日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

名古屋市教育委員会の「親学」について調べてみたらわかったこと

Ⅰ 小学校から「親学」のパンフレットが来た

先月(2018年4月)、子どもが小学校から「親学」と大々的に書かれたパンフレットをもらってきた。そこには、

名古屋市教育委員会では、子どもにとって親はどうあるべきかを考え、子どもとともに親として成長する楽しさについて学ぼうとする「親学」を推進しています。

と書いてあって、うーむ、これは・・・と頭を抱えたのであった。ゴールデンウィークになったがやっぱり気になり続けていて、とりあえず以下のようなツイートをしておいた。


「うわ・・・」「名古屋市やばい」的な予想通りの反応をふくめて、それなりのリツイート数になった。

ご存じの方も多いと思うが「親学」といえば、一般的には親学推進協会が押し進めている運動を指す。「親になるためにこれだけは学んで欲しいこと、それを伝える」ものと説明しており*1、表面的にはおだやかだが、その主張のなかに「脳科学」を参照しながら発達障害を子育ての仕方を変えることによって予防できるなどというような根拠のすごぶる怪しい説が含まれていたり、保守的で場合によっては復古的(いつの「古」なのか?)でさえある政治勢力と結びついて「親学推進議員連盟」なども設立されたりしていて*2現代日本の教育問題を考える上で、目の離せない動きである。

Twitterの方では、実際にかつて市教育委員会に問い合わせをした方などから、名古屋市のと、親学推進委員会のとは違うものらしい、という反応も来た。私も当該のパンフレットを見ながら、表面的なことだけ書いているからつながりが消えているだけなのか、あるいはそもそも別物か、といぶかしんでいたのだった。

名古屋市の公立校に子どもを通わせる保護者の一人として、また「親学」の動向が気になる者として、そしてTwitterリツイート数がが案外増えてしまった後始末として、以下、実際どうなのか調べてみた報告を行う。

例によってこんなんだれが読むんだという長文になってしまった。さっさと結論だけ教えろ、という人のために【この記事の要点】は直下に掲げた。その後ろ(Ⅱ~Ⅳ)にややコンパクトな本文である【まとめと意見】がある。Ⅱは後ろのほうでまとめている歴史的な経緯(V、Ⅵ)の概略ともなっている。最後に【時系列整理と資料】があり、名古屋市教育委員会や親学推進協会、その他自治体に関係する「親学」の立ち上げからの経緯(Ⅴ)、および最近全国で広がる家庭教育支援法案・同条例制定の動向(Ⅵ)が、出典付きでまとめてある。これらは中日/東京新聞朝日新聞、読売新聞の各データベース、そしてネット掲載の解説記事や論文などを参考にしている。読者の関心に応じて、読んでいただければ幸いである。


目次

【この記事の要点】

  • 名古屋市教委の「親学」は親学推進協会のと一応無関係
  • とはいえ“親の学び”を求める社会的背景は共通しており、そこがやっかい
  • 「親学」関連の官民の動きは全国で拡がっている
  • 「家庭教育支援」に関わる条例化や立法化の試みも続いてる
  • 広義の「親学」を考えた時に、容認できるかどうかの境目は

 i. 強制力を持った「要請」や「義務」となっているか
 ii. 現代の多様な家庭のあり方に対して寛容であるか

  • 「親学」的なものを最終的に推進するのは、善意の、きまじめな親たち
  • 関連の資料・出典まとめてあります


【まとめと意見】編

Ⅱ「親学」はどのようにはじまり、現在どうなっているか

名古屋市教育委員会の「親学」出発期の社会的状況

 名古屋市教育委員会の「親学」は、親学推進協会の「親学」と同じものなのか別のものなのか、という問いに最初に答えておくと、「一応、別のものである。ただし、立ち上げの背景となっている社会的・歴史的状況や、現在の「親学」をめぐる動向を考えれば、両者そして他の自治体や民間の取り組みも、互いに共通する部分が少なくない」が答えになる。

 名古屋市教育委員会が「親学のススメ」という家庭教育の支援策をスタートさせたのは2002年である。市教委独自の企画であった。そして「親学のススメ」は、立案においても運用においても、現在に至るまで外部の団体からの干渉はとくになく、独自で考えて行っていると、同委員会生涯学習課の担当者は私に返答した。

