日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

附属図書館の雑誌購読中止が、大学間格差を加速させる

www.j-cast.com

J-CAST は、高騰する電子ジャーナルの購読費の問題も、あわせて書くべきだった。関連企業の商売のあこぎさも、あわせて。

阪大図書館においてさえこうである。いわんや他大学においてをや。図書館予算を逼迫している原因の一つは巨額の電子ジャーナル購読費にある。紙・電子ともに、必要な雑誌記事は複写サービスでも取り寄せられるが、自分の大学内で「アクセス権/環境」があるかどうかは、教育研究環境の質に大きく関わる。論文データベースで検索してから、実際にその論文を入手するまでの、手間と時間が、まったく異なるからである。その一手間、その数日が、研究の速度・能率・意欲を微妙に、しかし長期的に押し下げる。

大学間の図書館格差が開きすぎた米国では “他大学のデータベースにアクセスさせてもらうための出張助成金” さえあるという。日本もそうなっていくのか。(以前書いたこちら「デジタル化と大学図書館の未来──横田氏講演の感想メモ - 日比嘉高研究室」参照)

大学間の格差を是認し、助長さえしている文科省の政策は、こうして学生や教員の身近なところでボディーブローのように効き、劣勢に立たされた大学をさらに下へと追いやっていく。



追記:

この話、思わぬ続編が出た。
www.asahi.com

大阪大と箕面市は12日、外国語学部がある箕面キャンパス(箕面市粟生間谷東8丁目)を2021年春、北大阪急行線が延伸する船場東地区に移転させることで正式合意した。新キャンパスには教育研究施設に加えて学生寮も整備し、大学の図書館には市立図書館の機能も持たせるという。

また、市が教育研究施設の近くに図書館や生涯学習施設を建設し、大阪大が管理・運営を引き受ける。この図書館は学生と市民が利用できるようにし、大学図書館と市立図書館の両方の機能を兼ねるという。

http://www.asahi.com/articles/ASJ4D5JTMJ4DPPTB00Q.html

「新キャンパス〔の〕大学の図書館には市立図書館の機能も持たせる」って、絶句。役割も蔵書の質も違いすぎる…。専門雑誌の購読を止めて、同じベストセラー小説を20冊入れたりとかするのだろうか?

名大アゴラ 第1回 大学の〈知〉の現在を考える

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最近いただいた本 β

色々頂戴しております。ほとんど御礼ができておらず、申し訳ないかぎりです。なんとかします…
ともかくも、まずはリストアップ。順不同です。まだ記入途中ですので、漏れについてはお許しを(4/12)。

芸術家たちの精神史: 日本近代化を巡る哲学

芸術家たちの精神史: 日本近代化を巡る哲学

青の魔法

青の魔法

虚構の生 (金沢大学人間社会研究叢書)

虚構の生 (金沢大学人間社会研究叢書)

竹島 ―もうひとつの日韓関係史 (中公新書)

竹島 ―もうひとつの日韓関係史 (中公新書)

アトミック・メロドラマ: 冷戦アメリカのドラマトゥルギー

アトミック・メロドラマ: 冷戦アメリカのドラマトゥルギー

土田杏村の思想と人文科学

土田杏村の思想と人文科学

谷崎潤一郎と芥川龍之介―「表現」の時代

谷崎潤一郎と芥川龍之介―「表現」の時代

触感の文学史 感じる読書の悦しみかた

触感の文学史 感じる読書の悦しみかた

世界の高等教育の改革と教養教育―フンボルトの悪夢 (叢書インテグラーレ)

世界の高等教育の改革と教養教育―フンボルトの悪夢 (叢書インテグラーレ)


立命館大学国文学研究資料館「明治大正文化研究」プロジェクト編『近代文献調査研究論集』(国文学研究資料館 研究成果報告書)

