とりあえず近況
このブログの設置目的は実は「業績の整理」なのだが、〈無駄話〉なる項目を作ってしまっているがゆえに、その実際の運用は曖昧な状態である。あまり、日記風にする気はない。が、自分でも多少は近況を書きたくなることがあり、またそういうのを楽しみにしている読者もわずかながらいるようである。で、まああまり厳密に考えると、どっちにしろ硬直化して良くないので、あいまいにしておこう。
さて、近況。名古屋に引っ越し、いまシアトルにいる。そんなこんなで、書きたいことがけっこうあるわけであるが、書き出すと一つ一つ長くなりそうなネタばかりなので、とりあえず今日は箇条書きにしておくとする。
- 引越と境界的状態について。
- 引越は、社会の他の境界的状態(卒業・入学とか退職とか、病み上がりとか)と同じく、どっちつかずの両義的状態に置かれて、非常に不安定である。ここのところ一、二ヶ月そんな状態に置かれ続けているので(今も)、いろいろ考えたり感じたりする。境界状態にいると、疑似無所属ゆえにさまざまな空間や集団や時間のまとまりに敏感になるし、同時にそれらの間の障壁に敏感になる。空間の特徴に気づくし、集団の性格について考えるし、来し方行く末を考えるし、人と接触するとき感触に鋭敏になったりする。
- 概念(=カテゴリ)の獲得と世界の見え方の変容
- 大げさな題だがゴミの話。
- 名古屋のゴミの分別はすごい。「容器包装ゴミ」といわれて大多数の人はピンとくるまい。ましてや、それに「紙」と「プラ」があるとかいわれると、「…?」であろう。
- ところが、その概念の体系=カテゴリ構造をいったん身に着けると、世の中の見え方が変わるのである。これまで「燃えるゴミ」だったものが、「容器包装ゴミのプラ」と「容器包装ゴミの紙」と「燃えるゴミ」とに分化して見えてくるのである。驚くぜ。
- これは見え方の問題にとどまらず、振る舞いにも影響する。はっきり言ってめんどくさい。だから、私はどうするようになったかというと極力ゴミになるものは手に入れないようになった。この体制になって以降、名古屋市のゴミは激減したとたしか聞いたことがあるが、むべなるかなである。
- ちなみに、もちろんこの他に「不燃物」があり「資源ゴミ」があり、後者には「ビン」と「カン」と「ペットボトル」があることは言うまでもない。もしかしたらもっと他にあるかもしれないが、それが想起できないぐらいに、充分に複雑である。
- アメリカの大多数の飲食店は、使い捨ての食器を使う。そりゃファストフードだけだろ、というつっこみがあるかもしれないが、大多数の飲食店がファストフードなのがアメリカである。ゴミ箱は、1種類か、まれに二種類である。つまり、アメリカ人の「ゴミ」の概念はたいへんに包括的であると想定される。
- 2002年にはじめてロサンゼルスでうどんを食べたとき(Tsunamiという店だった。意味深いんだか浅いんだか(笑))、残りの汁をどうするか非常に困った。むろん、ファストフード店であった。返却口はない。しばらく周囲を観察したところ、方法は二つしかないことを理解した。完飲するか、汁ごとゴミ箱に捨てるか、である。その「うどん」と名づけられたヌードルにすでに相当閉口していた私は、申し訳なくも後者の道を選んだ。ゴミ箱の中がどうなるか(どうなっているのか)非常に非常に不安で心配になったが、捨てた。とくに破れてTSUNAMIが起こる気配もないようであった。
- 名古屋の18年+18年
- 名古屋生まれで18年そこで過ごして、18年ぶりに戻ったわけですが・・・
- 疲れてきたので、また今度(笑)
- なぜアメリカにいるかというと
- シアトルにあるワシントン大学に「Resident Scholar」という身分で呼ばれてきています。客員研究員みたいなものです。3週間の予定。
- 疲れてしまったので、写真で↓。続きはまた。
- 豚インフルエンザの件
- 妻から真剣な注意喚起があって初めて事態を知ったのだが。
- 今朝のテレビでは大した報道ではなかったが、徐々に扱いは大きくなってきているようす。
- 豚インフルエンザは、こっちではswine fluと呼ばれている。
- 日本のネットニュースや掲示板やらを見ると、そうとう騒いでいるようだが、どうも私の英語が不十分なせいもあろうが、ケーブルテレビが発達しているためなのか、シアトルがメキシコから遠いせいだからなのか、豚インフル一色という感じはまったくない。
- CNNを見ていても、私が見た範囲でも今日は豚インフルに大学教授による三人殺人にフロリダの警察官二人殺しに11歳の少年のいじめ自殺に竜巻に山火事にと、日本ならトップニュースだろなーというのが、目白押しであった。広くて色んな人が住んでいる国であるなぁ、と実感する。
- が、アメリカにいるならともかく、日本に三週間後に帰る私は、日本標準で考えねばならない。さて、入れてもらえるんだろうか。
- 続きを乞うご期……いや、これはどの角度から考えても、シリアスな話であった。