日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

最近いただいた本 β

色々頂戴しております。ほとんど御礼ができておらず、申し訳ないかぎりです。なんとかします…
ともかくも、まずはリストアップ。順不同です。まだ記入途中ですので、漏れについてはお許しを(4/12)。

芸術家たちの精神史: 日本近代化を巡る哲学

芸術家たちの精神史: 日本近代化を巡る哲学

青の魔法

青の魔法

虚構の生 (金沢大学人間社会研究叢書)

虚構の生 (金沢大学人間社会研究叢書)

竹島 ―もうひとつの日韓関係史 (中公新書)

竹島 ―もうひとつの日韓関係史 (中公新書)

アトミック・メロドラマ: 冷戦アメリカのドラマトゥルギー

アトミック・メロドラマ: 冷戦アメリカのドラマトゥルギー

土田杏村の思想と人文科学

土田杏村の思想と人文科学

谷崎潤一郎と芥川龍之介―「表現」の時代

谷崎潤一郎と芥川龍之介―「表現」の時代

触感の文学史 感じる読書の悦しみかた

触感の文学史 感じる読書の悦しみかた

世界の高等教育の改革と教養教育―フンボルトの悪夢 (叢書インテグラーレ)

世界の高等教育の改革と教養教育―フンボルトの悪夢 (叢書インテグラーレ)


立命館大学国文学研究資料館「明治大正文化研究」プロジェクト編『近代文献調査研究論集』(国文学研究資料館 研究成果報告書)

小林善帆編『植民地期朝鮮の教育資料Ⅱ』(国際日本文化研究センター

近代文学試論』53号、広島大学近代文学研究会

『九大日文』27号

『論樹』27号

富山大学国語教育』40号

『繍』28号

『ヘルン研究』創刊号

教育にお金を  「娘の除籍」毎日新聞2016年3月31日

つらい記事だ。

娘の除籍 東京都港区・匿名希望(会社員・55歳)

毎日新聞2016年3月31日 東京朝刊



 11万5000円の学納金を納めることができず、娘が大学を除籍になりました。

 数年前、私は正社員として10年以上勤めた会社を、身内の介護のため辞めざるを得ない状況となりました。

 当時高校生だった娘は、通信制高校へ転校しました。

 娘は高校卒業後2年間は、バイトで入学費用をためつつ受験勉強しました。

 そして昨年ようやく入学した大学でした。

 その直後に、私は会社の勝手で解雇されました。

 娘は奨学金でなんとか通い続けました。

 私がこの2月より新たな職に就き、またダブルワークでこれからいろいろと上向きになる、と思っていたところに受けた除籍通告でした。

 両親も既に他界しました。母子2人、必死に必死に、生きてきました。

 私は親として、つらい気持ちで張り裂けそうです。

 どこにこの思いを話しても、ようやく入学した大学を除籍されるという事態は変わりようがありません。親としてふがいなさだけが残りますが、これが現実なのですね。

 非正規雇用の母子家庭として、我が家が直面した状況は、今の政策が、本当に私たちレベルの庶民の現実など、全く理解できていない人々によって生み出されたことを物語っています。

 どうぞ、学びたい若者の希望をかなえられる社会になりますようにと、願ってやみません。

http://mainichi.jp/articles/20160331/ddm/013/070/028000c

昔、経験したことだが、教授会が除籍の判断をするとき、必ず名前が挙がってくる一人の学生がいた。○○日までに入金がないと、除籍になる、と事務の人が説明した。私はその学生のことを知っていたので、ほんとうに毎回つらかった。何もしてあげることはできなかった。

毎回、その期日に向けて、家族やその学生自身は、どのような苦労や無理をしていたのだろう。どのような気持ちでいたのだろう。私はそれを想像するしかない。

その学生は四年間で卒業することができた。いま、元気に働いているはずだ。ほんとうに、よかった。

けれど、世の中には、そのようにしてその期日までに入金を間に合わせることができなかった学生が、たくさんたくさんいるのだ。この記事のように。そしてその数は、増えているのだろうか。

