日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

【pixiv論文】日本文学研究者が引用について語ってみる

立命館のpixiv論文の件を遠巻きに見ていたのですが、日本文学研究の方にも飛び火してきた感じなので↓


togetter.com

ちょっと考えたことを書いておきます。

目次はこんな感じになりました。長いですので、これからどうすべき(と私が考える)か単に知りたい人は、「さいごに」をどうぞ。

近代文学研究における引用の実態

近代文学研究の世界では、引用に際して作者の許諾をとるということは、例外的な場合を除いて、一切ありません。著作権法の範囲内で、遠慮なくどんどんやります。

近代文学研究が扱う文学作品は、ほとんどが「公開モード」にあります。だれでも見られ、引用、言及でき、賞賛も批判もなんの遠慮もいりません。

例外的な場合というのは、作家の遺族や、個人が所蔵する原稿や手紙などを使わせてもらう場合です。これは、勝手にやりません。

古典文学研究における引用の実態

古典文学作品の場合、死後50年以上経過していますので、著作者の権利は消えています。では、引用し放題かというと、そうではありません。こちらの世界の方が、むしろ厳しい。

一般に公刊されている(つまり近代に入って以降に出版物として刊行され直している)ものについては、引用オーケーです。許諾もいりません。

一方、古典文学や近代以前の歴史研究の場合、社寺や文庫、個人が所有している資料がけっこうあります。これらは、所蔵者と掛け合って、見せてもらわねばなりません。引用や言及に当たっては、もちろん許諾がいります。下手をすると、お金を払います。

これらの資料は「財産」だと考えられているからです。

※ この項については、古典文学研究者の知人からアドバイスをもらっています。感謝。

ネット掲載の「半公開」小説の引用

問題のpixivの小説のような、ネット上にあって、閲覧資格を制御することによって、公開のあり方に制限がかかっている、そういう状態をここでは「半公開モード」と呼んでおきます。資格を変えることにより、多くの人が読めるようにもなるので、「半公開」です。

これを引用するのには、私は配慮が必要だと考えています。

(注・私は今回問題になっている論文が、小説を一般的な意味で「引用」しているのかどうか、確信がありませんが、とりあえずそうだとして、この論文に必ずしも限定されない問題として考えるというスタンスで先に進めます。ちなみに転載はしてないですよね、pixivさん? →公式
Twitter

古典文学作品の場合、問題になっていたのは、「財産所有」の感覚ですが、ここで問題になっているのは羞恥心のようです。とするとこれは、プライバシーの問題です。

ここには、「文学」をめぐる文化的生態系の変化にかかわる、面白く、大切な問題があります。ちょっと迂回します。

小説とプライバシー

小説とプライバシーの間の衝突についていうと、これまでは小説(家)がプライバシー侵害で訴えられてきたという歴史があります。三島由紀夫の「宴のあと」や柳美里の「石に泳ぐ魚」の裁判が著名です。

それに対して、今回は、研究者による小説家へのプライバシー侵害が問題化されるという状況です。とても現代的な状況だと私は思います。

背景にあるのは、個人情報保護と犯罪被害者保護の感覚の鋭敏化で、小説家のもつ表現の自由はどんどんと劣勢に立たされて行っている状況です。これは、柳美里の「石に泳ぐ魚」裁判のあたり、つまり1990年代ぐらいから顕著になっている傾向だと思っています(詳細は拙論参照)。
http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/handle/2297/17449?mode=full

従来、加害者=小説(家)/被害者=小説のモデル、という図式でしたが、今回は反対に、加害者=研究(者)/被害者=小説(家)となっています。面白いなとは思いますが、要素が入れ替わっているだけで、図式は同じです。

理屈としては両方にそれぞれ理があるが、プライバシーを晒されて被害を受ける方に、けっこう同情が集まるというパターンです。

さて、近代文学研究者のお仕事の一つに、辞典の項目執筆というのがあります。文字数によりますが、徹底的にその作家のことを調べ上げます。昔は、戸籍謄本から、在籍学校の成績まで、(有名作家の場合ですが)調べてました。

直感的にわかるとおり、これらは、現代人にとって、完全にアウトな作業です。まさに個人情報そのものを集めて公開しようというのですから。

私は某マイナー作家のことを調べたことがあります。ある私立大学に「その作家が在籍していたかどうか。していたならどの期間か」を調べたい、と打診しましたが、「ご遺族ですか」と言われ「研究者です」と返したら、「申し訳ありません」と丁寧に謝絶されました。その大学は文学者もたくさん輩出してきた有名研究大学ですが、そこでさえ、こんな感じです。