小林善帆編『植民地期朝鮮の教育資料Ⅱ』(国際日本文化研究センター

近代文学試論』53号、広島大学近代文学研究会

『九大日文』27号

『論樹』27号

富山大学国語教育』40号

『繍』28号

『ヘルン研究』創刊号

教育にお金を  「娘の除籍」毎日新聞2016年3月31日

つらい記事だ。

娘の除籍 東京都港区・匿名希望(会社員・55歳)

毎日新聞2016年3月31日 東京朝刊



 11万5000円の学納金を納めることができず、娘が大学を除籍になりました。

 数年前、私は正社員として10年以上勤めた会社を、身内の介護のため辞めざるを得ない状況となりました。

 当時高校生だった娘は、通信制高校へ転校しました。

 娘は高校卒業後2年間は、バイトで入学費用をためつつ受験勉強しました。

 そして昨年ようやく入学した大学でした。

 その直後に、私は会社の勝手で解雇されました。

 娘は奨学金でなんとか通い続けました。

 私がこの2月より新たな職に就き、またダブルワークでこれからいろいろと上向きになる、と思っていたところに受けた除籍通告でした。

 両親も既に他界しました。母子2人、必死に必死に、生きてきました。

 私は親として、つらい気持ちで張り裂けそうです。

 どこにこの思いを話しても、ようやく入学した大学を除籍されるという事態は変わりようがありません。親としてふがいなさだけが残りますが、これが現実なのですね。

 非正規雇用の母子家庭として、我が家が直面した状況は、今の政策が、本当に私たちレベルの庶民の現実など、全く理解できていない人々によって生み出されたことを物語っています。

 どうぞ、学びたい若者の希望をかなえられる社会になりますようにと、願ってやみません。

http://mainichi.jp/articles/20160331/ddm/013/070/028000c

昔、経験したことだが、教授会が除籍の判断をするとき、必ず名前が挙がってくる一人の学生がいた。○○日までに入金がないと、除籍になる、と事務の人が説明した。私はその学生のことを知っていたので、ほんとうに毎回つらかった。何もしてあげることはできなかった。

毎回、その期日に向けて、家族やその学生自身は、どのような苦労や無理をしていたのだろう。どのような気持ちでいたのだろう。私はそれを想像するしかない。

その学生は四年間で卒業することができた。いま、元気に働いているはずだ。ほんとうに、よかった。

けれど、世の中には、そのようにしてその期日までに入金を間に合わせることができなかった学生が、たくさんたくさんいるのだ。この記事のように。そしてその数は、増えているのだろうか。

教育は、貧困から抜け出すための大切な道の一つだ。教育によって救われるのはその人個人だけではない。彼女の今の家族も、未来の家族も、みな上昇する可能性が高くなる。それが教育の力だ。

回すべきところに、お金を回して欲しい。

馬鹿げた戦闘機に3600億円払えるのなら、そのうちのわずかでも、こういう家庭に回してくれ。心の底からお願いするよ。

JunCture 7号の訂正

『JunCture 超域的日本文化研究』7号の日比の著者紹介において、所属が一橋大学となっていますが、名古屋大学大学院文学研究科の間違いです。変わりありません。また、同じ紹介で「戦前外地の書物流通(1)」とある後ろに 」 を補う必要があります。

今回、このページについて著者校正をすることができず、このようなミスとなりました。お詫びして訂正します。

2015年度の仕事 書き物系 まとめ

けっこうがんばりました。個人史的にはレコードかな(量的意味で)。

単著、編著、共著

  • 『いま、大学で何が起こっているのか』単著、ひつじ書房、2015年5月

いま、大学で何が起こっているのか

  • 『メディア――移民をつなぐ、移民がつなぐ――』編著、クロスカルチャー出版、2016年2月、担当「はじめに――つなぐメディア、つなぐ人々」pp.1-9、「第8章 〈代表する身体〉は何を背負うか――一九三二年のロサンゼルス・オリンピックと日本・米国・朝鮮の新聞報道――」pp.217-244

メディア―移民をつなぐ、移民がつなぐ (クロス文化学叢書)