教育は、貧困から抜け出すための大切な道の一つだ。教育によって救われるのはその人個人だけではない。彼女の今の家族も、未来の家族も、みな上昇する可能性が高くなる。それが教育の力だ。

回すべきところに、お金を回して欲しい。

馬鹿げた戦闘機に3600億円払えるのなら、そのうちのわずかでも、こういう家庭に回してくれ。心の底からお願いするよ。

JunCture 7号の訂正

『JunCture 超域的日本文化研究』7号の日比の著者紹介において、所属が一橋大学となっていますが、名古屋大学大学院文学研究科の間違いです。変わりありません。また、同じ紹介で「戦前外地の書物流通(1)」とある後ろに 」 を補う必要があります。

今回、このページについて著者校正をすることができず、このようなミスとなりました。お詫びして訂正します。

2015年度の仕事 書き物系 まとめ

けっこうがんばりました。個人史的にはレコードかな(量的意味で)。

単著、編著、共著

  • 『いま、大学で何が起こっているのか』単著、ひつじ書房、2015年5月

いま、大学で何が起こっているのか

  • 『メディア――移民をつなぐ、移民がつなぐ――』編著、クロスカルチャー出版、2016年2月、担当「はじめに――つなぐメディア、つなぐ人々」pp.1-9、「第8章 〈代表する身体〉は何を背負うか――一九三二年のロサンゼルス・オリンピックと日本・米国・朝鮮の新聞報道――」pp.217-244

メディア―移民をつなぐ、移民がつなぐ (クロス文化学叢書)

作家/作者とは何か: テクスト・教室・サブカルチャー

学術論文

  • 「越境する作家たち――寛容の想像力のパイオニア――」『文學界』第69巻第6号、2015年6月、pp.218-236
  • 「詩がスポーツをうたうとき――1932年のロサンゼルス・オリンピックの場合――」『跨境 日本語文学研究』第2号、2015年6月、pp.111-124
  • 「内地-外地を結ぶ書物のネットワークと朝鮮半島の小売書店――日配時代を中心に――」『翰林日本學』翰林大學校日本學研究所、第27輯、2015年12月、pp.31-50
  • 樺太における日本人書店史ノート――戦前外地の書物流通(3)――」『JunCture 超域的日本文化研究』第7号、2016年3月、pp.58-67
  • 「国際スポーツ・イベントによる主体化――一九三二年のロサンゼルス・オリンピックと田村(佐藤)俊子「侮蔑」――」『名古屋大学文学部研究論集 文学』62、2016年3月、pp.245-253

その他

  • 「私たちの存在意義をどう説明し直すか」『日本近代文学』日本近代文学会、92集、2015年5月、pp.159-165
  • 「外地書店を追いかける(5)――台湾・新高堂と台湾日日新報社書籍販売部――」『文献継承』金沢文圃閣、第27号、2015年10月、pp.13-14
  • 「2041年大学未来記 」『文學界』第69巻第12号、2015年12月、pp.227-238
  • 「外地書店を追いかける(6)――台湾日日新報社の台湾書籍商組合攻撃――」『文献継承』金沢文圃閣、第28号、2016年3月、pp.4-7
  • 「踏みとどまること、つなぐこと――人文社会科学の意義と可能性――」『高知人文社会科学研究』第3号、2016年3月、pp.55-66

国際スポーツ・イベントによる主体化――一九三二年のロサンゼルス・オリンピックと田村(佐藤)俊子「侮蔑」

名古屋大学文学部研究論集 文学』62、2016年3月31日、pp.245-253


後日、名古屋大学リポジトリで全文が公開の予定です。

[要旨]
この論文では、田村俊子の短編小説「侮蔑」を取り上げ、オリンピックが日系二世たちにどのような受け取られ方をしたのか、その表象を分析する。田村俊子は1936年にカナダから帰国し、1938年に上海へ旅立つまでに、数編の日系二世を主人公にした小説を描いている。移民地で、移民の二世として、また亜米利加合衆国の排日の風潮の中、マイノリティの若者として生きることのむずかしさを描いた作品が多い。「侮蔑」もまたその一つである。作品の表現を分析しながら、オリンピックがスポーツだけでなく「教養」や「品格」、「スピリツト」を問い、人種間の優劣を測る尺度に影響を与え、ナショナリズムという回路を通じて見る者の「血」に訴えかける巨大な装置なのだと結論づけた。