 ただし2000年前後というのは、“親の学び”への社会的な要求が社会的にかなり高まっていた時代である。1997年に神戸の児童殺傷事件が起こり、学校、そして家庭における教育のありかたについて、不安が広がっていたようだ。こうしたなか小渕恵三内閣が私的諮問機関「教育改革国民会議」を設置する。「いまや21世紀の入口に立つ私たちの現実を見るなら、日本の教育の荒廃は見過ごせないものがある。いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊、凶悪な青少年犯罪の続発など教育をめぐる現状は深刻であり、このままでは社会が立ちゆかなくなる危機に瀕している」。同会議の最終報告の冒頭は、このように強い危機感を示している。

 この教育改革国民会議が行った提言は、その後の我国の教育政策に具体的な影響を及ぼしていく。「親学」に関連していえば、最終報告のなかには「教育の原点は家庭であることを自覚」とあり、関連する5つの提言が書き込まれている。家庭ごとに「しつけ3原則」を作ってはどうかとか、親はPTAや学校、地域の教育活動に積極的に参加するのだとか、なかなかに、すごい。

 この雰囲気と政治動向のなかで、各自治体や民間組織で、“親の学び”を進める社会的装置を作ろうという気運が高まっていた。大分、大阪、奈良などで関連する官民の動きが確認できる。名古屋市教育委員会の「親学」の取り組みも、こうした中で立案されたのだとひとまず結論できる。

親学推進協会系「親学」の出発

 そして親学推進協会の結成につながる高橋史朗氏らの運動も、上記の一部だったのである。2003年に「日本の教育改革を進める会」主催、読売新聞後援のシンポジウムがあった。基調講演は中曽根康弘氏で、パネリストは小田村四郎岡崎久彦高橋史朗各氏。この発言は高橋氏の「親学」についての発言としても最初期のものだと考えられる。氏はこのようにいっていた。

オックスフォード大学の学長が、親になるための学び、親としての学び、つまり「親学」が一番欠けているという提起をされたが、まさにその通りだ。教育荒廃の実態というものを国民に情報公開して、国民大討議を起こしていく、そして、いい意味での下からの教育改革を起こしていくことが、この国の教育を良くしていく一番の課題ではないかと思う。

安倍内閣教育再生会議教育基本法改正、そして家庭教育支援法

 第一次安倍内閣の時代に、教育再生会議が発足する。その第一次報告で「親学」の導入が議論されて話題を呼んだ。「親学」という言葉が一般に知られるようになったのはこのときだと思われる。2006年、教育基本法の改正法案が衆参両議院で可決成立する。改正教育基本法の第10条には「家庭教育」という項目が新設され、同第13条には「学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力」という項目が新設された。またこれを受けて、社会教育法も一部改正され五条七に「家庭教育に関する情報の提供」という文言が挿入されている。

 この教育基本法改正の直後に、親学推進協会が設立されている。参議院通過が12月15日、会の設立は同月21日である。

 この後現在に至るまで、「親学」は広がりを見せる。新聞記事を追う限りでも、埼玉県、石川県小松市静岡県、愛知県春日井市、千葉県、北九州市などで関連する動きが確認できる。推進協会系とはっきりわかるものもあれば、記事からはよくわからないものもある。

 教育会各国民会議から教育再生会議へとつながる流れの延長線上に現在浮上しているのが、「家庭教育基本法」である。この法案の概略とその問題点については、平井和子氏の論考が詳しい*3。2012年に設立された親学推進議員連盟の目標の一つは、この「家庭教育支援法」の制定とされている。中央における成立はまだであるが、先行する形で、地方において条例制定が進んでいる。2013年4月に熊本県が家庭教育支援条例を施行したのをはじめとして、現在すでに14の自治体で同種の条例が施行されている。

 これが、「親学」をめぐる教育施策の現在地である。

Ⅲ「親学」をめぐる議論の難しさ

 「親学」をめぐって議論をする時の難しさがある。それはひとつには、 ぱっと目で親学推進協会系とそれ以外の見分けがつきにくい、ということがある。名古屋市教育委員会の例はその典型だが、もともと「親学」という言葉は推進協会独自の造語ではなく、いくつかの使用の前例がある*4。語の誕生の経緯としてはおそらく「父親学」「母親学」などの取り組みが先行してあり、性別による区別を廃そうという意識が働いた結果「父」「母」が抜けて「親学」となったのだろう。