もう昔のような作家の本当に細かな履歴が書いてある辞典は作れない、というのが大方の一致した研究者の見方と思います。

とまあ、たとえばこんな感じで、プライバシーをめぐる文学の文化生態系は変わってきています。われわれは、今その中にいます。柳美里以降、ソーシャルメディアの時代を迎えて、生態系はさらに変化をしているようです。

これからどう現代小説を引用していくのか

私見です。公開されたプロの作家の作品や、図書館や地域の文化施設に寄贈されている同人誌に載っている小説、詩については、著作権法の許す範囲でがんがん引用して、誉めるなりdisるなりすればよいと思います。

これらの「公開モード」の作家およびその作品は、「近代」的な文学生態系のなかにいると想定されるので、仮にさらし上げてもほぼ大丈夫のはずです。そのかわり、反撃が飛んできますから、やる側にも覚悟が必要です。

一方、今回のpixivのアマチュア小説のような「半公開モード」の作品の場合は、古典文学研究がやっているような、配慮をする必要があります。それは法律論とは別のところにある、「ものごとをうまくまわすための配慮」の領域の問題です。

さいごに : 忖度と萎縮と検閲と

法律の範囲内なら、どんどんやればいいじゃないか!という意見もあると思います。そんな配慮より、学問の自由だ!的な。

私も数年前までは血の気が多かったので、そういう感覚に近かったですが、最近ようやく大人になってきました(笑)

法律でもなんでも、原則論の一本槍でいくと、結局総合的にみてうまくいきません。

松谷創一郎さんも言っていらっしゃいますが(https://news.yahoo.co.jp/byline/soichiromatsutani/20170527-00071377/)、今回、この炎上事件の結果、研究も萎縮し、書き手も萎縮し、大学は倫理規定を厳しくし、サービス運営会社はガードを固くして使い勝手を悪くする可能性があります。最悪です。

とりあえず、みんないったん、振り上げた拳を、ガードの盾を、降ろした方がいい。誰も得しない。私たちの現代文化(含む文学、含む研究、含むWebサービス)がますます窮屈になる一方です。

忖度も、萎縮も、過度の相互監視も、やめよう。

最後にいいたいのは、この立命館大の研究は、フィルタリングの自動化の研究ですよね?(読めていないので、間違っていたら、指摘してください)
これは、言い方を変えると、機械による自動検閲(につながる)装置の開発です。

「有害」な情報から未成年者を守るというような目的があるのはわかります。

しかし、検閲による情報の規制が、私たちの社会の風通しを悪くしたり、知りたいことを知れなくなったり、議論の分かれる問題について、その問題となる原因の資料そのものへのアクセスを遮断することにつながる、という自覚を、この手の研究開発をしている人々には持ってほしいと思います。

技術として可能性を追求するのはいいけれど、それを社会に適応したとき、社会の中で振るってしまう力、効果などについて、思いをいたしてほしい。

私はこの文章を書くために、元論文を読みたかったのですが、それがいまできなくなっています。「有害」だというその小説が本当に有害なのかどうかも、確かめたい。しかしそれもできなくなった。

議論のために情報の公開性が保たれなければならないというのは、たとえばこういうことなのです。

最近いただいた本 20170509

つづきです。御礼状を書かねば。GWに、と思っていたのですが、矢のように飛び去り…。
不義理すぎて顔向けできない。うう。

それにしても、大著揃いだ。すごい!


www.kinokuniya.co.jp

www.kinokuniya.co.jp

www.kinokuniya.co.jp

www.kinokuniya.co.jp

最近いただいた本・雑誌 20170508

遅くなりましたが、最近いただいた本を紹介いたします。
全部にコメントをしたいのですが、追いつきません。ごめんなさい。上から順にやっていまして(部分的にはTwitterで紹介してました)、このあと、追記していきたいと思っています。全部やってから、と思ったんですが、それだと公開がいつになるかわからないので(^^;)

