日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

国際スポーツ・イベントによる主体化――一九三二年のロサンゼルス・オリンピックと田村(佐藤)俊子「侮蔑」

名古屋大学文学部研究論集 文学』62、2016年3月31日、pp.245-253


後日、名古屋大学リポジトリで全文が公開の予定です。

[要旨]
この論文では、田村俊子の短編小説「侮蔑」を取り上げ、オリンピックが日系二世たちにどのような受け取られ方をしたのか、その表象を分析する。田村俊子は1936年にカナダから帰国し、1938年に上海へ旅立つまでに、数編の日系二世を主人公にした小説を描いている。移民地で、移民の二世として、また亜米利加合衆国の排日の風潮の中、マイノリティの若者として生きることのむずかしさを描いた作品が多い。「侮蔑」もまたその一つである。作品の表現を分析しながら、オリンピックがスポーツだけでなく「教養」や「品格」、「スピリツト」を問い、人種間の優劣を測る尺度に影響を与え、ナショナリズムという回路を通じて見る者の「血」に訴えかける巨大な装置なのだと結論づけた。


Subjectification through an International Sports Event: The 1932 Los Angeles Olympic Games and Toshiko Tamura (Sato)’s “Bubetsu (Scorn)”

Yoshitaka HIBI


Analyzing Toshiko Tamura (Sato)’s “Bubetsu (Scorn)”, this paper explores how second generation of Japanese immigrants, the so-called Nisei, conceived of the 1932 Los Angeles Olympic Games. In the two years between her return to Japan from Canada in 1936 and her departure for Shanghai in 1938, Toshiko wrote a number of novels with Nisei protagonists living in the United States. Most works depict the difficulties to live as minority youths during the anti-Japanese sentiment in the United States of the 1920-30s. “Bubetsu” was the one such novel. Trough an analysis of the representation of Nisei and the Olympic Games in the text, I show that apart from being a sports event, the Games function as powerful device to measure the level of educational and cultural refinement, as well as the spirit of the athletes. Ultimately, they became a scale for measuring excellence of each ethnic group or race, appealing to the audience’s “blood pride” through nationalistic enthusiasm.

Keywords: Toshiko Tamura (Sato), “Bubetsu (Scorn),” Olympic Games, Los Angeles, sports event

戦前外地の書物取次――大阪屋号書店、東京堂、関西系・九州系取次など

『Intelligence』20世紀メディア研究所、16号、2016年3月31日、pp.134-148

本研究は科学研究費補助金(基盤研究(C)、課題番号15K002244)によるものである。

[要旨]

戦前の外地向けの書籍取次として著名なのは大阪屋号書店であり、その役割は大きなものがあった。ただ外地と内地を結ぶ書物流通が、大阪屋号書店によってのみ語られてきたという傾向がある。この論文では、大阪屋号書店の役割を再考しつつ、同じように外地と内地を結んで活躍した書籍取次商たちの活動を追いかけた。論文では、まず大阪屋号書店とその創立者濱井松之助、跡継ぎである濱井弘について、できるかぎり足跡を追った。さらに、元取次最大手の東京堂が外地においても大きな力を有していたこと、三省堂丸善がそれぞれ独自の支店網・取引網を広げていたこと、準大手の東京・栗田書店や、柳原書店等の関西系や菊竹金文堂および大坪書店といった九州系の大書店兼取次業者も外地において大きな商売を行っていたことを確認した。また大戦中には軍との連携のもとで、書店の外地進出も行われていたことを指摘した。


[title]
The Circulation of Books Between Japan and Its Overseas Territories Before World War II: Ōsakayagō-shoten, Tōkyō-dō, and Book Distributors in Kansai and Kyūshū.

[abstract]

Ōsakayagō-shoten was the foremost book distributor of the prewar period, covering most of Japanese overseas territories. Although there is no doubt that the company played a significant role in the book business, other distributors of the same era and their activities are often ignored. In this paper, I shed light on these other companies, and rethink the role of Ōsakayagō-shoten. First I trace Ōsakayagō-shoten’s history and its founder, Matsunosuke Hamai, as well as his son, Hiromu. Then I examine the other companies, such as Tōkyō-dō, Sansei-dō, Maruzen, and Kurita-shoten in Tokyo, Yanagihara-shoten in Osaka, Kikutake Kinbun-dō in Fukuoka, and Ōtsubo-shoten in Saga.

