日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

“図書館文学” アンソロジー『図書館情調』が発売されます

図書館に関係した小説や詩を集めたアンソロジー『図書館情調』が発売されます。店頭には6日頃から並ぶそうです。
私の編で、解説も書いています。以下宣伝をかねてご紹介します。


日比嘉高編『図書館情調』皓星社、シリーズ紙礫9、2017年6月10日、273頁

honto.jp

収録作品はバラエティと面白さと正典・新規性のバランスを考えました。一方解説では、近代日本の図書館の歩みを念頭において、それをおおまかにたどりつつ、外地や移民地の話、女性・子どもと図書館の話も忘れないように、と考えながら書きました。

収録作品は次のとおりです。

萩原朔太郎「図書館情調」

●第一部 図書館を使う
菊池寛「出世」
宮本百合子「図書館」
中島敦「文字禍」
竹内正一「世界地図を借る男」

●第二部 図書館で働く
渋川驍「柴笛詩集」(抄)
新田潤「少年達」
中野重治「司書の死」
小林宏「図書館の秋」

●第三部 図書館幻想
富永太郎「深夜の道士」
笙野頼子「S倉極楽図書館」
宮澤賢治「図書館幻想」
高橋睦郎「図書館あるいは紙魚の吐く夢」
三崎亜記「図書館」

解説 日比嘉高
参考文献

以上が収録作品です。この他、解説において、いろいろ他の図書館関連の小説や随筆・回想を引用したり紹介したりしております。なにせ解説は45頁も書いたからね(笑) 以下のような作家・作品が言及されます。

芥川龍之介『路上」「大導寺氏信輔の半生」「後世」
直木三十五「死までを語る」
三宅雪嶺「教場と図書館」
林芙美子「文学的自叙伝」
樋口一葉の日記
門井慶喜『おさがしの本は』
森谷明子『れんげ野原のまんなかで』
緑川聖司『晴れた日は図書館へいこう』
仲町六絵『からくさ図書館来客簿』
夏目漱石「入社の辞」
有川浩図書館戦争」シリーズ
ジャネット・ウィンター『バスラの図書館員』
J・L・ボルヘス「バベルの図書館」
村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
田岡嶺雲「数奇伝」
新田潤「永遠の求愛者」

また、作品中・解説中に出てくる図書館についてもリストアップしてみました。こんな感じ。

独逸式図書館vs米国式図書館(朔太郎)、上野の帝国図書館(一葉、宮本百合子菊池寛芥川龍之介)、哈爾浜鉄路図書館・満鉄哈爾浜図書館・スンガリー市図書館・東支鉄道クラブ図書館・東支鉄道中央図書館(竹内正一と解説)、東京帝国大学図書館(芥川龍之介夏目漱石、澁川驍)、東京市京橋図書館(新田潤)、国立国会図書館および国立上野図書館附属図書館員養成所、紅葉山文庫中野重治)、フランス国立図書館および同国立高等図書館学校(小林宏)、第二高等学校図書室(富永太郎)、Real Gabinete Portugues de Leitura ポルトガル王室読書室、文部省博物局書籍館(東京)、集書院(京都)、大橋図書館第一高等学校図書館、第二高等学校図書館、第五高等学校図書館、盛岡中学校図書庫、コロンビア大学図書館、米国日系人強制収容所内の図書室、バスラの図書館、東京都立日比谷図書館

この他、さまざまな実在しない幻想の図書館もたくさん出てきます。

   *

J・L・ボルヘスは言いました。

「断言してもいいが、図書館は無限である。」(「バベルの図書館」より)

ようこそ、果てしない「図書館文学」の世界へ。

【pixiv論文】日本文学研究者が引用について語ってみる

立命館のpixiv論文の件を遠巻きに見ていたのですが、日本文学研究の方にも飛び火してきた感じなので↓


togetter.com

ちょっと考えたことを書いておきます。

目次はこんな感じになりました。長いですので、これからどうすべき(と私が考える)か単に知りたい人は、「さいごに」をどうぞ。

近代文学研究における引用の実態

近代文学研究の世界では、引用に際して作者の許諾をとるということは、例外的な場合を除いて、一切ありません。著作権法の範囲内で、遠慮なくどんどんやります。

近代文学研究が扱う文学作品は、ほとんどが「公開モード」にあります。だれでも見られ、引用、言及でき、賞賛も批判もなんの遠慮もいりません。

例外的な場合というのは、作家の遺族や、個人が所蔵する原稿や手紙などを使わせてもらう場合です。これは、勝手にやりません。

古典文学研究における引用の実態

古典文学作品の場合、死後50年以上経過していますので、著作者の権利は消えています。では、引用し放題かというと、そうではありません。こちらの世界の方が、むしろ厳しい。