 また見分けがつきにくいのは語の使い方の問題だけではなく、上記の歴史的経緯が語るとおり、本質的には“親の学び”を支援しようという政官民の取り組みの機運が底にあるため、もともと共有する部分が大きいということもある。

 ここからもわかることだが、そもそも“親の学び”は特段悪いものではない(ことが多い)。たとえば発端となった名古屋市のパンフレット(ここからダウンロードできる)が掲げている項目をみても、「愛情をもって接する」とか「子どもの友達や親の顔や名前を知っていますか」とか「規則正しい生活リズムを」とか「早寝・早起き・朝ごはん」とかいうことが書かれていて、まあそれは普通に大事だよねというマイルドな提言がほとんどである。

 そして、困難を抱えた親の社会的支援は明らかに必要だともいえる。各地の自治体で取り組みが行われている“親の学び”を支援する制度や体制、教育改正基本法や、一部の自治体で制定された条例は、そうした困難を抱えた家庭を支援しようという自治体職員や関係者、民間の人々の活動を保証し、後押しする機能がある。

 一方、やはり問題もある。脳科学の「知見」を利用したり母乳育児信仰を奉じる推進協会系「親学」の疑似科学については、論外すぎるのでここではくりかえさない。ネット上でも批判がたくさん出ているし、原田実氏もオカルト化する日本の教育: 江戸しぐさと親学にひそむナショナリズム (ちくま新書)という書籍をもうすぐ出されるようである。

 私がここであらために注意を喚起したいのは、推進会系「親学」とそれ以外の家庭教育支援の取り組みとが、合流してしまう危険性である。上述のように推進会系「親学」はその他の“親の学び”の取り組みと問題意識を共有しているため、両者の取り組み・人脈・組織とが結びついていってしまうことがありうる。たとえば次の千葉県の事例を見てみる。

「広がる家庭教育への支援 「親学」シンポ開催 成長応じた接し方学ぶ=千葉」『読売新聞』.2012年10月6日、東京朝刊

 子供の成長に応じた接し方などを学ぶ「親学」に関するシンポジウムが県内で開かれた。子育てで我が子にどう接したらいいのか。戸惑う親たちに働きかける試みが、県内でも広がっている。(杉野謙太郎)

 9月30日、教育研究団体「TOSS千葉子ども教育プロジェクト」が、千葉大教育学部の大講義室で開催した第1回ちば親学推進セミナーには、親子連れなど約100人が集まった。
〔…〕
 その後の対談で、県PTA連絡協議会の高橋秀典会長は「親子で過ごし、共感できる時間を持つのが大事」と問いかけ、県教育委員の野口芳宏・植草学園大教授は「子育てを楽しんでほしい」と呼びかけた。
〔…〕
 「親子のより良い絆、良い家庭環境をつくるのが親学の狙い。福家さんの経験も、その実践の一例です」と、八洲学園客員教授で親学推進協会専務理事の大森弘さん(80)は説明する。「高度成長期を経て社会が豊かになり、いじめなど子供の問題行動が出てきた後、1980年代後半から親の役割が問い直されてきたことが親学の基になった」と言う。
 同協会は2006年12月に設立され、啓発を続けている。親子のコミュニケーションのあり方を学ぶ「親学基礎講座」や、保護者同士の勉強会などを指導する「親学アドバイザー」の認定講座を開催している。県内にも、約100人のアドバイザーがいるという。
 民間活動に触発されて、県教委も10年3月、今後10年間の教育目標をまとめた「みんなで取り組む『教育立県ちば』プラン」に「親学の導入など、家庭教育を支援する」ことを盛り込んだ。小中学校で保護者に家庭教育に関するパンフレットを配布するなど、親への働きかけを強めている。
 
 写真=「お母さん ぼくよりぼくが 大好きだ」。当日は子が親を思ってつくる「親守詩(うた)」の紹介も行われた(千葉市千葉大で)

 TOSS + PTA + 県教育委員会 + 親学推進協会 + 千葉大学教育学部 というコンボがうるわしく実現している。付け加えれば、読売新聞も同会の活動には協力的であるようにみえる。私はこれらの各組織に関わっている人や、PTAの親たちが、推進会系の「親学」に完全に賛同しているとは思わない。むしろ、多少違う考えをもっていたり、あるいはそもそも「親学」という考え方についてまったく詳しくないという人たちも少なくなかったのではないかと考える。