20世紀メディア研究所の『Intelligence』16号の目次はこちら

「鉄板イタリアン」と過ごす、ある昼休み

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ときどき、「これ」が唐突に食べたくなるのである。

1ヶ月ぐらい前から、あー食べたい、と思いながら日々過ごしてきたのだが、今日チャンスがあったので、「これ」を食べるならここと決まっていた、本山のBⅡに行こうとした。先週、この店には振られていたのである。行ったら休みだった。

今日、満を持して行くぜBⅡと気負いたったとき、なんだかいやな予感がして、ググった。
すると、BⅡ、夜だけの営業に変わってるじゃないか(怒)、マックスバリューに買い物に来てそのまま裏手のBⅡに入っていたおばちゃんおじちゃん(や俺)の昼飯はどうなるんだこら、と憤懣やるかたなかったが、しかたない。もうお前とは縁を切る。勝手に他にいい奴を見つけろ。

で、前から目を付けていた、大学近くの某店にくる。きっとここなら、「これ」がある。
ドアを開け、座っている人の大半が近所のおばあちゃんおじいちゃんおばちゃんと、昼休みのリーマン(サラリーマンの略。含む俺)であることを確認し、ほぼ自分の眼力に狂いがなかったことを確信しつつ、座ってメニューを開く。

ビンゴ。
「鉄板 イタリアン」

正確に言うと、俺が探していたのは、「鉄板ナポリタン」だったが、「これ」であるには違いないのでよしとする。

ザ・ナゴヤだな、とか。
野蛮ね、とか。
やはり田舎、とか。
昭和時代w、とか、
いろいろ雑音や嘲笑が聞こえてくる気がするが、かかってこい。
進化は挑戦の先にしかなく、文化の華は混淆の上に咲くんだ。

鉄板の上にサラダ油を敷いて、薄く卵を焼く。ソースは基本ケチャップだ。そしてタマネギとピーマンとグリーンピース。欠かせないのが、ソーセージだ。

この店にはないが、下手すると、トッピング、というブースターがついていたりするから、メニューはよく読んだ方がいい。
エビフライとかコロッケとかハンバーグとかそういうやつを、載せるのである。パスタの直上に。
しかも、(この店にはないが)ランチセットで、味噌汁(むろん赤味噌)が付随してきたりする。下手すると白飯もだ。

名古屋のめしは、基本、足し算だ。

運ばれてくる。
熱い。
濃厚。
隠し味になるのが、隣席のたばこの煙だ。
ランチタイムなのに、禁煙にしようという気配のかけらもないのが潔い。
私は普通禁煙席にしか座らないが、この客層を見れば、禁煙席の設置がどれだけ近隣住民の食環境を破壊するかがわかる。存分に吸いたまえ。この店を選んだのは俺だ。

それにしても、なぜこの店は「鉄板イタリアン」なのか…
これじゃ現代日本人は「いつ行っても誰が食べても間違いなくおいしいイタリア料理」だと思ってしまうじゃないか…
いや、まて、それをいうなら、「鉄板ナポリタン」だって、「いつ行っても誰が食べても間違いなくおいしいナポリ料理」じゃないのか…
いや、ここは名古屋だ。「名古屋名物台湾ラーメン」というのを掲げて、まったく疑問を持つことのない土地だ。イタリアンだろうが、ナポリタンだろうが、なんだっていい。「これ」が「これ」であればいい。

メニューを再度確認すると、
「鉄板 イタリアン」
「鉄板 ミート」
「鉄板 カレースパ」
「鉄板 焼そば」
とある。

「鉄板 ミート」というのは、鉄板で焼いた肉、のことではなく、ミートスパゲティのことであろう。ミートスパゲティというのは、ボロネーゼと言い換えるべきなのかもしれないが、もうどこまで言い換えたらいいのかわからなくなってきたので、やめる。
「鉄板 カレースパ」とはなんだ。。。カレーがかけてあるのだろうか。あるいはカレー味がつけてあるのだろうか。足し算もここまでくると、暗算が難しくなってくる。
「鉄板焼そば」、いや、焼きそばはそもそも鉄板で焼くのがデフォルトなので、これはむしろ一回転して先祖帰りしている気もするが、もうそろそろ疲れてきたので、無駄な脳力を使うのはやめよう。