一般に公刊されている(つまり近代に入って以降に出版物として刊行され直している)ものについては、引用オーケーです。許諾もいりません。

一方、古典文学や近代以前の歴史研究の場合、社寺や文庫、個人が所有している資料がけっこうあります。これらは、所蔵者と掛け合って、見せてもらわねばなりません。引用や言及に当たっては、もちろん許諾がいります。下手をすると、お金を払います。

これらの資料は「財産」だと考えられているからです。

※ この項については、古典文学研究者の知人からアドバイスをもらっています。感謝。

ネット掲載の「半公開」小説の引用

問題のpixivの小説のような、ネット上にあって、閲覧資格を制御することによって、公開のあり方に制限がかかっている、そういう状態をここでは「半公開モード」と呼んでおきます。資格を変えることにより、多くの人が読めるようにもなるので、「半公開」です。

これを引用するのには、私は配慮が必要だと考えています。

(注・私は今回問題になっている論文が、小説を一般的な意味で「引用」しているのかどうか、確信がありませんが、とりあえずそうだとして、この論文に必ずしも限定されない問題として考えるというスタンスで先に進めます。ちなみに転載はしてないですよね、pixivさん? →公式
Twitter

古典文学作品の場合、問題になっていたのは、「財産所有」の感覚ですが、ここで問題になっているのは羞恥心のようです。とするとこれは、プライバシーの問題です。

ここには、「文学」をめぐる文化的生態系の変化にかかわる、面白く、大切な問題があります。ちょっと迂回します。

小説とプライバシー

小説とプライバシーの間の衝突についていうと、これまでは小説(家)がプライバシー侵害で訴えられてきたという歴史があります。三島由紀夫の「宴のあと」や柳美里の「石に泳ぐ魚」の裁判が著名です。

それに対して、今回は、研究者による小説家へのプライバシー侵害が問題化されるという状況です。とても現代的な状況だと私は思います。

背景にあるのは、個人情報保護と犯罪被害者保護の感覚の鋭敏化で、小説家のもつ表現の自由はどんどんと劣勢に立たされて行っている状況です。これは、柳美里の「石に泳ぐ魚」裁判のあたり、つまり1990年代ぐらいから顕著になっている傾向だと思っています(詳細は拙論参照)。
http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/handle/2297/17449?mode=full

従来、加害者=小説(家)/被害者=小説のモデル、という図式でしたが、今回は反対に、加害者=研究(者)/被害者=小説(家)となっています。面白いなとは思いますが、要素が入れ替わっているだけで、図式は同じです。

理屈としては両方にそれぞれ理があるが、プライバシーを晒されて被害を受ける方に、けっこう同情が集まるというパターンです。

さて、近代文学研究者のお仕事の一つに、辞典の項目執筆というのがあります。文字数によりますが、徹底的にその作家のことを調べ上げます。昔は、戸籍謄本から、在籍学校の成績まで、(有名作家の場合ですが)調べてました。

直感的にわかるとおり、これらは、現代人にとって、完全にアウトな作業です。まさに個人情報そのものを集めて公開しようというのですから。

私は某マイナー作家のことを調べたことがあります。ある私立大学に「その作家が在籍していたかどうか。していたならどの期間か」を調べたい、と打診しましたが、「ご遺族ですか」と言われ「研究者です」と返したら、「申し訳ありません」と丁寧に謝絶されました。その大学は文学者もたくさん輩出してきた有名研究大学ですが、そこでさえ、こんな感じです。

もう昔のような作家の本当に細かな履歴が書いてある辞典は作れない、というのが大方の一致した研究者の見方と思います。

とまあ、たとえばこんな感じで、プライバシーをめぐる文学の文化生態系は変わってきています。われわれは、今その中にいます。柳美里以降、ソーシャルメディアの時代を迎えて、生態系はさらに変化をしているようです。

これからどう現代小説を引用していくのか

私見です。公開されたプロの作家の作品や、図書館や地域の文化施設に寄贈されている同人誌に載っている小説、詩については、著作権法の許す範囲でがんがん引用して、誉めるなりdisるなりすればよいと思います。

これらの「公開モード」の作家およびその作品は、「近代」的な文学生態系のなかにいると想定されるので、仮にさらし上げてもほぼ大丈夫のはずです。そのかわり、反撃が飛んできますから、やる側にも覚悟が必要です。

一方、今回のpixivのアマチュア小説のような「半公開モード」の作品の場合は、古典文学研究がやっているような、配慮をする必要があります。それは法律論とは別のところにある、「ものごとをうまくまわすための配慮」の領域の問題です。

