日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

記憶のこと

 京都教育大の国語科の学生は卒業時に文集をしばしば編む。今回、頼まれて寄せた文章をちょっとだけ補訂して載せておくことにする。ザ・ブンガク系文体でいってみた(笑)

記憶のこと

彼女からふと香りがたった。何気なくかいだその香りが、一つの風景を唐突に呼び起こした。「アメリカを思い出した」と私はいった。けげんな顔をした彼女は、思い当たったように「そういえばこれはロサンゼルスにいるときによく付けていた香水」といった。

記憶は突然到来する。いつだったか、何気なくかけたCDの一曲が、私をある場所へ連れ出した。片側四車線の広い幹線道路。中央分離帯の上には都市高速の大きな影がそびえる。比較的細い道路がその幹線道路に直交しており、その細い道が延びる先に、会場がある。私は高校生で、その会場で開かれる部活動の試合にこれから出かけるのだ。17か18歳の私は、ウォークマンでその音楽を聴いていた。

夏目漱石の「文鳥」は、そうした記憶の到来を語る作品である。部屋にやってきた小さく華奢な文鳥を眺めるうちに、自分はふとかつて接した年上の美しい女のことを思い出す。紫の帯上の房で、彼女の首筋を撫でて悪戯をした。その二、三日前、彼女は縁談が決まっていた。
脈絡もなく突然つながれる文鳥の場面と女の場面は、しかしながらその唐突さゆえに我々の記憶のあり方の自然を描き出す。

私はよく忘れる。大切なことも、必要なことも、忘れたいことも、忘れたくないことも忘れる。心に強く残ったことや、大切だと思ったことは忘れないというが、それを私は信じないようになっている。あれほど克明に覚えていたはずの、かつての深い失恋の道筋も、いまや断片的にしか思い起こせない。いくつかあるはずの重要な記念日も、その多くは忘れ去っている。

私の18歳まで住んだ家は、大学時代に取り壊されて新しい家に建てかわった。おどろくほど狭く細長い敷地に、庭があり、家があり、前面の道路に接して祖父の仕事小屋があった。そう、その家には門さえあった。(私は長らくそのことを忘れていた。)ひと二人すれ違うことも難しいその門の両端はコンクリートの門柱で、深い紺の鉄のパイプの門扉があった。私たち兄弟はよくその門に足をかけてよじ登り、祖父に叱られたものだ。夜になると、私はしばしばその門を閉めてくるよう言われた。玄関から子供の足でも10歩と歩かないその門までの道のりは、家の正面にある神社の木々の夜の深さに飲み込まれるように暗く、鉄の門は静かな闇の中に不必要なほど軋った。

私はその家の細部を忘れている。しかしその記憶の断片は、何かの拍子にふとよみがえって今の私を驚ろかす。記憶は対話的なものだ。今の私の問いかけに応じて、ほの暗いどこかからゆっくりとやってくる。またその対話は、向こうから呼びかけてくることもある。

記憶の不思議さを思うにつけ、人に伝えることの難しさを思う。教師の端くれとしての私には、目の前で伝わることを喜ぶ気持ちがあり、伝わらないことをもどかしく思う気持ちがある。
しかし、伝わること、残る事というのは、その何かに応じて速度が違うのかもしれない。あるいは伝わり、残る様が違うのかもしれない。

このごろ折に触れて思い起こす大学時代のとある授業は、私が当時熱心に受けていた授業ではなく、この頃まで記憶の奥底で忘れ去られていたものだ。だが今、私はしばしばその先生の授業を、その先生のたたずまいとともに想起し、資料から想像した光景を思い出す。

自分が何かを残したかと問い返すときに、自分自身の意志をこえて消え去り、また到来する記憶の不思議さは、いま深い慰めである。



日比嘉高 2009.3.25