今日、学んだこと。
この店のスパゲティの量は少ない。
次は大盛(+150円)にするべきである。

樺太における日本人書店史ノート――戦前外地の書物流通(3)――

『JunCture 超域的日本文化研究』第7号、2016年3月28日、pp.58-67

本誌掲載の日比の著者紹介において、所属が一橋大学となっていますが、名古屋大学大学院文学研究科の間違いです。変わりありません。また、同じ紹介で「戦前外地の書物流通(1)」とある後ろに 」 を補う必要があります。お詫びして訂正します。


[要旨]
樺太における日本人書店史ノート──戦前外地の書物流通(3)
A Brief history of Japanese bookstores in Sakhalin 1905-1945

日比嘉高 HIBI Yoshitaka


この論文では、日本の樺太占領1905年から第二次世界大戦の終了1945年までの間のサハリン島南部、樺太、における日本人書店の歴史を略述する。
日露戦争時、日本はサハリンを占拠した。ポーツマス条約の結果、南樺太は日本の領土となり、移住者が増えた。日本人の書店もこの頃から生まれた。最初に名簿で確認できる書店は、1907年の樺太コルサコフ 齋藤支店である。その後の日本人経営の書店は増加していくが、1920年代の名簿には網羅的なものはない。1928年7月発行の『特選書籍商名簿』では9件が掲載されており、豊原3、大泊3、真岡2、泊居1となっている。1926年に樺太書籍商組合が成立する。1930年の会員数は88名だった。その後日配成立後の1942年の名簿には97店が確認できる。樺太の書店の増加は、移住人口の増大と連関するが、とりわけ教育制度の整備と関連が深い。戦前の樺太には中学校が3校、高等女学校が4校存在し、各学校には附属図書室もあった。大泊と豊原の教育会が、付属図書館も持っていた。

This paper describes a brief history of Japanese bookstores in Karafuto (Sakhalin) since the occupation of Sakhalin by Japanese army in 1905 to the end of the WWII in 1945.
In the war of Russo-Japan War, Japanese army occupied Sakhalin Island and Japanese Empire obtained the half south of the island after the Treaty of Portsmouth. Japanese settlers to Karafuto gained and began to build their towns. The first bookstore, “Saito branch,” which we can find in a name list of bookstore of 1907 emerged in Korsakov (Ōdomari, in Japanese name). Bookstores managed by Japanese assumed to gain gradually, but there is no comprehensive list during 1920s. A selective list published in 1928 reports 9 shops existed in Karafuto: 3 in Toyohara, 3 in Ōdomari, 2 in Maoka, and 1 in Tomarioru. In 1926, the Bookseller Association of Karafuto (樺太書籍商組合) was organized after the establishment of a National organization of bookseller associations (全国書籍商組合聯合会) in 1920. The membership of the Bookseller Association of Karafuto was 88 in 1930 and 97 in 1942. The increase of bookstores is related not only to population of Japanese in Karafuto but development of educational system. Before 1945, there used to be 3 junior high schools, 4 girls’ high schools and their libraries in Karafuto. Educational association of Ōdomari (大泊町教育会) and of Karafuto (樺太教育会) also had each public libraries of them.

キーワード:
樺太、サハリン、外地、書店、樺太書籍商組合
Karafuto, Sakhalin, Japanese over-sea territories, bookstores, the Bookseller Association of Karafuto

外地書店を追いかける(6) 台湾日日新報社の台湾書籍商組合攻撃

『文献継承』金沢文圃閣、第28号、2016年4月、pp.4-7

連載状態で書かせてもらっている「外地書店を追いかける」シリーズの6です。副題のとおり、台湾日日新報社が、台湾の書籍商組合を攻撃していた事件について、記述しております。マニアックですいません。

なお、『文献継承』はますますコアな文章を集めていて、すばらしい。同じ号には以下が載っています。

  • 菅修一さん「昭和21年度に使用された暫定教科書について」
  • 書物蔵さん「かわじもとたか『月輪書林古書目録を一考す。』を評す:不思議なグルーヴ感がたのしい」
  • 鴇田義晴さん「近代日本の民間地図出版史(1)」

