日比嘉高研究室

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ミサイルが飛んで、新しい隣組の結成を祝おう

今日(29日)はアニメ・特撮脚本家で小説家の辻真先さんの講演を聞いた。いい講演だった。心から御礼を申し上げたい。

講演の題を「ぼくは戦争の匂いを嗅いだ」とした辻さんの危機感は深いのだと思うが、語り口は温和かつなめらかで、まるで落語か講談を聞いているようなおかしみもあった。

辻さんは、聴衆の大多数が反安保、反安倍の人々だということを十分に理解し、意識しており(講演は「名大アゴラ」という安保法制に反対する会の主催だった)、それゆえに「大声で反対したってだめだよ。だれも聞きやしない」という趣旨のことを繰り返し言っておられた。

「たとえばみんなが「反対」というなかで「反対」っていったってだれも聞きやしない。「反対」の中で「賛成」っていうから、みんな話を聞くんだ。「賛成」の中にちょっと「反対」を混ぜるとかね、そうすればいい。」(大意)


「私はずっと子ども向けのアニメを作ったり、SF小説を書いたりしてきた。そういうなかで工夫をしていた。009の「太平洋の亡霊」なんかはそうやって作ったつもりです」(大意)


「戦争は怖いものだと思っているかもしれないけど、そうじゃないよ、多くの人にとって戦争は楽しいものだったんだ。だって日本は日清日露以来ずっと戦勝国だったんだ。」(大意)


「昭和15年頃まではね、けっこう賛成派・反対派が押したり引いたりしていた。そのあとはどどどっといったけどね。今は昭和15年ぐらいと似ているね」(大意)


「本当に怖いのはね、「いい人」なんだよ。善人が怖い。善人は自分がいいことをしているってことを疑わないからね」(大意)


「本当にはじまっちまうと何も言えなくなるからね、言える今のうちに言えることは言った方がいいと思って、私は言ってます。」(大意)

全部「大意」です。私が私の都合のいいように聞き間違いをしているかもしれない。IWJが録音していましたので、いまに放送されるかもしれません。正確なご発言はそちらで。名大アゴラでもまた案内します。

テレビのニュースでは「ミサイル」「ミサイル」ずっと言っていた日だった。東京のメトロは止まったそうだ。それが実際のところ、市民にどれだけの恐怖を与えるのか、メトロの中の人は考えたことはあるまい。

いや、むしろ「乗客の安全」を優先させたのだ、というのだろう。実際に迫った危険はさておいて、万が一のための乗客の安全を考え、そして自分たちの保身を考え、念のために、列車を止める。

災害を避けるためには、必要なことだろう。避難訓練の訓示でも、この前の雪崩の事故でも、専門家やメディアは常に同じことをいい、私たちの社会は万が一のために「安全策」をとることをよしとしてきた。

私も、それでいいと思ってきた。

しかし、今回はっきりしたのは、対外的な「危機」に際してこれを行うと、明確な国民への恫喝になるということである。万が一への安全の配慮が、むしろ国民を戦時体制へと押し流していくという逆説。私たちの来たるべき今度の戦争は、綿密な安心安全への配慮の網の目の、まさに真っ只中に現れるのかもしれない。

ミサイルが飛んでくるかもしれないので、念のために逃げましょう。念のためにシェルター買いましょう。念のために下校しましょう。念のために、念のために、万が一に備えて、一応、そうしましょう。

そうして気がつくと、戦争は私たちの生活の一部になる。私たちは戦時体制の中の人になる。

とんとんとんかららっと、となりぐみ。そうだ。先の戦争の隣組も、きっと助け合いの、頼りになる組織だったに違いない。そうして私たちのじいちゃんばあちゃんは、助け合って監視しあって、力一杯まごごろこめて戦争に献身したのだ。

ナチスゲーリングは言ったという。戦争を始めるのは簡単だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない、と。

今日、会場で出た二つ目の質問は、「北朝鮮はもう事実上の宣戦布告をしているんですよ!」(大意)という、危機感に満ちあふれた「善意の方」からの質問だった。たしか以前も別の「善意の方」が、「名大は平和ぼけだ(怒)」(大意)とお叱りなさっていった。

大臣たちは外遊。国民はミサイルで脅されて、いやな感じのなかでGWを楽しもうとしている。5歳の息子はレゴブロックで戦艦を作っていた。

私たちの新しい隣組の結成は、案外近いかもしれない。
開始の号令は、まずはミサイルよけの避難訓練からだ。