だれが小学生の作文を改ざんしたのか:検閲、震災、虐殺、発禁本
きのう目に入って、読ませてもらった id:Vergil2010 さんの記事。興味深かったです。
vergil.hateblo.jp
読んでいて「おっと!?」と思うところがあって、そこを起点にするともう少し深掘りできそうだったので、ざっと調べてみました。考えてみた主なポイントは次になります。
- どうして『子供の震災記』は国会図書館に2冊あるのか
- 「事実を改ざん」した「この国の権力」の正体とは、なんだったのか
以下、できるだけ簡潔に進めます。と思って書きましたが、謎が謎を呼んでけっきょく長くなりました。ご勘弁。最後に関連文献の紹介もしてあります。目次は以下
- これ発禁本じゃん──国会図書館の蔵書検索結果の読み方
- 刊行の主体は東京高等師範学校附属小学校関係者
- 出版社からわかること
- 「検閲」はどのように行われていたのか
- 教員は何を考えたか
- 最後の謎
- まとめ
- 参考文献
これ発禁本じゃん──国会図書館の蔵書検索結果の読み方
着目した最初のポイントはここです。これは国会図書館の蔵書検索NDL-OPACの検索結果なのですが、○で囲った請求記号に注目。一方は「526-64」、もう一方は「特500-641」とあるのがわかります。
注目すべきなのは「特500-641」の方です。「特500」は特別な番号です。こちらに説明があります(発禁本 | 調べ方案内 | 国立国会図書館)が、この番号が付された資料は、「昭和12(1937)年以降、内務省から移管された帝国図書館蔵のもの1,124点」とあります。当該の『子供の震災』(特500-641)も、これらのうちの一冊と考えられます。
ここからわかるのは、『子供の震災記』(特500-641)は内務省の検閲を受けて、発売禁止処分を受けた本だということです。『国立国会図書館所蔵発禁図書目録 : 1945年以前』を見てみましたが、確かに載っています。しかも、その処分理由ですが、「風俗壊乱」。…おっと。私はてっきり「安寧秩序妨害」の方だと当たりを付けていたのですが、さにあらず。卑猥であるわけはないので、残忍の方でしょうか。
当時出版物は、検閲を受けるために内務省に提出される必要がありました。内務省は検閲後に本を保管していましたが、時にそれらをまとめて図書館などに移管する措置を行いました。
『子供の震災記』は発禁本だった。するとやっぱり、「事実を改ざん」した「この国の権力」の正体とは、直接的には内務省の検閲官たち、広くいえば大日本帝国の国家権力なのでしょうか。もう少し掘ってみます。
刊行の主体は東京高等師範学校附属小学校関係者
id:Vergil2010 さんが示している奥付には、明確に出て来ませんが、NDL-OPACにもう少し細かい書誌を表示させてみると、こう出てきます。
「東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会」みたいですね。東京高等師範学校、いまの筑波大の前身です。これを著者名にしてNDL-OPACを引き直すと、48件ヒットします。『子供の震災記』の刊年である1924(大正13)年あたりを示すとこんな感じ。
ざっとタイトルを見てみるに、教授法や授業内容の具体例を示した本が多いようで、実践的な初等教育関係の教育研究・出版普及活動をしていた組織だと考えて良いのではないでしょうか。48件のうち、他に特500の請求記号をもつものはありませんから、(この検索の範囲では)他に発禁処分を受けた形跡もない。
また48件のタイトルを通覧していくと『子供の震災記』が、この組織の刊行物としてはちょっと特殊だということにも気づきます。題名だけを見ていても、固い感じの実践的教育関連書が並んでいます。『子供の震災記』は少し異質に見えます。
出版社からわかること
出版社にも注目しましょう。大正期を見てみると、ほとんど培風館です。現在も活動を続けている教育系出版社です。
http://www.baifukan.co.jp/kaisha/bfkgaiyo.html
一方、『子供の震災記』は目黒書店。目黒書店も教育系の本を多く出しますが、もうちょっと守備範囲は広い。「東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会」が目黒書店から出している本は、『佐佐木吉三郎教育論集』『児童の実生活と訓練』(いずれも1926年)、そして『子供の震災記』だけです。
つまり、『子供の震災記』は「東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会」にとっても、ちょっといつもとは違う本で、しかも刊行を任せた出版社も初めて付き合う出版業者だったということがわかります。
研究会が刊行の主導権を持ったのか、出版社が誘ったのかわかりませんが、おそらくは前者でしょう。生徒の作文は学校内部の資料なので、出版社が先に目を付けることはまずないですから。