まだあります。その2をアップします。




www.kinokuniya.co.jp

野網さんより頂戴しました。漱石の「明暗」に出てくる漢籍『明詩別裁』や呉梅村の詩などを基軸に、作品の世界を読み広げていく試み。大作家・漱石が想定していたはずの高度な読者(=漱石自身と野網さんは仮定する)なら、作品をどこまで押しひろげて読んだだろうか、それを追求してみようと序文は言います。「漱石」というのか、「読者」というのか、はたまた「テクスト」というのか、あるいは「インターテクスト」や「注釈」というのか、立場によって違うでしょう。けれど、こういう緻密で複雑な、言葉と言葉のからみあい、呼び合いを解きほぐしていくのが、文学研究の醍醐味の一つであるのは確かでしょう。

www.hanmoto.com

大東和重さんより頂戴しました。
航路から読み直す文学と思想の歴史。とても面白い。海の発想は陸とは違う。それは国境により区切る思考ではなく、つないで覆う思考。航路はそこに人間が打ち立てた道標──航跡。橋本順光氏による「はじめに」「序章」は、幸田露伴の「海と日本文学と」を起点に、この領域/海域を概観しようとする充実した記述となっている。
どの章も面白いが、注の付け方がちょっと気になる論考もいくつかある。一次文献には詳細な注が付いているが、二次文献への言及が極端に少ないか、ほとんどない(ちゃんと付けている章もある)。私はこういう書き方はフェアではないと思う。


poetic-effects.cocolog-nifty.com

西田谷洋さんより頂戴しました。
ここしばらく続けていらっしゃる、ゼミの学生たちと国語教科書教材・作家を読む試みの一つ。あまんきみこでは2冊目になります。それぞれの論考は短いものですが、作品を読むためのキーワード──「空間構造」「変身」「比喩」「時空間の縮減」「外部記憶としての異空間」などが多数ちりばめられており、今後作品に向き合う読者の手がかりとなることでしょう。

www.hanmoto.com

www.hanmoto.com

www.hanmoto.com

www.hanmoto.com


www.hanmoto.com

honto.jp

www.hanmoto.com

www.hanmoto.com

www.amazon.co.jp

上田敏「うづまき」注釈
監修 木股知史

論樹 28号

リテラシー史研究 10号

繍 29号

アメリカ文学評論 Review of American Literature 25号

ミサイルが飛んで、新しい隣組の結成を祝おう

今日(29日)はアニメ・特撮脚本家で小説家の辻真先さんの講演を聞いた。いい講演だった。心から御礼を申し上げたい。

講演の題を「ぼくは戦争の匂いを嗅いだ」とした辻さんの危機感は深いのだと思うが、語り口は温和かつなめらかで、まるで落語か講談を聞いているようなおかしみもあった。

辻さんは、聴衆の大多数が反安保、反安倍の人々だということを十分に理解し、意識しており(講演は「名大アゴラ」という安保法制に反対する会の主催だった)、それゆえに「大声で反対したってだめだよ。だれも聞きやしない」という趣旨のことを繰り返し言っておられた。

「たとえばみんなが「反対」というなかで「反対」っていったってだれも聞きやしない。「反対」の中で「賛成」っていうから、みんな話を聞くんだ。「賛成」の中にちょっと「反対」を混ぜるとかね、そうすればいい。」(大意)


「私はずっと子ども向けのアニメを作ったり、SF小説を書いたりしてきた。そういうなかで工夫をしていた。009の「太平洋の亡霊」なんかはそうやって作ったつもりです」(大意)


「戦争は怖いものだと思っているかもしれないけど、そうじゃないよ、多くの人にとって戦争は楽しいものだったんだ。だって日本は日清日露以来ずっと戦勝国だったんだ。」(大意)


「昭和15年頃まではね、けっこう賛成派・反対派が押したり引いたりしていた。そのあとはどどどっといったけどね。今は昭和15年ぐらいと似ているね」(大意)


「本当に怖いのはね、「いい人」なんだよ。善人が怖い。善人は自分がいいことをしているってことを疑わないからね」(大意)


「本当にはじまっちまうと何も言えなくなるからね、言える今のうちに言えることは言った方がいいと思って、私は言ってます。」(大意)

全部「大意」です。私が私の都合のいいように聞き間違いをしているかもしれない。IWJが録音していましたので、いまに放送されるかもしれません。正確なご発言はそちらで。名大アゴラでもまた案内します。

テレビのニュースでは「ミサイル」「ミサイル」ずっと言っていた日だった。東京のメトロは止まったそうだ。それが実際のところ、市民にどれだけの恐怖を与えるのか、メトロの中の人は考えたことはあるまい。