 だが、にもかかわらず参加できてしまう、協働できてしまう、というのが「親学」の怖さであると私は思う。なぜなら、推進会系の「親学」といえど、トンデモな部分とまあ普通という部分とか混在しており、まあ普通という部分においては、子育てに不安を抱え、親としての自分に課題を感じ、子どもとよりよい関係を持ちながら子育てしていきたいと望んでいるような、一般的な感覚の人々と問題意識を共有できるからである。

 このように「親学」(広い意味での)をめぐる議論は難しい。では、弁別は不可能なのだろうか。家庭教育を支援しようとする施策や活動は、すべて疑ってかかるべきなのだろうか。注意してかかるべきか、ニュートラルに対応してよいかの分かれ目は、次の二点にあると私は考える。

i. 強制力を持った「要請」や「義務」となっているか
ii. 現代の多様な家庭のあり方に対して寛容であるか

 i.については、多くを書く必要はないと思う。子育てにどう望むかは、それぞれの親がその親の責任において決定することであって、誰かの指示によってするべきことではない。
 ii. について。現在は、もっている考え方や土地柄、社会的階層だけでなく、生活の習慣や働き方、家族構成、民族、ジェンダー、言語、その他さまざまな点において、家族のあり方は多様になっている。「一般的」「普通」だと思われる家族像や子育て観を、それを共有しない人たちに対して押しつけることなく、しかし抱えている課題については共に解決していこうとするような、そうした文化的に寛容な姿勢をもっているかどうかが、重要だろう。


Ⅳ だれが「親学」を推進するのか──教育のハードな統治、ソフトな統治

 大学で働いていると、FDというのがある。大学教職員向けの能力・スキル向上のための(主に学内の)研修だが、参加するのはだいたい向上心のある教職員か、いやいやながらも義務を果たそうというそれなりにまじめな教職員である。職務遂行の質に問題があり、本来もっとも向上が必要な人たちは、ほとんどの場合そういうところには現れないし、参加したとしても簡単には効果に結びつかない。

 “親の学び”を進める取り組みにおいても、ほとんど同じ事が起こっているにちがいない。実際、ある自治体の職員は「本当に必要と思われる人には受けてもらえない」といっている*5。子育てに困難を抱えている家庭は、子育てにだけ困難を抱えているわけではなく、それ外の要因が複合的に絡み合って、困難な状況にあると推定されるからである。

 “親の学び”が必要とされている人々には、「親学」は届かない。集まってくるのはむしろ相対的に問題の少ない、向上心のある人々だけ。であるならば、なぜ「親学」はひろがるのか。だれがその推進を支えているのか。

 もちろん、親学推進協会や連盟議員などの権力的なイデオロギー集団や、その思想に共鳴するさまざまな立場の役職者たちが牽引しているのもあるだろう。だが、それだけでは本当の広がりにはならない。「親学」的なものをを広げていくのは、子育てに関心を持ち、多少の不安を抱え、それを解決したいと願っている、至ってまじめな、向上心のある、普通の、多数派の人たちである。

 つまり、こんなテーマのこんな長文のブログを読みに来るあなたや、私や、その隣人たちである。もっとも強力な統治はコワモテに「上」からやって来ない。それは善意の支援として、支えあいの絆として、町内や学区内からやってくる。実際には、問題のある「親学」はまだそれほどの広がりは見せていないし、知名度も高いとは言えない。だが境目のはっきりしないその特質が力を発揮して、徐々に広がっていくという可能性はある。復古的な「親学」を好む人たちが、政治的な権力に近いところにかなりの数で存在する。

 しかし、本当の危うさはそうした権力集団にはない。「親学」が自分の学区・校区にやってきたとき、「支援」や「サポート」という善意の取り組みとして遂行されたとき、あなたや私が良好な関係と平穏な生活を続けたいと考える身近な隣人たち、保護者たちの集まりにおいて「正しい親」のふるまいに参加するよう要請されはじめたとき、そのときに抵抗できる人は多くない。

 なぜなら、子どもが「人質」に取られているからである。「浮く」ことによって不利益を受けるのが親自身だけなら、文句を言える人はいるだろう。だが、子どもをもろともに面倒に巻き込める親は、少ない。