さて、これで問題の本が刊行された輪郭が、ぼんやりですが見えてきました。ここからは検閲をめぐるお話です。だれが、子供たちの作文を「改ざん」したのか。
「検閲」はどのように行われていたのか
『子供の震災記』は発禁処分を受けました。「特500-641」という請求記号を付された本の存在が、それを示します。
では、『子供の震災記』(526-64)の本はどう考えれば良いのでしょうか。ここで、刊行時期に注目します。
『子供の震災記』(特500-641)
大正十三年五月十五日 印刷
大正十三年五月二十日 発行
『子供の震災記』(526-64)
大正十三年七月五日 印刷
大正十三年七月十日 発行
おおむね一ヶ月半ほどの時差があります。前出の『国立国会図書館所蔵発禁図書目録 : 1945年以前』には、発禁処分の日付として「大正13.5.19」とあるので、処分を受けたのは、前者です。
後者の方ですが、「526-64」というのは通常の請求記号ですから、この本は、目黒書店が国会図書館に通常のルートで納品したと推定されます。
この一ヶ月半の間に行われたのが、子供たちの作文の「改ざん」ということになります。
さて、「改ざん」はどのようにして行われたのか。その具体的なプロセスはもちろんわかりませんが、当時の検閲の実態および『子供の震災記』の序文から考えるに
- 「改ざん」したのは東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会の教員
- 検閲担当者からは、一言一句にわたるような詳細な指示は出ない
- 本の版面(活字組み)はもう完成しているので、出版社はそれを組み直したくない
- 担当者は、朝鮮人虐殺の直接的な表現が現れないような「改ざん」を行った
と推定されます。
誤解している方もいるかもしれませんが、戦前の国家検閲で、本や雑誌の文言を変えたり削除したり伏字にする主体は、国家の官僚たる検閲官ではありません。彼らは刊行の可否を判断し、指示や示唆をするだけ。文言を実際にいじっていくのは、作家や記者などの書き手であり、出版社・雑誌社の編集者たちです。
ですから、ここで「改ざん」したのは東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会の中の人。小学校教員です。
検閲官は、問題箇所の例示はするでしょうが、全ページにわたり、一言一句について指示したりはしません。10~30数人(だったと記憶。時期により増減)で国内の出版物全体を相手にする建前だから、そんなにヒマであるはずがない。実際、「特500-641」の全ページをめくってみましたが、検閲官の書き込みらしきものは見つけられませんでした。ですから、おそらくは口頭で結果の伝達と指示がなされた。多少の相談も行われたかもしれません。
あとは刊行する人たちが、「自主的な」判断で改変していく。ここに自己検閲と、忖度が発生します。
検閲が本当に怖いのは、ここです。国家が直接手を下すところは多くない。民間の担当者達が発生させていく「自主的な」規制の数々が、文化を縛り付けていくのです。
(ちなみに、すごく細かい書き換えを工夫してやっていますよ。行と頁が動かないように、文字数を合わせて置き換えているの、わかりますか?)
教員は何を考えたか
子供たちの作文に手を入れていく教員たちは、どのような気持ちだったか。
大正十三年五月十五日といえば、関東大震災から8ヶ月後です。巨大な直下型地震の直撃を受けて、文字通り地獄を見た子供たちです。今なら、このタイミングでの振り返りの作文には、ストップがかかりそうですね。けど当時は、やった。
教員たちには、震災の記録を残したい、そして世間に知らせたいという強い希望があった。序文を読めばそれはわかります。彼らは、震災の実態を、それを書き残した子供たちの目と文章を世に広く知らせたかった。出版社の目黒氏も、それに応じて「実費」でこの仕事を請け負ったとあります(7頁)。
けれど、内務省はそれにストップをかけた。朝鮮人の虐殺のありさまや、飛び交う噂、恐怖から残忍な攻撃性をみせたり、おびえきっている人々(子供を含む)の姿がこれでもかと記録されていたからだと推定できます。書き直しの部分がそこに集中していることがそれを証明します。
当初、教員たちはそれを世に出す気でした。彼らは全校生徒から集めた作文を選抜し、出版社と費用の相談をしてさらにそこから絞り込んで、100名分の作文集にした。彼らは意図的に、朝鮮人虐殺の描写をもつ作文を選んでいたと考えるべきです。序文にこうあります。
暗黒にのみおほはれた社会にも、尚且つ美事善行の強い光を見得る
これをそのまま読むと、子供たちに筆による、被災した市民たちの「美事善行」を広く知らしめたいというように読めます。もちろんそれもあるでしょう。しかし朝鮮人虐殺の作文を会えた複数載せた研究会は「暗黒にのみおほはれた社会」をも示し残そうとしたと考えられないか。これは私の推測です。