さいごに : 忖度と萎縮と検閲と

法律の範囲内なら、どんどんやればいいじゃないか!という意見もあると思います。そんな配慮より、学問の自由だ!的な。

私も数年前までは血の気が多かったので、そういう感覚に近かったですが、最近ようやく大人になってきました(笑)

法律でもなんでも、原則論の一本槍でいくと、結局総合的にみてうまくいきません。

松谷創一郎さんも言っていらっしゃいますが(https://news.yahoo.co.jp/byline/soichiromatsutani/20170527-00071377/)、今回、この炎上事件の結果、研究も萎縮し、書き手も萎縮し、大学は倫理規定を厳しくし、サービス運営会社はガードを固くして使い勝手を悪くする可能性があります。最悪です。

とりあえず、みんないったん、振り上げた拳を、ガードの盾を、降ろした方がいい。誰も得しない。私たちの現代文化(含む文学、含む研究、含むWebサービス)がますます窮屈になる一方です。

忖度も、萎縮も、過度の相互監視も、やめよう。

最後にいいたいのは、この立命館大の研究は、フィルタリングの自動化の研究ですよね?(読めていないので、間違っていたら、指摘してください)
これは、言い方を変えると、機械による自動検閲(につながる)装置の開発です。

「有害」な情報から未成年者を守るというような目的があるのはわかります。

しかし、検閲による情報の規制が、私たちの社会の風通しを悪くしたり、知りたいことを知れなくなったり、議論の分かれる問題について、その問題となる原因の資料そのものへのアクセスを遮断することにつながる、という自覚を、この手の研究開発をしている人々には持ってほしいと思います。

技術として可能性を追求するのはいいけれど、それを社会に適応したとき、社会の中で振るってしまう力、効果などについて、思いをいたしてほしい。

私はこの文章を書くために、元論文を読みたかったのですが、それがいまできなくなっています。「有害」だというその小説が本当に有害なのかどうかも、確かめたい。しかしそれもできなくなった。

議論のために情報の公開性が保たれなければならないというのは、たとえばこういうことなのです。

最近いただいた本 20170509

つづきです。御礼状を書かねば。GWに、と思っていたのですが、矢のように飛び去り…。
不義理すぎて顔向けできない。うう。

それにしても、大著揃いだ。すごい!


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最近いただいた本・雑誌 20170508

遅くなりましたが、最近いただいた本を紹介いたします。
全部にコメントをしたいのですが、追いつきません。ごめんなさい。上から順にやっていまして(部分的にはTwitterで紹介してました)、このあと、追記していきたいと思っています。全部やってから、と思ったんですが、それだと公開がいつになるかわからないので(^^;)

まだあります。その2をアップします。




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野網さんより頂戴しました。漱石の「明暗」に出てくる漢籍『明詩別裁』や呉梅村の詩などを基軸に、作品の世界を読み広げていく試み。大作家・漱石が想定していたはずの高度な読者(=漱石自身と野網さんは仮定する)なら、作品をどこまで押しひろげて読んだだろうか、それを追求してみようと序文は言います。「漱石」というのか、「読者」というのか、はたまた「テクスト」というのか、あるいは「インターテクスト」や「注釈」というのか、立場によって違うでしょう。けれど、こういう緻密で複雑な、言葉と言葉のからみあい、呼び合いを解きほぐしていくのが、文学研究の醍醐味の一つであるのは確かでしょう。

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大東和重さんより頂戴しました。
航路から読み直す文学と思想の歴史。とても面白い。海の発想は陸とは違う。それは国境により区切る思考ではなく、つないで覆う思考。航路はそこに人間が打ち立てた道標──航跡。橋本順光氏による「はじめに」「序章」は、幸田露伴の「海と日本文学と」を起点に、この領域/海域を概観しようとする充実した記述となっている。
どの章も面白いが、注の付け方がちょっと気になる論考もいくつかある。一次文献には詳細な注が付いているが、二次文献への言及が極端に少ないか、ほとんどない(ちゃんと付けている章もある)。私はこういう書き方はフェアではないと思う。


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西田谷洋さんより頂戴しました。
ここしばらく続けていらっしゃる、ゼミの学生たちと国語教科書教材・作家を読む試みの一つ。あまんきみこでは2冊目になります。それぞれの論考は短いものですが、作品を読むためのキーワード──「空間構造」「変身」「比喩」「時空間の縮減」「外部記憶としての異空間」などが多数ちりばめられており、今後作品に向き合う読者の手がかりとなることでしょう。

