱体化しているとはいえ)継続している「生きた伝統」の中にあります。

ところで皆さんは、『万葉集』が注解なしで読めるでしょうか。読めませんよね。私も読めません(^^;) 私たちは江戸の文学でさえうまく読めなくなっており、明治大正文学もそろそろ「古典入り」の気配です。当然です。言語文化は推移しますので、昔の作品が読めなくなるのは当たり前です。

このことは、放っておけばこの「遺産」の継承者がいなくなるということを意味します。それはとても寂しいことであり、また私たちの世代のあとに何百年何千年と続く(と願いますが)世代へと「遺産」をよりよい状態で受け渡すために、あってはならないことです。

日本文学研究者は、過去の作品の解釈を考え、それを歴史的に意義付けするだけでなく、出版界や図書館界と連携することによって、その維持保存に携わっています。

そして同時に、そうした作品へアクセスするための必要な能力を、学生や一般の人々に伝えています。こうした機能はさほど目だちませんが、資産を受け継ぎ、それを生きたものとし、新しい創作を生み出すための人と環境を作る、社会基盤となっています。

2. 「文学に関わる」ための技術・知識・嗜好・時間を獲得する

そもそも、「文学に関わる」ことは大切なのでしょうか。小説を読み俳句を作ったりすることは、ただの娯楽であり趣味であり暇つぶしではないのでしょうか。

そういう面もあります。肩肘張らず、個人の楽しみとして文学に関わることはできますし、それは人の人生を豊かにする、とても意義のあることです。

ただそれだけではありません。「物語」を例に取ります。物語を読んだり聞いたりする経験が、私たちにもたらすものに、登場人物/世界への「シンクロ」というものがあります。恋愛小説で恋人に恋し、生の苦悩を描いた作品で深みにはまり、冒険活劇でページをめくる手が止まらなくなる。いずれも、主人公たちの経験を、我が身のものとして受け止める、私たち人間の能力が基盤になっています。人間には物語による〈経験の擬似的共有能力〉が備わっています。

脱線しますが、現在脳科学や認知科学の方で、こうした〈経験の擬似的共有能力〉についての研究が始まっています。一般向けの記事が最近たまたまGigazineに載っていましたので、紹介しておきます。「物語はどのようにして我々の脳や心、そして世界を変えてきたのか」(2015年01月19日)

〈経験の擬似的共有能力〉に基づきながら、物語は私たちの社会で重要な役割を果たします。哲学者のハンナ・アーレントは、個人的な体験を、公の空間に解き放つ回路の一つとして、物語に価値を見いだしました(『人間の条件』)。やはり哲学者のユルゲン・ハーバーマスは、小説の登場人物の人間性を人々が共有的に論議するというサロンの空間を、人間の公共圏のモデルとして設定しました(『公共性の構造転換』)。

非常に簡単に言うと、この能力と物語の存在とによって、私たちは他者の経験や視点をシェアできます。私たちは物語を読むことによって、バグダッドに生まれた少年の経験を擬似的にシェアできるし、ソウルに生まれて東京に生きた詩人の視点をシェアできるのです。

この能力・機能は、社会の中でとても重要な役割を果たします。人と人の相互理解や、異文化への想像力、感性の豊かさ敏感さを養います。(もちろん、この能力は負の方向へも発揮できますが。先の大戦中、文学は国民の感情を戦場へ動員しました)

文学作品を読み聞く能力は、ベーシックなものが人間に元来備わっていますが、トレーニングを積めば、それはより高度に発達します。現代の学生はあまり文学作品に接触しなくなっています。国語の授業で、教材を読んでそれだけ、という例もめずらしくありません。大学に入学し、文学関係の講義やゼミを取れば、文学にまつわる「技術」「知識」を高度化でき、卒業後の人生の長期にわたって効果を発揮する「嗜好」を獲得し、集中して読むための「時間」を得られます。

3. 文章を「何が書いてあるか」ではなく「どう書いてあるか」の視点で見られる

文学研究は、「その作品に何が書いてあるのか」も問題にしますが、「どう書いてあるのか」をより重要視します。別のいい方をすれば、その文章のレトリックを読み解くということです。

「何が」ではなく「どう」を扱うことは、それほど簡単なことではありません。時間を掛けて再読三読しなければなりませんし、読むための記述やパターンの習得も必要です。しかし、いったん文章の「どう」を読み解く力を手にすると、文学作品ではなく、世の中のさまざまな文飾、文辞を読み解くことができるようになります。読む楽しみ、読む味わいは格段に広がりますし、同時に批判力も付きます。世の中には、何かを糊塗するためのレトリックも溢れていますので。