Subjectification through an International Sports Event: The 1932 Los Angeles Olympic Games and Toshiko Tamura (Sato)’s “Bubetsu (Scorn)”

Yoshitaka HIBI


Analyzing Toshiko Tamura (Sato)’s “Bubetsu (Scorn)”, this paper explores how second generation of Japanese immigrants, the so-called Nisei, conceived of the 1932 Los Angeles Olympic Games. In the two years between her return to Japan from Canada in 1936 and her departure for Shanghai in 1938, Toshiko wrote a number of novels with Nisei protagonists living in the United States. Most works depict the difficulties to live as minority youths during the anti-Japanese sentiment in the United States of the 1920-30s. “Bubetsu” was the one such novel. Trough an analysis of the representation of Nisei and the Olympic Games in the text, I show that apart from being a sports event, the Games function as powerful device to measure the level of educational and cultural refinement, as well as the spirit of the athletes. Ultimately, they became a scale for measuring excellence of each ethnic group or race, appealing to the audience’s “blood pride” through nationalistic enthusiasm.

Keywords: Toshiko Tamura (Sato), “Bubetsu (Scorn),” Olympic Games, Los Angeles, sports event

戦前外地の書物取次――大阪屋号書店、東京堂、関西系・九州系取次など

『Intelligence』20世紀メディア研究所、16号、2016年3月31日、pp.134-148

本研究は科学研究費補助金(基盤研究(C)、課題番号15K002244)によるものである。

[要旨]

戦前の外地向けの書籍取次として著名なのは大阪屋号書店であり、その役割は大きなものがあった。ただ外地と内地を結ぶ書物流通が、大阪屋号書店によってのみ語られてきたという傾向がある。この論文では、大阪屋号書店の役割を再考しつつ、同じように外地と内地を結んで活躍した書籍取次商たちの活動を追いかけた。論文では、まず大阪屋号書店とその創立者濱井松之助、跡継ぎである濱井弘について、できるかぎり足跡を追った。さらに、元取次最大手の東京堂が外地においても大きな力を有していたこと、三省堂丸善がそれぞれ独自の支店網・取引網を広げていたこと、準大手の東京・栗田書店や、柳原書店等の関西系や菊竹金文堂および大坪書店といった九州系の大書店兼取次業者も外地において大きな商売を行っていたことを確認した。また大戦中には軍との連携のもとで、書店の外地進出も行われていたことを指摘した。


[title]
The Circulation of Books Between Japan and Its Overseas Territories Before World War II: Ōsakayagō-shoten, Tōkyō-dō, and Book Distributors in Kansai and Kyūshū.

[abstract]

Ōsakayagō-shoten was the foremost book distributor of the prewar period, covering most of Japanese overseas territories. Although there is no doubt that the company played a significant role in the book business, other distributors of the same era and their activities are often ignored. In this paper, I shed light on these other companies, and rethink the role of Ōsakayagō-shoten. First I trace Ōsakayagō-shoten’s history and its founder, Matsunosuke Hamai, as well as his son, Hiromu. Then I examine the other companies, such as Tōkyō-dō, Sansei-dō, Maruzen, and Kurita-shoten in Tokyo, Yanagihara-shoten in Osaka, Kikutake Kinbun-dō in Fukuoka, and Ōtsubo-shoten in Saga.