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上田敏「うづまき」注釈
監修 木股知史

論樹 28号

リテラシー史研究 10号

繍 29号

アメリカ文学評論 Review of American Literature 25号

ミサイルが飛んで、新しい隣組の結成を祝おう

今日(29日)はアニメ・特撮脚本家で小説家の辻真先さんの講演を聞いた。いい講演だった。心から御礼を申し上げたい。

講演の題を「ぼくは戦争の匂いを嗅いだ」とした辻さんの危機感は深いのだと思うが、語り口は温和かつなめらかで、まるで落語か講談を聞いているようなおかしみもあった。

辻さんは、聴衆の大多数が反安保、反安倍の人々だということを十分に理解し、意識しており(講演は「名大アゴラ」という安保法制に反対する会の主催だった)、それゆえに「大声で反対したってだめだよ。だれも聞きやしない」という趣旨のことを繰り返し言っておられた。

「たとえばみんなが「反対」というなかで「反対」っていったってだれも聞きやしない。「反対」の中で「賛成」っていうから、みんな話を聞くんだ。「賛成」の中にちょっと「反対」を混ぜるとかね、そうすればいい。」(大意)


「私はずっと子ども向けのアニメを作ったり、SF小説を書いたりしてきた。そういうなかで工夫をしていた。009の「太平洋の亡霊」なんかはそうやって作ったつもりです」(大意)


「戦争は怖いものだと思っているかもしれないけど、そうじゃないよ、多くの人にとって戦争は楽しいものだったんだ。だって日本は日清日露以来ずっと戦勝国だったんだ。」(大意)


「昭和15年頃まではね、けっこう賛成派・反対派が押したり引いたりしていた。そのあとはどどどっといったけどね。今は昭和15年ぐらいと似ているね」(大意)


「本当に怖いのはね、「いい人」なんだよ。善人が怖い。善人は自分がいいことをしているってことを疑わないからね」(大意)


「本当にはじまっちまうと何も言えなくなるからね、言える今のうちに言えることは言った方がいいと思って、私は言ってます。」(大意)

全部「大意」です。私が私の都合のいいように聞き間違いをしているかもしれない。IWJが録音していましたので、いまに放送されるかもしれません。正確なご発言はそちらで。名大アゴラでもまた案内します。

テレビのニュースでは「ミサイル」「ミサイル」ずっと言っていた日だった。東京のメトロは止まったそうだ。それが実際のところ、市民にどれだけの恐怖を与えるのか、メトロの中の人は考えたことはあるまい。

いや、むしろ「乗客の安全」を優先させたのだ、というのだろう。実際に迫った危険はさておいて、万が一のための乗客の安全を考え、そして自分たちの保身を考え、念のために、列車を止める。

災害を避けるためには、必要なことだろう。避難訓練の訓示でも、この前の雪崩の事故でも、専門家やメディアは常に同じことをいい、私たちの社会は万が一のために「安全策」をとることをよしとしてきた。

私も、それでいいと思ってきた。

しかし、今回はっきりしたのは、対外的な「危機」に際してこれを行うと、明確な国民への恫喝になるということである。万が一への安全の配慮が、むしろ国民を戦時体制へと押し流していくという逆説。私たちの来たるべき今度の戦争は、綿密な安心安全への配慮の網の目の、まさに真っ只中に現れるのかもしれない。

ミサイルが飛んでくるかもしれないので、念のために逃げましょう。念のためにシェルター買いましょう。念のために下校しましょう。念のために、念のために、万が一に備えて、一応、そうしましょう。

そうして気がつくと、戦争は私たちの生活の一部になる。私たちは戦時体制の中の人になる。

とんとんとんかららっと、となりぐみ。そうだ。先の戦争の隣組も、きっと助け合いの、頼りになる組織だったに違いない。そうして私たちのじいちゃんばあちゃんは、助け合って監視しあって、力一杯まごごろこめて戦争に献身したのだ。

ナチスゲーリングは言ったという。戦争を始めるのは簡単だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない、と。

今日、会場で出た二つ目の質問は、「北朝鮮はもう事実上の宣戦布告をしているんですよ!」(大意)という、危機感に満ちあふれた「善意の方」からの質問だった。たしか以前も別の「善意の方」が、「名大は平和ぼけだ(怒)」(大意)とお叱りなさっていった。

大臣たちは外遊。国民はミサイルで脅されて、いやな感じのなかでGWを楽しもうとしている。5歳の息子はレゴブロックで戦艦を作っていた。

私たちの新しい隣組の結成は、案外近いかもしれない。
開始の号令は、まずはミサイルよけの避難訓練からだ。