この意味で、文学作品の文飾を読み解く能力は、メディア・リテラシーの能力――新聞やテレビ、広告などを批判的に読み解く能力――とも親和性が高いものです。

4. 文学は他領域へ関心や知識が伸びていくよい導きとなる

あらゆる学問分野に言えることですが、その分野を学ぶことがその分野内で完結することはまずありません。学術は、隣接する他の学問分野や社会的なできごとと積極的に応答を繰り返し、あたかも呼吸をするようにその新鮮さや感度を保ちます。


日本文学研究で言うと、日本はもちろん関係する地域の歴史学と密接なつながりがあるのはもちろんですが、他にも思想・哲学の潮流とも大きく交差しています。とくに1970年代以降のポストモダニズムの時代から20〜30年の間、「言語論的転回」といわれるパラダイム・シフトのなかで、文芸批評はあたかも思想的な主戦場のような感を呈していました。その後批評はさらに文化論的な転回をして、文学研究は文化研究へとその輪郭を広げていきますが、その際にも理論的なフレームは20世紀末の達成が基礎になっています。この高度な達成を学ぶことは、現代文化を理解し、思考するための強力な武器になります。

その他にも、ジェンダーの問題を考えるにも、東アジアの関係の今昔を考えるにも、美術や映画との交渉を考えるにも、サブ・カルチャーの可能性に取り組むにも、植民地や占領の問題に取り組むにも、表現の自由の問題を論じるにも、文学はつながっていけます。それは、文学作品が世のあらゆるできごとを扱って来たという歴史をもっているからです。


5. 日本文学は、日本人による日本人のためだけの文学では(昔も今も)ないと知る

日本文学研究は、自国の文化についての誇りを育てる分野であるかのように受け取る人も居るかも知れませんが、それは違います。もちろん、日本の文化の素晴らしさを認識することは、よいことだと私も思います。しかしそれが、他国の文化への無知や無関心の裏返しであったとするならば、むしろそれは逆説的なことに自国文化への無知でしかありません。

日本文学は、諸外国との交渉の歴史なしでは発展はありえませんでした。『万葉集』には帰化人の歌人が数多くいます。大陸や朝鮮半島の先端的な文化や思想の流入なしでは、『万葉集』も『源氏物語』も成立しません。現在、日本の図書館や博物館には、膨大な量の中国大陸や朝鮮半島に由来する古典籍が収蔵されています。それはこの列島に住んだり住み着いたりした先人たちの、知的な交流の直接的痕跡です。ちなみに、前近代では日本の知識人は日本語だけではなく漢文≓書記中国語でも書いています。

近代では西欧文学・文化が圧倒的な影響をもたらしました。日本文学も大きく様変わりし、文体、思想、物語ともに現代の私たちの知るものに近いかたちになりました。西欧化は近代化であったわけですが、ここでもう一つ大きな変化が現れます。日本は東アジアの中でいち早く近代化の道を進みました。その結果、東アジアの近代化が日本(語)を経由地として進められるという状況が生まれました。留学生が東京を目指したり、西欧語の書物を翻訳する際に、間に日本語が入る重訳という状況も生まれました。

自主的だったり強制的だったりと理由・経緯はさまざまですが、日本に住む中国系・韓国系の人々が増えはじめ、現在の日本の社会もその延長上にあります。戦前は、中国大陸や台湾、朝鮮半島南洋諸島に住む日系住民も多くいました。敗戦後から1950年までの引揚者は(軍人・民間人あわせて)600万人を越えると言いますから、おおよそ日系総人口の8〜9%ぐらいが海外にいたことになります。膨大な数です。この時代の日本文学は、東アジア各地の各民族の日本語話者が書いた「日本語文学」という様相になっています。私たちはその記憶や遺産をうまく継承できていません。

そして現在、在日朝鮮韓国人の作家たちの活躍や、アメリカ人、中国人、台湾人、スイス人、イラン人などの日本語で書く作家たちの登場があります。日本人も、英語やドイツ語で作品を書いて発表しています。もちろん、外国語に翻訳される日本語の作品を考慮に入れることも大切でしょう。

日本文学は、日本人による、日本人のためだけの文学ではありません。むしろ、多文化間の活発で長期的な交流が、現在の日本文学の豊穣さの根源です。日本文化を大切にし、それをさらに振興させたいならば、異文化の接触と交渉こそが重要です。日本文学を学ぶことは、日本文学・日本文化の開放性を知ることです。この知は、偏狭なナショナリズムが、文化の豊かさを損なうことを防いでくれるでしょう。

B 大学に文学研究が存在する意義

(次回につづきます)

  1. 自国(大学所在国)の文化を研究する
  2. 日本文学の研究者を養成する
  3. 日本文学に理解をもつ日本人学生を養成する
  4. 日本文学に理解をもつ留学生を養成する
  5. 国語科の教員養成を担う
  6. 入試でも活躍します