【時系列整理と資料】編

Ⅴ「親学」の出発 名古屋市教育委員会の場合、その他自治体の例

中日/東京新聞、読売新聞、朝日新聞のデータベースを使って関連記事を調べた。

(1)名古屋市「親学」のスタートは2002年

朝日新聞(2002年03月11日、朝刊、愛知1)に次の記事がある。

「学校週5日制、来月から完全実施 遊ぶ?勉強?何に使う /愛知 」
 ●「親学」講座
 名古屋市は「保護者対策」にも力を入れる。各小中学校でPTA団体が講師を招いて開く「家庭教育セミナー」を、来年度から「親学ノススメ」と銘打ち、親同士のグループ討論を取り入れるなど、内容も見直すようにPTAへ求める。
 同市生涯学習課では「4月からは週2日、子どもが家にいる。今まで以上に親としてのあり方を意識してほしい。反発も招くかもしれないが、思い切って問題提起したつもりです」と話す。

(2)名古屋市教育委員会の回答

今回、名古屋市教育委員会生涯学習課にも電話で問い合わせたのだが、その回答でも「親学のススメ」の取り組み開始時期は「平成14(2002)年」で、名古屋市の教育改革プログラムの一部で、「地域の教育力向上」のために立案されたとのことだった。これは上記報道と一致する。

また、担当者は時間をくれといって一晩おいた翌日、電話をかけてきて名古屋市教委の取り組みや親学推進協会のそれとは「完全に別」だと述べていた(2018年5月9日)。

(3)他の自治体でも同種の取り組みが

以下、時系列で列挙する。

A 大分県高校PTA

「「親学」確立を 高校PTA連が決議文=大分」(2000年) 大分県高校PTA連合会の総会で、「十代の凶悪犯罪の多発化を受けた決議文」として、「家庭を含めた大人社会にも大きな要因がある」、「親が自ら学ぶことにより、親としてのあるべき姿を取り戻す「親学」の確立」が必要と訴えた。*6

B 大阪のセミナー

「家庭の教育力向上へ「親学」共に考えよう 大阪でセミナー【大阪】 」(2002年) これは、「親学(しんがく)」と読ませている。「若手経営者らが集まる大阪青年会議所のメンバーが、自身の子育てを見つめ直しながら1年かけて勉強会を重ね、準備した」という*7

C 奈良県のサポートブック

奈良県立教育研究所の冊子「親学サポートブック――子どもと向き合って――」(2003年) 子育て中の親を対象とし、アドバイスなどが書かれている。*8


(4)背景──「教育の危機」意識と「教育改革」

2000年12月に、小渕恵三内閣時代に始まり、森喜朗内閣時代まで続いた私的諮問機関「教育改革国民会議」が、「教育改革国民会議報告-教育を変える17の提案-」*9というものを最終提言として出している。

教育改革国民会議は、この提言の冒頭で、「危機に瀕する日本の教育」と題し、「いまや21世紀の入口に立つ私たちの現実を見るなら、日本の教育の荒廃は見過ごせないものがある。いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊、凶悪な青少年犯罪の続発など教育をめぐる現状は深刻であり、このままでは社会が立ちゆかなくなる危機に瀕している」と現状認識を示している。

この最終提言に、「教育の原点は家庭であることを自覚」とあり、関連する5つの提言がなされている。

(1)親が信念を持って家庭ごとに、例えば「しつけ3原則」と呼べるものをつくる。親は、できるだけ子どもと一緒に過ごす時間を増やす。
(2)親は、PTAや学校、地域の教育活動に積極的に参加する。企業も、年次有給休暇とは別に、教育休暇制度を導入する。
(3)国及び地方公共団体は、家庭教育手帳、家庭教育ノートなどの改善と活用を図るとともに、すべての親に対する子育ての講座やカウンセリングの機会を積極的に設けるなど、家庭教育支援のための機能を充実する。
(4)家庭が多様化している現状を踏まえ、教育だけでなく、福祉などの視点もあわせた支援策を講じる。特に幼稚園や、保育所における教育的機能の充実に努める。
(5)地域の教育力を高めるため、公民館活動など自主的な社会教育活動への積極的な支援を行う。「教育の日」を設けるなど、地域における教育への関心と支援を高めるための取組を進める。

(5)高橋史朗氏も2003年に「親学」の必要性を訴えている

 2003年に「日本の教育改革を進める会」が主催し、読売新聞が後援するシンポジウム「教育の危機と改革の焦点」というのが開かれていた。基調講演は中曽根康弘氏で、パネリストは小田村四郎岡崎久彦高橋史朗各氏だった。