内務省からストップをかけられた研究会は、悩んだことでしょう。発禁処分は、当時たいへんな不名誉です。しかも風俗壊乱。ふつうはエロの方でひっかかるやつです。彼らは教育に関わる人たちで、清廉でなければならなった。まさか自分たちの出版物が風俗壊乱の発禁処分に遭うとは思いも寄らなかったでしょう。
相談した彼らは、朝鮮人虐殺の部分を消すことにしました。どのような気持ちで消したのか──。
それを考えるためには、さらに精密なテキストの分析が必要になるでしょう。何を消し、何を残したのか。そして何を「見せ消ち」にしたのか(しなかったのか)。それを考えることによって、研究会の判断と戦略が見えるかもしれない。
最後の謎
さて、最後の謎があります。
実は調べてみて気づいたのですが、『子供の震災記』はほとんど市場に流通している気配がありません。図書館の所蔵さえない。
全国の図書館を横断検索できる「カーリル」ではでてこない。
全国の大学図書館を横断検索するCinii booksで2館が所蔵。→ http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA37637552
日本の古本屋でヒットなし。
Amazon.co.jp ヒットするも在庫なし。
東京都立図書館、所蔵なし。早稲田大学図書館、東京大学図書館、所蔵なし。
たぶん、この本、流通しなかった本です。なぜ流通しなかったのはよくわかりません。研究会と目黒書店は、出し直すつもりだった。だから本文を改変して改訂版を作って国会図書館に納本した。奥付には定価もちゃんと書いてあります。しかし出なかった。書き直し本も、内務省へ持ち込まれたでしょう。もしかしたら、そこでやはりだめだと言われたかも知れない。
あるいは研究会が自主的に取り下げたかもしれない。序文にはこうあります。
文には、私共からは決して手を加へないことにしました。従て、子供の作そのまゝです。(7頁)
あきらかな嘘です。研究会の内部で、これについて葛藤があった、それで販売を取りやめた、というのは私の穿ちすぎた見方でしょうか。
さて、気になるのは、Cinii booksで出てきた2館の本です。刊記をみると、こうなっています。
1924(大正13)年4月。本当は現物を確認したいですが、いまはこれを信じます。4月、つまり、検閲を受けた「特500-641」より、一ヶ月早い本です。なんだこれは。
ここで俄然気になってくるのが、「特500-641」および「526-64」の奥付です。あきらかに紙が貼ってあります(→こちらid:Vergil2010さんの画像)。この紙を剥がすと、おそらく「四月」の刊記が出てくる、と私は推測します。
なぜその本が、神戸市立中央図書館と、鳴門教育大学 附属図書館にあるのか。謎です。私は、『子供の震災記』の流通量の少なさから見て、これらの本は、もともと東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会の関係者がもっていた架蔵本だと推理します。一方の所蔵が教育大系なのはその傍証になるかもしれません。
さて、その本は「526-64」系の本文なのか「特500-641」系の本文なのか。もしかしたら関係者の書き込みがあるのかもしれない──
などなど、疑問は膨らみますが、今回はこのあたりでストップしましょう。
まとめ
「事実を改ざん」した「この国の権力」の正体はなんだったのでしょう。私の考えるその答えは、国家の公権力と、各々の職域で遂行される忖度との結託です。
「権力」は国会議事堂の中だけにあったり、永田町にだけあったりしません。茫洋とした「国家」というどこかにあるわけでもない。権力は、私たちが日々生きる実践の中にもあるのであります。
ちなみに、『子供の震災記』序文の書き手の肩書きは、「東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会 修身研究部」。私はてっきり国語系かと思っていましたが、修身。戦前の作文教育は、国語教育であると同時に修身(道徳)教育であったわけです。
これが戦前のことだけであることを、祈ります。
参考文献
以上、戦前の検閲のことを色々書いてきましたが、最近このあたりは急激に研究が進みました。私もそれらから学んでいます。ご関心持たれた方は、ぜひ以下もお読み下さい。(戦後のGHQ検閲研究関係もすごく進みましたが、今回そっちは省略)
「検閲本のゆくえ--千代田図書館所蔵「内務省委託本」をめぐって」
浅岡 邦雄
中京大学図書館学紀要 (29) 2008 p.1~21
「戦前期内務省における出版検閲--禁止処分のいろいろ(講演報告)」
浅岡 邦雄,小泉 徹
大学図書館問題研究会誌 (32) 2009-08 p.29~42
幻の出版検閲改革 : 昭和初期の内務省と出版者の相克
安野 一之
Intelligence (14) 2014-03 p.102-117
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