追記 その「仕事」を解除せよ
前のエントリに対し、Facebookで大事なコメントを返していただいたので、それに対する私の応答を転載して、追記しておきます。個人名など、最小限の修正はしています。
(以下)
「遊び」の意義を強調する私の考えに対して、「それはある程度の経済的保証がされていての話でしょう」というつっこみが入るだろうということは、ずっと気にかかっていました。
私たちの実際の生活感覚として、そのとおりだからです。「遊び」が人の「仕事」の基層にあるという図式は、幅広く妥当するはずだと思いますが、それを前面に出すことが、別の問題を引き起こしかねない、というご指摘は、もっともなものだと思います。
とくに私たちの身近なところでは、非常勤講師や任期付き雇用の問題が、該当しますね。「それはあなたが(私が)、好きでやっていることでしょう(なのだから)」という形で、金銭的社会的保証の責任の所在があいまいにされてしまうとしたら、それはまさに仰るとおり搾取としかいいようのない事態ですね。居酒屋甲子園的な、「主体的」やる気を盾にとって搾取する、ひどい事態になりますね。
一方で、経済至上主義的な圧力に対して、「遊び」の領域を確保することで、私たちが自分たちの心と体を守り、自由を守り、圧力を逸らしていけるということも確かだと思います。
戦略を使い分けながら、よりよく生き延びよう、ということになるでしょうか。