このシンポジウムで、高橋氏は以下のように発言している*10。 なお高橋氏自身は「初めて親学という言葉を使ったのは2005年」としているが、この発言はそれより早い*11

 高橋 一般の常識と教育界の常識がずれている、それをどう正すかが大事なポイントだ。中曽根さんが恩師を例に、感動とか探求心をはぐくむことが重要とおっしゃったが、人づくりということが大きな課題なのではないか。どんなに美しい理念を掲げても、だれがどのように教えるのかという壁がある。オックスフォード大学の学長が、親になるための学び、親としての学び、つまり「親学」が一番欠けているという提起をされたが、まさにその通りだ。
 教育荒廃の実態というものを国民に情報公開して、国民大討議を起こしていく、そして、いい意味での下からの教育改革を起こしていくことが、この国の教育を良くしていく一番の課題ではないかと思う。

Ⅵその後の展開──教育再生会議、親学推進協会の設立、家庭教育支援法案・条例

(1)2007年までの時系列

朝日新聞の特集記事が2007年頃までの「家庭教育」をめぐる流れをまとめているので、簡便である*12

 ■「家庭教育」に関する主な動き 
97年 8月 小杉文相が中央教育審議会に「幼児期からの心の教育のあり方」を諮問
98年 6月 中教審が「幼児期からの心の教育」を提言
99年 4月 家庭教育手帳=写真=と家庭教育ノートの配布開始
 同年12月 超党派議員が少子化社会対策基本法案を提案
02年 4月 道徳副読本「心のノート」配布開始
03年 7月 少子化社会対策基本法成立
04年 6月 少子化社会対策大綱を閣議決定、「家庭の役割」を盛る
05年 6月 食育基本法成立、「健全な食生活の実現」を「国民の責務」に規定
06年10月 教育再生会議規範意識・家族・地域教育再生分科会が設置される
 同年12月 改正教育基本法成立
07年 1月 教育再生会議が第1次報告で「家庭の日」の活用を提言
    同月 子どもと家族を応援する日本重点戦略検討会議が設置される
    5月 教育再生会議が「親学」提言を見送り

(2)教育再生会議の発足と「親学」導入論議

教育再生会議は、第一次安倍内閣が「21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を図っていくため、教育の基本にさかのぼった改革を推進する必要があ」るとして設置した*13

その第一次報告で「すべての子供に規範を教え、社会人としての基本を徹底する」などして、「道徳の時間」の確保、高校での奉仕活動などとならんで、「親学」の導入が議論された。

この際にはかなりの議論になり、新聞各社も特集記事を出している*14。「親学」の問題が広く知られるようになったのはこのときだと思われる。第一次報告には自民党内からも反発の意見が出て、「親学」の文言はこれ以降、提言からは消える。

(3)教育基本法改正

 教育基本法は、前掲の教育改革国民会議の議論を踏まえ、2001年遠山敦子文部科学大臣時代に中央教育審議会に改正が諮問され、同会での議論を経て2年後に改正が答申された。

 愛国心の記載をめぐる問題などを中心に激しい議論が起こったが、教育基本法改正法案は、2006年末に衆参両議院で可決成立した。

改正教育基本法の第10条には、「家庭教育」という項目が新設され、以下の条文が定められている。

(家庭教育)
第十条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに 自立心を育成し 、、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。

また、同第13条は、「学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力」という項目を新設し、

学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする。

と定めた。

またこれを受けて、社会教育法も一部改正され五条七に「家庭教育に関する情報の提供」という文言が挿入されている。

(4)親学推進協会の設立

 教育基本法改正の直後、親学推進協会が設立されている。同会ウェブサイトの「歩み」によれば、設立は2006年12月21日。衆議院における改正教育基本法の可決は同年11月16日、参議院は12月15日である。

以下は、『読売新聞』の報じた同会設立シンポジウムの記事である。*15

 家庭教育の重要性を唱え、親として学ぶべきことを考える「親学推進協会」(理事長=高橋史朗・明星大教授)の設立記念シンポジウムが3日、県教委などの後援で、さいたま市大宮区で開かれた。高橋理事長は基調講演で、親が子育ての悩みを相談できる「親学アドバイザー」の必要性などを主張した。パネルディスカッションでは、上田知事や音楽家の松居和氏(県教育委員)らが参加し、「親心」の必要性などについて意見を出し合った。