作家/作者とは何か: テクスト・教室・サブカルチャー

学術論文

  • 「越境する作家たち――寛容の想像力のパイオニア――」『文學界』第69巻第6号、2015年6月、pp.218-236
  • 「詩がスポーツをうたうとき――1932年のロサンゼルス・オリンピックの場合――」『跨境 日本語文学研究』第2号、2015年6月、pp.111-124
  • 「内地-外地を結ぶ書物のネットワークと朝鮮半島の小売書店――日配時代を中心に――」『翰林日本學』翰林大學校日本學研究所、第27輯、2015年12月、pp.31-50
  • 樺太における日本人書店史ノート――戦前外地の書物流通(3)――」『JunCture 超域的日本文化研究』第7号、2016年3月、pp.58-67
  • 「国際スポーツ・イベントによる主体化――一九三二年のロサンゼルス・オリンピックと田村(佐藤)俊子「侮蔑」――」『名古屋大学文学部研究論集 文学』62、2016年3月、pp.245-253

その他

  • 「私たちの存在意義をどう説明し直すか」『日本近代文学』日本近代文学会、92集、2015年5月、pp.159-165
  • 「外地書店を追いかける(5)――台湾・新高堂と台湾日日新報社書籍販売部――」『文献継承』金沢文圃閣、第27号、2015年10月、pp.13-14
  • 「2041年大学未来記 」『文學界』第69巻第12号、2015年12月、pp.227-238
  • 「外地書店を追いかける(6)――台湾日日新報社の台湾書籍商組合攻撃――」『文献継承』金沢文圃閣、第28号、2016年3月、pp.4-7
  • 「踏みとどまること、つなぐこと――人文社会科学の意義と可能性――」『高知人文社会科学研究』第3号、2016年3月、pp.55-66

国際スポーツ・イベントによる主体化――一九三二年のロサンゼルス・オリンピックと田村(佐藤)俊子「侮蔑」

名古屋大学文学部研究論集 文学』62、2016年3月31日、pp.245-253


後日、名古屋大学リポジトリで全文が公開の予定です。

[要旨]
この論文では、田村俊子の短編小説「侮蔑」を取り上げ、オリンピックが日系二世たちにどのような受け取られ方をしたのか、その表象を分析する。田村俊子は1936年にカナダから帰国し、1938年に上海へ旅立つまでに、数編の日系二世を主人公にした小説を描いている。移民地で、移民の二世として、また亜米利加合衆国の排日の風潮の中、マイノリティの若者として生きることのむずかしさを描いた作品が多い。「侮蔑」もまたその一つである。作品の表現を分析しながら、オリンピックがスポーツだけでなく「教養」や「品格」、「スピリツト」を問い、人種間の優劣を測る尺度に影響を与え、ナショナリズムという回路を通じて見る者の「血」に訴えかける巨大な装置なのだと結論づけた。


Subjectification through an International Sports Event: The 1932 Los Angeles Olympic Games and Toshiko Tamura (Sato)’s “Bubetsu (Scorn)”

Yoshitaka HIBI


Analyzing Toshiko Tamura (Sato)’s “Bubetsu (Scorn)”, this paper explores how second generation of Japanese immigrants, the so-called Nisei, conceived of the 1932 Los Angeles Olympic Games. In the two years between her return to Japan from Canada in 1936 and her departure for Shanghai in 1938, Toshiko wrote a number of novels with Nisei protagonists living in the United States. Most works depict the difficulties to live as minority youths during the anti-Japanese sentiment in the United States of the 1920-30s. “Bubetsu” was the one such novel. Trough an analysis of the representation of Nisei and the Olympic Games in the text, I show that apart from being a sports event, the Games function as powerful device to measure the level of educational and cultural refinement, as well as the spirit of the athletes. Ultimately, they became a scale for measuring excellence of each ethnic group or race, appealing to the audience’s “blood pride” through nationalistic enthusiasm.

Keywords: Toshiko Tamura (Sato), “Bubetsu (Scorn),” Olympic Games, Los Angeles, sports event