いや、むしろ「乗客の安全」を優先させたのだ、というのだろう。実際に迫った危険はさておいて、万が一のための乗客の安全を考え、そして自分たちの保身を考え、念のために、列車を止める。

災害を避けるためには、必要なことだろう。避難訓練の訓示でも、この前の雪崩の事故でも、専門家やメディアは常に同じことをいい、私たちの社会は万が一のために「安全策」をとることをよしとしてきた。

私も、それでいいと思ってきた。

しかし、今回はっきりしたのは、対外的な「危機」に際してこれを行うと、明確な国民への恫喝になるということである。万が一への安全の配慮が、むしろ国民を戦時体制へと押し流していくという逆説。私たちの来たるべき今度の戦争は、綿密な安心安全への配慮の網の目の、まさに真っ只中に現れるのかもしれない。

ミサイルが飛んでくるかもしれないので、念のために逃げましょう。念のためにシェルター買いましょう。念のために下校しましょう。念のために、念のために、万が一に備えて、一応、そうしましょう。

そうして気がつくと、戦争は私たちの生活の一部になる。私たちは戦時体制の中の人になる。

とんとんとんかららっと、となりぐみ。そうだ。先の戦争の隣組も、きっと助け合いの、頼りになる組織だったに違いない。そうして私たちのじいちゃんばあちゃんは、助け合って監視しあって、力一杯まごごろこめて戦争に献身したのだ。

ナチスゲーリングは言ったという。戦争を始めるのは簡単だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない、と。

今日、会場で出た二つ目の質問は、「北朝鮮はもう事実上の宣戦布告をしているんですよ!」(大意)という、危機感に満ちあふれた「善意の方」からの質問だった。たしか以前も別の「善意の方」が、「名大は平和ぼけだ(怒)」(大意)とお叱りなさっていった。

大臣たちは外遊。国民はミサイルで脅されて、いやな感じのなかでGWを楽しもうとしている。5歳の息子はレゴブロックで戦艦を作っていた。

私たちの新しい隣組の結成は、案外近いかもしれない。
開始の号令は、まずはミサイルよけの避難訓練からだ。

台北雑記20170426――花蓮の本屋、煙草工場、青田街、植民地ノスタルジー

24日から4日間の日程で、台北に来ている。f:id:hibi2007:20170426182344j:plain:w300:right
政治大学と東呉大学の先生が招いて下さり、講演をさせてもらったのである。お題は、戦前の内地外地を結んだ書物の流通について、という目下私が追いかけているテーマである。台湾について、少し力点をおいて話をしてきた。

講演と講演の間の時間に、人に出会ったり、いくつか場所を訪問したりしたので、備忘を兼ねてメモしておこう。

1.花蓮の本屋さんがらみ

講演の会場に、社会人学生の方が聴講に来て下さっていた。社会人学生といっても、御年84歳。日本語世代である。

この方、花蓮のお生まれの方だったが、ご自宅の倉庫を本屋さんに店舗として貸していたという、私のような研究をしているものにとっては、おいそれと出会えない経歴の持ち主であった。もちろん、記憶のあるその当時でもこの方は小学生だったので、書店の詳しい商売のことをご存じのわけではない。しかし、あまり詳しくは書かないが、いろいろとその現場ならではの細部が聞けて、興味深いことであった。

2.松山文創園区あるいは松山煙草工場

f:id:hibi2007:20170424184047j:plain:w300:leftまた別の人と会うときに、待ち合わせの場所として、松山文創園区が指定された。どんなところかと思って調べてみると、旧煙草工場であった。台湾総督府時代の専売局の工場であり、戦後はそのまま台湾が引き継いだ。いまは、美術館やカフェ、個人制作の小物などを売る店が集まって、まさに“文化創造空間”となっている。

f:id:hibi2007:20170424185540j:plain:w100:right真横には、巨大なドーム競技場が建設中だ。緑と池を抱えた公園、旧煙草工場、現代的なデパートとホテル、そして建築中のドームがぐるりと見渡せるここは、なんだか台湾の過去と現在を一気に圧縮してみられるような、そんな気分にさせられる場所だ。
www.taipeinavi.com