(5)「親学」の広がり

以後、推進協会系だけでなく、各自治体でも「親学」の名を掲げる取り組みが広がっていく。以下時系列で示すが、Aの埼玉県の例のように親学推進協会系のものだけでなく、それと関係ない(ようにみえる)ものも増えている。

A 埼玉県で高橋史朗氏が教育委員に

「高橋氏が県教育委員になった04年末以後、複数の県議が議会で「県は高橋氏の親学を取り入れるべきだ」などと提案してきた。上田清司知事も「(高橋氏は)極めて優れた感性教育、親学、非行防止等々の日本有数の専門家」と教育委員任命の理由を述べている」*16

B 石川県小松市 「こまつ親学」

「ゼロ歳児を持つお母さんや普段から赤ちゃんにかかわっている人が対象で、子どもにとって親はどうあるべきか、子育ての責任や喜び、楽しさを学ぶ」*17

C 静岡県の親学講座

「新小1の保護者全員に親学講座 県教委、来春入学者から /静岡県」2009年度から*18

D 春日井青年会議所の「春日井親学」

第五次中期ビジョンで「保護者たちをも巻き込んだ『春日井親学』などを展開していく」とした。*19

E 千葉県の教育有識者会議で「親学」の導入提言

「 提言には、高校でも道徳の時間を確保することや、「あいさつ運動」への取り組みなどが盛り込まれた。郷土愛、愛国心を育てる部分では、小中学校の9年間に伝統文化芸術を見たり、実際に演じたりする機会の拡充が求められた。国旗、国歌の意味や大切さを教える取り組みの実施なども提案された。家庭教育については、家庭や親の教育力の低下に対して懸念を示し、「親学」の導入を提言している。通信講座や「親学」アドバイザーを通じて、保護者らに広めていくことが盛り込まれた。
 同会議は森田〔健作〕知事の肝いりで設置され、昨年9月から4回の会議を重ねてきた。知事と県教育庁の人選で東京国立博物館長の銭谷真美氏、日大法学部教授の百地章氏、俳優の藤岡弘、氏ら18議員で話し合いを続けてきた。」*20

F 北九州の企業で「親学」講座

「北九州の企業100社が「小学校応援団」 社員が出前授業・「親学」講座」*21


(6)中央と地方に広がる家庭教育支援法案・条例

 2012年に設立された親学推進議員連盟の目標の一つは、「家庭教育支援法」の制定だとされる*22。この法案の概略とその問題点については、平井和子氏の記事が詳しい*23

中央における法制定の試みだけでなく、それに先行する形で、地方において条例制定が進んでいる。2013年4月に熊本県が家庭教育支援条例を施行したのをはじめとして、現在以下の自治体で同種の条例が施行されている。(前掲平井氏のまとめに、私が増補した)

熊本県2012年12月
鹿児島県2013年10月
静岡県2014年10月
岐阜県2014年12月
石川県加賀市2015年6月
長野県千曲市2015年12月
徳島県2016年3月
宮崎県2016年3月
群馬県2016年3月
茨城県2016年12月
和歌山市2016年12月
愛知県豊橋市2017年3月
鹿児島県南九州市2017年4月、
埼玉県志木市2018年4月

合計14件である。

家庭教育支援法案には、戦時中に出された「戦時家庭教育指導要綱」(1942年)と「よく似ている」ところがあるという法学者の指摘もある*24



【注】

*1:親学推進協会HP「親学について」http://www.oyagaku.org/aboutus/

*2:少し古い情報だが、以下のブログがまとまっている。「親学のムック」『新小児科医のつぶやき』ブログ、2012年12月25日、http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20121225。また「親学推進議員連盟」については、Wikipedia参照 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E5%AD%A6%E6%8E%A8%E9%80%B2%E8%AD%B0%E5%93%A1%E9%80%A3%E7%9B%9F

*3:平井和子「「家庭教育支援法」―内容と問題点」(第一学習社 公民最新資料 Web版 特集第3号、2017年9月25日。http://www.daiichi-g.co.jp/komin/info/siryo/30t2/170925/s/s1.html