20世紀メディア研究所の『Intelligence』16号の目次はこちら

「鉄板イタリアン」と過ごす、ある昼休み

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ときどき、「これ」が唐突に食べたくなるのである。

1ヶ月ぐらい前から、あー食べたい、と思いながら日々過ごしてきたのだが、今日チャンスがあったので、「これ」を食べるならここと決まっていた、本山のBⅡに行こうとした。先週、この店には振られていたのである。行ったら休みだった。

今日、満を持して行くぜBⅡと気負いたったとき、なんだかいやな予感がして、ググった。
すると、BⅡ、夜だけの営業に変わってるじゃないか(怒)、マックスバリューに買い物に来てそのまま裏手のBⅡに入っていたおばちゃんおじちゃん(や俺)の昼飯はどうなるんだこら、と憤懣やるかたなかったが、しかたない。もうお前とは縁を切る。勝手に他にいい奴を見つけろ。

で、前から目を付けていた、大学近くの某店にくる。きっとここなら、「これ」がある。
ドアを開け、座っている人の大半が近所のおばあちゃんおじいちゃんおばちゃんと、昼休みのリーマン(サラリーマンの略。含む俺)であることを確認し、ほぼ自分の眼力に狂いがなかったことを確信しつつ、座ってメニューを開く。

ビンゴ。
「鉄板 イタリアン」

正確に言うと、俺が探していたのは、「鉄板ナポリタン」だったが、「これ」であるには違いないのでよしとする。

ザ・ナゴヤだな、とか。
野蛮ね、とか。
やはり田舎、とか。
昭和時代w、とか、
いろいろ雑音や嘲笑が聞こえてくる気がするが、かかってこい。
進化は挑戦の先にしかなく、文化の華は混淆の上に咲くんだ。

鉄板の上にサラダ油を敷いて、薄く卵を焼く。ソースは基本ケチャップだ。そしてタマネギとピーマンとグリーンピース。欠かせないのが、ソーセージだ。

この店にはないが、下手すると、トッピング、というブースターがついていたりするから、メニューはよく読んだ方がいい。
エビフライとかコロッケとかハンバーグとかそういうやつを、載せるのである。パスタの直上に。
しかも、(この店にはないが)ランチセットで、味噌汁(むろん赤味噌)が付随してきたりする。下手すると白飯もだ。

名古屋のめしは、基本、足し算だ。

運ばれてくる。
熱い。
濃厚。
隠し味になるのが、隣席のたばこの煙だ。
ランチタイムなのに、禁煙にしようという気配のかけらもないのが潔い。
私は普通禁煙席にしか座らないが、この客層を見れば、禁煙席の設置がどれだけ近隣住民の食環境を破壊するかがわかる。存分に吸いたまえ。この店を選んだのは俺だ。

それにしても、なぜこの店は「鉄板イタリアン」なのか…
これじゃ現代日本人は「いつ行っても誰が食べても間違いなくおいしいイタリア料理」だと思ってしまうじゃないか…
いや、まて、それをいうなら、「鉄板ナポリタン」だって、「いつ行っても誰が食べても間違いなくおいしいナポリ料理」じゃないのか…
いや、ここは名古屋だ。「名古屋名物台湾ラーメン」というのを掲げて、まったく疑問を持つことのない土地だ。イタリアンだろうが、ナポリタンだろうが、なんだっていい。「これ」が「これ」であればいい。

メニューを再度確認すると、
「鉄板 イタリアン」
「鉄板 ミート」
「鉄板 カレースパ」
「鉄板 焼そば」
とある。

「鉄板 ミート」というのは、鉄板で焼いた肉、のことではなく、ミートスパゲティのことであろう。ミートスパゲティというのは、ボロネーゼと言い換えるべきなのかもしれないが、もうどこまで言い換えたらいいのかわからなくなってきたので、やめる。
「鉄板 カレースパ」とはなんだ。。。カレーがかけてあるのだろうか。あるいはカレー味がつけてあるのだろうか。足し算もここまでくると、暗算が難しくなってくる。
「鉄板焼そば」、いや、焼きそばはそもそも鉄板で焼くのがデフォルトなので、これはむしろ一回転して先祖帰りしている気もするが、もうそろそろ疲れてきたので、無駄な脳力を使うのはやめよう。

今日、学んだこと。
この店のスパゲティの量は少ない。
次は大盛(+150円)にするべきである。