日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

新学習指導要領の「それらをはぐくんできた」

はじめに概略

 (前置きが長くなったので、お急ぎの方は「ようやく本題」のセクションまで飛んでください)

 3月28日の官報で文部科学省の新学習指導要領が告示された。これにつき、ちょっと一言言いたくなったのでエントリする。ニュースになったポイントは次のところ。朝日コムから一部引用する。

 渡海文部科学相は28日付の官報で小中学校の改訂学習指導要領を告示する。告示は改訂案とほぼ同じ内容になることが通例だが、総則に「我が国と郷土を愛し」という文言を入れ、君が代を「歌えるよう指導」と明記するなど内容が一部変わった。2月の改訂案公表後、1カ月かけて意見を公募。保守系国会議員らから改訂案への不満が出ていたこともあり、文科省は「改正教育基本法の趣旨をより明確にする」ため異例の修正に踏み切った。

http://www.asahi.com/edu/news/TKY200803270419.html

 手続きなしでいきなり修正したこと、それがまたわかりやすいほどに「愛国的」(T-T)なところなど、言いたいところはいくつかあるが、それらについては、複数記事が出ているようなので省く。
 また、問題となっている総則の箇所(第1の2)については、下に対照表を作ったので参照されたい。
 ちなみに、この条文の全体を読むと、まっとうなこともけっこう言っているのである。「豊かな心」とか「民主的な社会及び国家の発展」とか「他国を尊重し,国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献」とか、当たり前だが、小中学生には頭に入れて欲しい事柄である。この手のニュースに関しては、保革いずれの側も、わかりやすいところだけに注目して対立するのであるが、他の文面もちゃんと読むべきである。で、ほかの要素も(あるいは、「要素を」)きっちり指導してくれれば、まっとうな成果も揚げられるように思う。


>>学習指導要領 議論もなしに修正とは(北海道新聞 3月30日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/84385_all.html

>>指導要領告示 ルール無視の修正だ(信濃毎日新聞 - 2008年3月28日)
http://www.shinmai.co.jp/news/20080329/KT080328ETI090002000022.htm

>>【主張】新指導要領 国歌を「歌える」のは当然(MSN産経ニュース - 2008年3月29日)
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080330/edc0803300308000-n1.htm

ようやく本題

 私が一言言っておきたいのは、下の色の濃い赤色部分である。

 道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,人間尊重の精神と生命に対する畏(い)敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の中に生かし,豊かな心をもち,伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し,個性豊かな文化の創造を図るとともに,公共の精神を尊び,民主的な社会及び国家の発展に努め,他国を尊重し,国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を拓(ひら)く主体性のある日本人を育成するため,その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。

 この改変について注目されるのは、たいてい「我が国と郷土を愛し」という箇所である。こうした愛国主義的な要素を入れるのはケシカランというわけである。私自身は、〈ニッポンが好き〉とか〈わがまち京都ラブ〉とかいっている人に対して、その感情そのものが悪いとは思わない。問題は、その感情が排他的かどうか、とか、他者理解を伴っているかというところのバランスにかかっていると思う。ニッポンしか知らない人、京都しか知らない人が、いくらそこについて「サイコー」とか「超らぶ」とか言っても、井の中のなんとかだし、ニッポンが素晴らしいという主張を別の国に対する反感に裏支えされながら言う人は、カテゴリを一つの「集団」でしか分けて考えられない粗雑な脳の人なので、もっと考えていただきたい。勢いに任せてついでに書けば、〈ニッポンが好き〉=極悪、という図式が固着している人も、以下同である。

 いかん、なかなか話が進まん。ほんとに本題。
 私が問題と思うのは、「伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し」という接続の仕方である。伝統と文化を尊重するのはよろしい。上述の理由(留保条件)で、「我が国と郷土を愛し」たいという人の存在もまあありとしよう(ただし、この感情が教育できるか、するべきか、ということについては相当に大問題で、私はかなり懐疑的)。

 ここでいわれる「我が国と郷土」は「それらをはぐくんできた」という接続句によって、非常に限定的な「国」と「郷土」になってしまった。これは「国」や「郷土」、そして「伝統」「文化」というものを、どのようなものとしてとらえるかということに関わる大切な問題である。「それらをはぐぐんできた」という一文を作成した人々の描く国家・土地と伝統・文化との関係は、両者が一対一で対応する素朴な構図である。それは、細やかな四季の移り変わりをもった日本の風土が短歌や俳句に多くの国民が親しむ伝統を作った、とか、鳥獣戯画の昔から日本には漫画・アニメ的な感性が脈々と流れている的な発想である。

 これらの発想は、哀しいまでに素朴で単純である。論点をわかりやすくするためにポイントだけ言えば、「一つの伝統」や「一つの文化」と見えるものの背後には、多数の背景が横たわっているのである。短歌俳句が隆盛した背後には、結社の力と機関誌や新聞の投稿欄といったメディアのインフラが必要だったし(「新聞」も「雑誌」も「輸入品」ですよ)、日本のアニメが全然ディズニーと無関係であるといえるのならば、だれか論証して欲しい。

