漱石作品 その〈死後の生〉 [講演]
京都漱石の會、第18回定例会、御所西京都平安ホテル、2016年11月13日
[概要]
〈死後の生〉などと書くと、怪談やオカルトの話かと敬遠される向きもあるかもしれませんが、そうではありません。作品が発表された「後」のことを考えてみよう、そういう文学史の考え方もあるのだ、というお話をさせていただくつもりです。
一般的な文学史というものを思い浮かべてみましょう。日本の近代文学史の最初は、坪内逍遙の『当世書生気質』におかれることが多いです。一八八五(明治一八)年に発表されました。二葉亭四迷の『浮雲』が一八八七年。森鷗外『舞姫』が一八九〇年。夏目漱石の『吾輩は猫である』が一九〇五年。こう並べていくと、文学史の流れが見えてくるような気がします。
が、考えてみますと、これらはすべて発表年を並べています。人名と発表年をずらずらと並べたものが文学史――なのでしょうか。私たちは、今でも漱石の作品を、芥川龍之介の作品を、与謝野晶子の歌を、読んで味わっています。文学史が発表年の列挙だとしたら、私たちが彼らの作品を今でも受け取っているというこの事実は、どう考えればよいのでしょうか。
文学の歴史は、「持続」の歴史としても考えることができるのではないか、というのがこの講演で私がお話ししたいことです。『吾輩は猫である』は、最初、雑誌『ホトトギス』の一九〇五年一月号に発表されました。その後、雑誌連載が翌年まで続くかたわら、単行本として刊行が始まります。単行本は最初の印刷が終わった後も、二刷、三刷というように重版が続きます。さらに時期が重なりながら縮刷版が刊行されたり、抄録された本が出たり、教科書への掲載が始まったり、全集が刊行されはじめたりします。『吾輩は猫である』の「持続」とは、たとえばそういうことです。
それだけではありません。作者が夏目漱石ではない「猫」が生まれてきます。パロディ本の類いです。人気作だった『吾輩は猫である』は、大量の追随作、パロディ、続編などを生みだします。こうした「猫」のきょうだいたちも「持続」の文学史に加えることができるでしょう。
今回の講演では、文学史の「持続」――すなわち作品の〈死後の世界〉――をキーワードに、漱石作品の今日まで続く、長い長い「生」について考えてみたいと思います。