デジタル化と大学図書館の未来──横田氏講演の感想メモ

3月22日、横田カーター啓子さんが、名古屋大で講演をして下さった。図書館の方、大学院生、研究者、出版関係者、その他の方が集まって、密度の濃い2時間あまりの集会となった。私は役得で、その後の食事会でも議論と情報交換を続行した。

いろいろ考えさせられることが多く、そのままにするのももったいないので、自分の頭の整理をかねて少し考えたことなどを整理しておく。

以下は横田さんの講演と、その後の意見交換を踏まえ、日比の私見を書いたものとなっている。横田さんのお話の全貌を示すものではないので、その点は誤解なきようお願いします。

目次はこんな感じ:

  • 「図書」館から情報基盤センターへ
  • 研究データの収蔵先としての図書館
  • デジタル資料の持続可能性
  • 格差──大学間格差
  • 格差──代理戦争気味な
  • 研究成果のSEO
  • デジタル化はリテラシーを上げるかもしれない
  • 選書の終焉?
  • おわりに 研究者はbotにひれ伏すか

「図書」館から情報基盤センターへ

アメリカの大学図書館では、分野によっては(STEM系[科学・技術・工学・数学]それから医学、経済も)、紙の本がどんどん撤去されているという。ミシガン大では、医学系と経済学系の図書館は本棚がなくなって、利用者のワーキングスペースになっているそうだ。

そして所蔵するアイテムが、どんどんと本や雑誌だけではなくなっている。

「図書」館は、総合的な情報基盤センターになっている。

研究データの収蔵先としての図書館

米国では、分野によっては(政治学が例に挙がっていた)、査読雑誌に投稿するときには、根拠となるデータも公開することが義務づけられるようになっているという。アンケートや統計データなどを公開する感じだろうか。この傾向は、研究資金を出している組織や団体が、助成を受けた研究者に対し、研究成果の公開する際には、結果だけでなく調査によって得られたデータも公開することを条件にしているということが後押ししている。

そしてそのデータの保存と公開を引き受けているのが、大学図書館だという。

この話を聞いていて思いだしたのが、今年の1月24日に『朝日新聞』で読んだ以下の記事である。

国から研究費、論文を原則公開 ネット上で、根拠のデータも対象
2016年1月24日

公的資金を使った研究について、政府は学術論文やデータをネット上で原則公開させる方針を決めた。国内の科学技術関連予算は年間約4兆円に上るが、論文の多くは有料の商業誌に掲載され、自由に閲覧できない。成果を社会で広く共有し、研究の発展を促す狙い。

〔…〕

 国の研究費を配分する科学技術振興機構日本学術振興会が大学などに研究資金を出す際、論文の公開を条件にする方法などを検討している。研究者は、論文を無料で読める電子雑誌に投稿するか、有料の雑誌に出す場合は大学などが設ける専用サイトで、ほぼ同様の内容を無料で読めるようにする。

 STAP細胞などの研究不正が相次いだことなども受け、論文の根拠となったデータも公開の対象とする。知的財産などに問題のない範囲が対象で、データを管理、検索できる基盤作りを国立情報学研究所が中心になって進める。

http://www.asahi.com/articles/DA3S12175059.html

私はこの記事を読んだときには、「人文系にとって『データ』ってなんだよ。どーすんだよ」的な混ぜっ返しをFacebookの投稿で書いていたのだが、今回、政府のいっている発想の出元が、遅まきながらわかった。

研究資金は、普通、3年とか5年とかいうように期限が限られて与えられる。研究者はそのなかで成果を出すわけだが、「データまで公開せよ」と言われたときに困るのは、研究資金が終わったら、どうやって公開し続けるのよ、ということである。だれが、どこに、どうやって、どんな形式で置くのか。メンテナンスはどうするのか。

大学図書館がそれをやってくれるのならば、ありがたい。というか、実質、それしかないだろう。

デジタル資料の持続可能性

Sustainability(持続可能性)といえば、環境問題のことかと思っていた私は、この言葉がデジタルと図書館の文脈で出てきて、びっくりすると同時に、とても腑に落ちた。

私の家には明治期の雑誌某々のCD-ROMが一山あるが、それは私が2000年前後にWindows2000のマシンで使っていたものだ。もちろん、もう使えない。いや、正確にいえば、それを使いたいがために、Windows2000のマシンを納戸に押し込んである。いざとなったら使うぜ、というつもりで。むろん、押し込んで以降、一度もスイッチを入れたことはない。