3.青田街あるいは昭和町

f:id:hibi2007:20170426181006j:plain:w300:rightW老師に教えてもらって、講演のあと、青田街に行ってきた。ここはかつて昭和町と呼ばれた一角で、台北帝国大学の教員宿舎が集まっていた。いまは、残された何軒かがリノベーションされて、レストランや茶館、展示スペースなどになっている。統治時代の高級官舎がどんなだったのかがうかがえる、面白い場所である。

solomo.xinmedia.com

www.lib.ntu.edu.tw


そういえば、台湾の書店がらみで、この前別の方のお話も聞いたのであった。その方は、日本人だが京城生まれ、台北育ち、そしてお父様が台北帝大の教員だった。官舎にいたと言っていたので、それはもしや青田街のことだったのではないか、といま思い当たる。地図を見ながら話を聞いたが、そういえばこのあたりを指さしていたと思う。つながるものだ。

青田街は、津島佑子『あまりに野蛮な』が材料を取っているという話も聞いた。
太過野蠻的(あまりに野蛮な) « 臺灣原住民族圖書資訊中心部落格


4.植民地ノスタルジーあるいは――

毎回、旧外地がらみの調査・研究・報告・講演などで旧植民地や旧租界、旧租借地などに行くと、私は煩悶する。このブログでも何回がグジグジ書いている気もする。私は帝国日本およびその植民地の文化の研究をしており、批判的にかつての帝国の悪行を見たり、それが残した多面的な「遺産」のあり方を考えたりしようとしている。

が、一方で、私は素朴なレベルで植民地時代の遺物(土地、建物、文物など)を見るのが好きである。

魅かれると同時に、魅かれる自分にさもしさを感じずにいられない。帝国の文化、植民地の文化について話すとき、いまだに自分がどのような姿勢で話せば良いのか、うまくバランスが取れない。聞き手が日本人の時、台湾人の時、韓国人の時、中国人の時、私は、日本人の私は、日本語で話す私は、どのような顔でどのような姿勢で話せばいいのか、いまだにわからない。

一方、台湾の都市に顕著だが、韓国でも中国でも、戦前の日本関係の建物をリノベーションしたり、そのまま手を入れたりして、観光資源にする例にしばしば出会う。青田街へも、煙草工場へも、流行に敏感そうな10代、20代ぐらいの台湾の人(多くは女性)たちが訪れていた。おしゃれに改装されたレトロな雰囲気の建物は、現代の感性に訴えるものがある。自分でもそれは肌で感じる。

この、居心地の悪い感情や状況を、私はここ数年、個人的用語として「植民地ノスタルジー」とか「ポストコロニアル・ノスタルジー」などと勝手に呼んでいる。

(いまふと検索してみたが、同じような用語・関心で論文を書いている人はやはりいるようだ。まだabstractしか読んでいないが)
Engaging Colonial Nostalgia — Cultural Anthropology


支配側と被支配側の双方で同時に見られる――がしかし対称ではない――これらの感情や行動は、郷愁であると同時に郷愁の形からはみ出る何かである。観光化であると同時に観光を超えた何かである。魅力的であり同時に醜悪でもある。植民地の遺物をめぐって旧支配側と旧被支配側が出会う場であり、同時にまたすれ違う場でもある。

いつか、この入りくんだ感情と状況について、もう少し具体的に論じてみたいと思っている。

追記:

なお、私のような頭でっかちの人間にとって、「現地」に行くということはとても大事である。

いま、台湾でも韓国でも資料のデジタル化が急速に進んでいる。日本にいても、しかるべきユーザー登録をしていたりすれば、けっこう資料が見られたりする。中国の戦前の日本関係資料はいま現地ではぜんぜん見せてもらえないので、日本で調べた方が資料的には多い。日本にいながらにして植民地文化研究はできてしまう。

しかしそれでも私は、現地にいくべきであると思う。現地に資料がなく、現地の文物が消え失せていたとしても。

なぜなら、植民地文化を考える者たち(何人であっても)は「現地の現在」に出会うべきだからである。そこには植民地帝国の影響が残存していたり、まったくそれとは関係のない生活や思考が営まれていたりする。そうした「現在」に接触しないで、自分のいる国内だけで思考や作業を行っていると、出会うべき対話の相手の姿を見失ったり見誤ったりすることになる。

そして出来得るならば、現地語をたとえ少しでも知った方がいい。なかなかハードルは高く、私もぜんぜん進歩しないわけだが…。