 要するに日本の伝統とか文化とかいうものは、「それをはぐくんできた我が国と郷土」以外に起源をもつさまざまな要素なくしては、今のような形にはならなかったのである。国と伝統/文化を一対一の対応でしか考えられない人間は、その外に広がる豊かな要素をまったく見ないことになってしまうし、そもそも国、伝統、文化のかたちと成り立ちについて、決定的に誤った、貧困な理解しかできないことになる。

 「日本」と呼ばれる国の「伝統」と「文化」に素晴らしいところがあるのだとすれば、その理由は「日本」が多様だったからであり、寛容だったからであり、オープンだったからである。貧困な文化理解をもった次世代を育てるツケは、当の「伝統」「文化」「国家」の先細りにつながるのみだろう。

指導要領の該当箇所新旧対照表

 変わったところの色を変えてあります。

校種現行(総則 第1の2)新要領(同前)
小学校
 学校における道徳教育は,学校の教育活動全体を通じて行うものであり,道徳の時間をはじめとして各教科,特別活動及び総合的な学習の時間のそれぞれの特質に応じて適切な指導を行わなければならない。
 道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,人間尊重の精神と生命に対する畏(い)敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の中に生かし,豊かな心をもち,個性豊かな文化の創造と民主的な社会及び国家の発展に努め,進んで平和的な国際社会に貢献し未来を拓(ひら)く主体性のある日本人を育成するため,その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。
 道徳教育を進めるに当たっては,教師と児童及び児童相互の人間関係を深めるとともに,家庭や地域社会との連携を図りながら,ボランティア活動や自然体験活動などの豊かな体験を通して児童の内面に根ざした道徳性の育成が図られるよう配慮しなければならない。

 学校における道徳教育は,道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行うものであり,道徳の時間はもとより,各教科,外国語活動,総合的な学習の時間及び特別活動のそれぞれの特質に応じて,児童の発達の段階を考慮して,適切な指導を行わなければならない。
 道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,人間尊重の精神と生命に対する畏(い)敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の中に生かし,豊かな心をもち,伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し,個性豊かな文化の創造を図るとともに,公共の精神を尊び,民主的な社会及び国家の発展に努め,他国を尊重し,国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を拓(ひら)く主体性のある日本人を育成するため,その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。
 道徳教育を進めるに当たっては,教師と児童及び児童相互の人間関係を深めるとともに,児童が自己の生き方についての考えを深め,家庭や地域社会との連携を図りながら,集団宿泊活動やボランティア活動,自然体験活動などの豊かな体験を通して児童の内面に根ざした道徳性の育成が図られるよう配慮しなければならない。その際,特に児童が基本的な生活習慣,社会生活上のきまりを身に付け,善悪を判断し,人間としてしてはならないことをしないようにすることなどに配慮しなければならない。
中学校
 学校における道徳教育は,学校の教育活動全体を通じて行うものであり,道徳の時間をはじめとして各教科,特別活動及び総合的な学習の時間のそれぞれの特質に応じて適切な指導を行わなければならない。
 道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,人間尊重の精神と生命に対する畏(い)敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の中に生かし,豊かな心をもち,個性豊かな文化の創造と民主的な社会及び国家の発展に努め,進んで平和的な国際社会に貢献し未来を拓(ひら)く主体性のある日本人を育成するため,その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。
 道徳教育を進めるに当たっては,教師と生徒及び生徒相互の人間関係を深めるとともに,生徒が人間としての生き方についての自覚を深め,家庭や地域社会との連携を図りながら,ボランティア活動や自然体験活動などの豊かな体験を通して生徒の内面に根ざした道徳性の育成が図られるよう配慮しなければならない。

 学校における道徳教育は,道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行うものであり,道徳の時間はもとより,各教科,総合的な学習の時間及び特別活動のそれぞれの特質に応じて,生徒の発達の段階を考慮して,適切な指導を行わなければならない。
 道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,人間尊重の精神と生命に対する畏(い)敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の中に生かし,豊かな心をもち,伝統と文化を尊重し,,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し,個性豊かな文化の創造を図るとともに,公共の精神を尊び,民主的な社会及び国家の発展に努め,他国を尊重し,国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を拓(ひら)く主体性のある日本人を育成するため,その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。
 道徳教育を進めるに当たっては,教師と生徒及び生徒相互の人間関係を深めるとともに,生徒が道徳的価値に基づいた人間としての生き方についての自覚を深め,家庭や地域社会との連携を図りながら,職場体験活動やボランティア活動,自然体験活動などの豊かな体験を通して生徒の内面に根ざした道徳性の育成が図られるよう配慮しなければならない。その際,特に生徒が自他の生命を尊重し,規律ある生活ができ,自分の将来を考え,法やきまりの意義の理解を深め,主体的に社会の形成に参画し,国際社会に生きる日本人としての自覚を身に付けるようにすることなどに配慮しなければならない。