ありふれた光景である。が、恐ろしい事態である。

個人持ちの雑誌程度なら、「もったいない!」で終わるが、これが大規模なデータベースなどになると、それが消えることは社会的な損失である。一つ例を出せば、講演後のディスカッションでも話題になった「20世紀メディア情報データベース」http://20thdb.jp/outline がある。米軍占領下の日本関係資料を集めた大規模な文庫(プランゲ文庫)の詳細な検索データベースだ。科研費を獲って整備・公開されたデータベースだが、その後代表者の退職や資金の切れ目などがあって、NPO法人のインテリジェンス研究所がデータベースを管理する体制となったと聞いている。国会図書館とも連携を取っているようなので、今後さらに展開・移管があるのかもしれない。このデータベースの問題など、研究成果として得られたデータベースの「持続可能性」が必要かつ重要な好例だろう。消えてなくなっては、困る。

ただし、実際に研究者たちが作成したデータベースを持ち込まれる大学図書館などのことを考えれば、担当者が頭を抱える姿が目に浮かぶ。いったん置き場所が決まったにしても、それを公開し、要望や不具合やクレームに対応し、日々変わっていくIT環境にあわせてアップデートし続けていかなければならない。電子資料を持続可能なものにするとはそういうことだ。

専門家を雇い、金と時間を投下しないと、絶対に実現不可能だということだけは間違いない。

格差──大学間格差

デジタル化は、距離を飛び越え、ギャップを埋め、さまざまな格差を解消する方向へ向かう、という夢は、たぶんもう多くの人は信じていない。むしろデジタル化は、別の格差を生み出している。デジタル・デバイドという言葉も生まれた。最近では、スマホは使えるがパソコンは苦手だという学生が話題になる。

資料のデジタル化の進展は、大学間格差を広げている。典型的なのは、電子ジャーナルや、電子書籍である。これらはいま、パッケージ販売されるのが普通になっている。予算が潤沢な大学図書館は、これらを「大人買い」する。「全部買うから40%まけろ」という交渉をしたりするそうだ。

パッケージ販売された雑誌や図書には、権利が付随してくる。その大学のIDを持っていれば、自由にログインして閲覧やダウンロードができる。そうでない人は、アクセスできない。

紙媒体の時代は違った。資料と閲覧資格は対応していなかった。デジタル化された資料は、利用者を選ぶ。いやな言い方をすれば、研究大学にいる研究者と学生は、豊富な研究資料に出会えるが、そうでない大学に所属する研究者と学生は、そもそも必要な論文や資料にアクセスできないという時代に、我々はもう入り込んでいる。

ミシガン大学では、そういうアクセスに困難を抱えた研究者向けに、夏季などに特別に図書館の利用機会を設けたりしているそうだ。具体的なことは聞き損じたが、一時的な利用者IDなどを付与するのだろう。デジタルデータを見るために、遠距離の大学まで足を運ぶという転倒。もちろん、移動も、利用も、有料だろう。日本もすでにそうなりつつあるが、放置すれば格差はこの先開く一方だろう。

格差──代理戦争気味な

横田さんは、日本研究関連の資料の電子化スピードが遅いことについて、かなり危機感を持っている。それは米国の図書館の、東アジア部門のなかに身を置いて、中国研究や韓国研究のライブラリアンたちと、人、金、場所の奪い合いをしながら仕事をしている彼女にとって切実な問題だと感じられた。

私も、同様なことは別の方向からも聞いている。東アジア圏以外における、日本語教育の世界では、中国語、韓国語とシェアの奪い合いをしなければならない。(このことは、以前に別の記事を書いたことがある。「語学教育と覇権主義http://hibi.hatenadiary.jp/entry/20140929/1411970219

私自身は、こうした「奪い合い」の発想には反対である。奪い合いではなく、かけ算の考え方でいかないといけない。東アジアの文化は共通する点も多いし、交渉も密だ。排他的に考えるのではなく、互いの知識の共有化を図り、差異を発見につなげていった方が研究も進むし、付き合いも上手くいく。

