日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

最近いただいた本

 2010年も終わろうとしております。ここのところいただいたまま紹介が出来ていなかった本・雑誌などを、一気に紹介いたしまする。


日本的想像力の未来?クール・ジャパノロジーの可能性 (NHKブックス)

日本的想像力の未来?クール・ジャパノロジーの可能性 (NHKブックス)

河野至恩さんにお送りいただいた本。すっかり載せるのが遅くなってしまって申し訳ないことです。ご存じの通り、東工大であったシンポジウムの書籍化。サブカル批評の文脈ではすでに諸方で評判があるでしょうし、今のところそこに嘴を突っ込む気はないので、別の点について。日本の現代文化をめぐる日本と海外(主に米国を想定)の研究状況の齟齬と対話についての、河野さんの考察は重要。それぞれドメスティックな事情に引きずられて研究があるわけだが、対話は、大切だ。

政治小説の形成―始まりの近代とその表現思想

政治小説の形成―始まりの近代とその表現思想

西田谷さんの新著。印刷所に入稿してから実に10年にして日の目を見た博士論文。なんという…。むろん西田谷さんに責はない。その10年のあいだ、諸方でお会いし、お話を聞いてきただけに、私も嬉しいです。内容は、ずっと取り組んでこられた政治小説についての理論的考察。幅広い理論書への参照ぶりと超速の論理展開はまさに西田谷節で、正直読むのは大変な箇所も多いですが、政治小説も理論も、もっと勉強せねばと思わせられることは請け合いです。

梶井基次郎「檸檬」の諸相 倉地亜由美追悼論集
西田谷洋・丹藤博文・五嶋千夏・森川雄介
愛知教育大学出版会
2010/10

西田谷洋「はじめに」/五嶋千夏「習作というバージョン――梶井基次郎「[瀬山の話]」論」/森川雄介「「檸檬」における「二重寫し」の位相」/西田谷洋「エコロジカルな反逆と魂――梶井基次郎「檸檬」のコンストラクション」/丹藤博文「えたいの知れない不吉な〈教材〉――「檸檬」教材論のために」/西田谷洋「おわりに」/[参考資料]梶井基次郎「檸檬」初出版・本文)

http://www.auepres.aichi-edu.ac.jp/

もう一つ西田谷さん、そして五嶋さんから。愛教大の関係者たちによる「檸檬」論集。目次が出てこないようなので、紹介しておきます。副題にあるとおり、ゼミ生の追悼文論文集という。いたましいことです。各論告はテクスト生成論、認知物語論、映画のコンテクスト、そして国語教育という、それぞれに異なった観点から梶井のテクストに挑んでいる。

『Sym.』No.3
特集 ドキュメント龍土会

甲南大学文学部木股知史研究室
2010年10月

『Sym.』最終号という。終刊は残念だけれど、個人研究室でもこういうことができるのだなぁ、と思った雑誌です。感謝。石丸志織氏の「龍土会関連年譜考」は労作です。関心のある方はぜひ手元に置くべし!

作ることの日本近代―一九一〇‐四〇年代の精神史― (世界思想ゼミナール)

作ることの日本近代―一九一〇‐四〇年代の精神史― (世界思想ゼミナール)

伊藤先生と西村さんより賜りました。この本の母体となった研究会には、一度コメンテータ役で呼んでいただいたことがありました。その時のことを思い出しながら拝読。「作ること」=ポイエーシスを鍵にしながら、近代を横断して考えていく企画、というのは、やはり哲学系の人がコアにいるからならではの発想かもしれませんね。参加している人も、社会学、教育学、美学・美術、文学、建築などなど多彩。

1950年代---「記録」の時代 (河出ブックス)

1950年代---「記録」の時代 (河出ブックス)

鳥羽さんの新著。タイトルの通り、1950年代を「記録」の時代として論じていく。生活綴方、サークル詩(運動)、ルポルタージュ、映画、テレビ、シュルレアリスム、そして炭坑、ダム、基地・・・・。圧倒的な資料収集と、分厚く広汎な記述のもとで、この時代が浮かび上がっていく。どれだけすごいかというのは、巻末の人名索引の膨大さだけを見ても分かるはず。類書はないでしょう。このあたりの時代を考える方には、必読の一冊になるのではないかと思います。

「羅生門」と廃仏毀釈

「羅生門」と廃仏毀釈

大学院時代の恩師の一人、荒木正純先生の出たばかりの新著です。前著『芥川龍之介と腸詰め』については、以前書評を書いたことがあります。
http://d.hatena.ne.jp/hibi2007/20080315/1204983476
今回は「廃仏毀釈」。タイトルからして興味をそそられます。手法は前著と同じように、データベースの検索を武器として、先生のもともとの指向であるテクストの表象分析を歴史資料にも展開して論じていくもの。次から次へと掘り出される(データマイニング!)資料、そしてどんどんと横へ横へと連鎖し疾走していく記述を前に、読者は眩暈を覚えること必定。国文畑の「羅生門」論とはひと味もふた味も違います。

Manufacturing Modern Japanese Literature: Publishing, Prizes, and the Ascription of Literary Value (Asia-Pacific: Culture, Politics, and Society)

Manufacturing Modern Japanese Literature: Publishing, Prizes, and the Ascription of Literary Value (Asia-Pacific: Culture, Politics, and Society)

テッドさんよりいただきました。タイトル、何と訳すとかっこいいでしょうか。『文学を生産せよ! 出版・文学賞・文学の価値帰属』とか? やり過ぎかな(笑) テッドさんは、米国ワシントン大学の近代文学研究者。近代の出版文化に造詣が深い。1920年前後から1930年代までがメインの論述対象だけれど、日本の論文の書き方とは違うから、より射程を幅広くとりながらまとめあげていく。まだ途中読みで恐縮ですが、味読せねばならぬ本です。読み終わったら、またいずれ何か書くかもしれません。


ふう。以上!