ただし一方で、日本関係の教育研究資料のデジタル化が遅れることによって、日本研究関係の教員・学生が不利益を被るのは確かである。いや、かけ算の発想で言うならば、それは日本に関心を持つ他地域・他領域の専門家にとっても、(もしかしたらより一層)不利益なのだ。

デジタル化は人を怠け者にする。デジタル化がこのまま進行した場合(むろんそうなる)、紙でしか手に入らないということは、多くの人はそれを見ない=無いも同然、という世界がやってくる。研究の世界ではともかく、教育の世界でこれは致命的だ。日本に関心を持つ人を再生産していくプロセスが、どんどんと先細りになっていく。

東アジア諸国内の意地の張り合いのような文脈でそれを語るのは問題が多いが、殿様然としてデジタル化の遅れという事態を放置すれば、日本研究はますます沈没し、日本に関心を持つ人の数も減っていくだろう。

研究成果のSEO

SEO、すなわち Search Engine Optimization、検索エンジン最適化のことである。GoogleやYahoo検索の上位に、どうやって自分のウェブサイトが表示されるにようにするか。そのことは自己の会社の収入に直結するので、担当者は血眼になって対策を行う。

研究の世界で、より広く論文が読まれ、評価を高めるためには、評価の高い雑誌に論文を掲載してもらうのが王道である。私のような人文系だと、評価の高い学術出版社から単著を出す、というのもかなり効く。

だが、御承知のようにそれ以外の回路でのアクセスの数は、侮れなくなっている。とりわけ、コアな同業者向けではなく、より広い論文読者層を視野に入れた場合(他分野の研究者や、学部学生、一般市民など)、Googleなどのweb検索で研究成果が上位に来ることは、とても重要になる。(学会からの評価についてはここでは問わない)

そしてここでさらに問題になるのが、「フルテキストがその場で手に入るかどうか」ということである。

一度、期末レポートで面白い経験をした。絶対に参考文献を読んで書けと念押ししたところ、ほとんどのレポートが共通する論文に言及してきた。そういう論文が、三本ぐらいあったと記憶する。専門家の観点からすると、「なぜこの論文?」「これなら他にこっちが…」という選択だった。

もしや、と思ってググってみたら、案の定それらの論文は、googleの検索結果の上位に位置しており、そしてそのままフルテキストが手に入る論文だった。

学部生だし、仕方ないでしょ、専門家は違う、と思った人には、そうではないと言いたい。

読まなければならない参考文献は、「絶対に読む」から「どっちでもいい」までグラデーションのように広がっているのが普通である。たとえば、私はオリンピック、とりわけ1932年のロス五輪の表象について最近関心を持っている。「オリンピックと文学」みたいな論文は、絶対に読む。「オリンピックの歴史」は、ものによる。1932年のことが多ければ読む。出場選手の回想記も、人による。1932年のロサンゼルスの都市開発についての論文は、まあ時間があったら読んでもいい。

この「読むか読まないか」を判断する際に、その論文がフルテキストで手に入るかどうかは、ものすごく影響を与える。検索してフルテキストがその場でそのまま手に入るならば、たいていの人はそれをクリックして表示するからだ。この一歩はものすごく、大きい。

学会誌の電子化の議論の場に、何度か居合わせたことがあるが、反対派の人の多くは、閲覧対象を同業者の範囲でしか考えていない(いや、そもそも電子化がわかっていない人が反対に回る場合が多いわけですが、それはさておき)。そうではなく、電子化の価値は、同業者以外とか、海外の同業者とかそういう人たちのことを考えて行うべきである。研究成果は、読まれてナンボだ。

デジタル化はリテラシーを上げるかもしれない

日本の古典籍の電子化が進んだことによって、海外でもそれを容易に読めるようになってきた。その結果何が起こったか。「くずし字」で資料を読まなければならないと考える古典研究者たちが海外に現れた、と横田さんは言った。これまでは活字化された資料をもとに主に研究してきたが、活字化されていない資料(活字は近代の産物であるから、古典籍のデフォルトは当然非活字である)にも取り組もうといつことである。これは明らかに研究のレベルアップである。

電子化は、いろんなことを容易にするという方向で想像されることが多いが、電子化されたことによって新しく高いハードルを越えていこうという人が現れる。

私はこの話にとても驚いたし、すばらしいな、と思った。


選書の終焉?

デジタル資料のパッケージ販売のことについては、上で少し触れた。この話題で横田さんと私が一致して危惧したのは、選書はどうなるの、という問題だった。与えられた予算のなかで何を買うか、というのは図書館員の腕の見せどころであるはずだ。

ところが、パッケージ販売された場合、中身を決めるのは販売側になる。もっといえば、中身が決まるのはその本をデジタル化するかどうか、そして商品化するかどうかの局面において、となる。欲しい本を買うために、いらない本が付いてくる抱き合わせ販売や、おおざっぱな「分野買い」みたいなものが横行して、選書機能が死んでいくということが起こる可能性がある。(まさか○タヤ図書館みたいなことは起こらないと信じたいが)

そしてそれは一つの大学図書館だけで起こるのではなく、多くの大学図書館で同時に起こる。同じパッケージをみんなが買うからである。

この未来を後押しするのは、図書館はどこでも本の置き場に困っているという現実である。今後どんどん所蔵スペースの観点で電子書籍の需要は高まっていき、紙の本は買ってもらえなくなっていく。

選書機能の死は、蔵書の画一化を結果する。


おわりに 研究者はbotにひれ伏すか

デジタル資料化以降の図書館の役割は、資料の所蔵ではなく、資料の利用資格の購入・管理・制御と、場所の提供になる。「図書」館から情報基盤センターへという移行が、ここでもはっきりしてくる。

「図書館」時代の検索は、所蔵検索だった。その資料がそこにあるのか、ないのか。あるならどこにあるのか。デジタル資料時代の検索は、データ・マイニングに限りなく接近していくだろう。検索の対象は本のタイトルやキーワードではなく、全文検索となる。その資料がそこにあるのか、ないのか、はすでに問題ではない。資料はその端末が接続されたネット上のどこかにあればよく、そこにアクセスする権利がありさえすればいいからである。

おもに図書館と本屋で仕事をしてきた領域の研究者は、電子化が進展して以降、職能を変化させざるをえなくなるだろう。資料の収集と分析は、そうした研究者の大切な専門性だったが、遠からずbot(自動化プログラム)を数時間走らせることにより、資料の収集の大半を完了することができる時代が来る。研究者は、集まった資料を分析のためのプログラムに突っ込む。結果は、ほぼ瞬時に表示される。このとき、研究者の役割とは、いったい何になるのか? 

botが集めきれなかった史資料の探索? もちろんそれは大事だ。デジタル化されていない資料は、常に残っているだろう。だがそれも技術の進歩がデジタルの海に早晩飲み込んでいく。落ち穂拾いは、場つなぎでしかない。

botのパラメータの調整? 自動収集されたデータを、分析プログラムにかけるためのデータの編集? もちろんそれは必要だ。そしてそれは知識と時間が必要になろう。ではそれが研究者の仕事になるのだろうか。それは私には、機械と機械の橋渡し役にしか見えないのだが…

あるいは研究者は、プログラムを開発できる研究者と、誰かが開発したプログラムを利用する研究者に二分されるようになるのだろうか。

もちろん、人文系の知はそんなにやわではない。それは人間や社会にとっての「問題」そのもののありかを指摘し、掘り出し、知らしめる知だからである。相手は人間であり、現代であり、そこにつながる過去と未来である。「問題」を触知し構成する感度と思考は、プログラムによっては代替できない。

ただし、研究者は今後、「その研究はコンピュータでもできるのではないか」という疑問に、つねにさらされていくだろう。創造性と感度を欠いた研究は、機械によって淘汰されていくのかもしれない。




以上、長くなりました。

踏みとどまること、つなぐこと──人文社会科学の意義と可能性

『高知人文社会科学研究』第3号、2016年3月20日、pp.55-66

2015年11月8日に行われた高知大学人文社会科学部キックオフ・シンポジウム「高知から考える人文社会科学の可能性」(会場・高新RKCホール)での、同名の講演を収録したものです。

内容は以下からなっています。

1.はじめに
2.大学が変わる いま起こっていること
3.大学に求められるもの──「社会」の言葉から
4.人文社会科学の意義とは
5.おわりに

以下で全文がお読みいただけます。
Kochi University Repository: 【講演】踏みとどまること、つなぐこと―人文社会科学の意義と可能性