*4:(2018.5.14追記)たとえば、書籍でも浜尾実『ほめ方上手の親学 頭のいい子になる急所しつけ法』青春出版社1984年9月ほか。新聞記事では、「学校5日制 試されるお父さん 「親学講座」は父親不在 「仕事が…」敬遠 愛知」『中日新聞』朝刊、1992年9月7日。1999年11月~2000年9月まで『中日新聞』地方総合版で連載された志治優美氏による「親学のススメ」などがある。

*5:.「『親学』って何?」『中日新聞』2010年07月24日、朝刊。「ある自治体担当者は「本当に必要と思われる人には受けてもらえない。親学の効果ははっきりしない」と明かす。本当に必要な人とは、児童虐待をしてしまう人、虐待する不安がある人などという」。

*6:『読売新聞』2000年6月10日、西部朝刊、大分

*7:朝日新聞』2002年09月13日、朝刊。

*8:「子育ての助言、具体的に 好評の冊子を販売 県立教育研究所/奈良」『朝日新聞』2003年07月03日、朝刊、奈良2

*9:http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/houkoku/1222report.html

*10:「シンポ「教育の危機と改革の焦点」 人づくり教育へ回帰を=特集」『読売新聞』2003年5月23日、東京朝刊、朝特A

*11:「(日本会議研究)家族編:上 「親学」にじむ憲法観」『朝日新聞』2016年6月17日、朝刊、4総合。「僕が提唱する狭義の親学とは異なる。まず広義の「親になるための学習」が先にあった。僕が初めて親学という言葉を使ったのは2005年。PHP総合研究所に教育政策研究会をつくって提言した。狭義の親学の特徴は「主体変容」の思想だ。」(高橋史朗氏)

*12:「なぜ国が「家庭教育」 教育再生会議、第2次報告案 」『朝日新聞』2007年05月28日、朝刊、3総合。

*13:教育再生会議HP http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/about.html

*14:教育再生会議 第1次報告の詳報(上)」『東京新聞中日新聞』2007年01月25日 中日新聞 朝刊 朝刊特集 「こちら特報部 首かしげる 教育再生会議の議論」『東京新聞』2007年05月08日  朝刊 朝刊特報 「なぜ国が「家庭教育」 教育再生会議、第2次報告案」『朝日新聞』2007年05月28日、朝刊

*15:「「親学推進協会」設立シンポ開催 さいたま・大宮=埼玉」『読売新聞』2007年2月4日、東京朝刊、埼玉南。

*16:「県政の足もと 07選択の年に:1)親の学習 子育て支援?指南?」『朝日新聞』2007年08月16日、朝刊、埼玉・1地方

*17:「親のあり方学ぶ 小松で24日から講座=石川」『読売新聞』2006年1月11日東京朝刊、石川2、

*18:(2018.5.14追記)『朝日新聞』2008年3月31日、朝刊、静岡・1地方。

*19:「春日井JCが40周年 式典で会員ら380人祝う」『中日新聞』2008年7月1日、朝刊、朝刊近郊版

*20:「「親学」など提言 森田知事肝いりの教育有識者会議」『朝日新聞』2010年1月20日、朝刊、ちば首都圏・1地方

*21:朝日新聞』2011年10月25日、朝刊、北九・1地方

*22:こちら特報部 親学(上)」『東京新聞』2014年9月6日、朝刊、朝刊特報1面

*23:前掲、平井和子「「家庭教育支援法」―内容と問題点」http://www.daiichi-g.co.jp/komin/info/siryo/30t2/170925/s/s1.html

*24:こちら特報部 国が家庭教育に介入?(下) 首相の悲願 地方で進む条例化」(『東京新聞』2017年2月25日、朝刊、特報2面)における清末愛砂氏のコメント。

「ポスト真実」の世界をどう生きるか ウソが罷り通る時代に

小森陽一編著、香山リカ・浜矩子・日比嘉高西谷修著、新日本出版社、2018年4月20日、221頁。

f:id:hibi2007:20180424165213j:plain:w150:right2017年9月に新宿の朝日カルチャーで行った、小森陽一さんとの対談が書籍化されました。この講座は「ポスト真実」をめぐる連続講座で、コーディネータの小森陽一さんが、香山リカさん、浜矩子さん、西谷修さんらと順に対談を行ったものです。私もその末席に連なり、1回分を担当しました。

私の分担箇所は「第2章 分断された社会をウソがまかり通る」で、ソーシャルメディアを中心としたネット環境の話と、リテラシーの話がメインになっています。その他の目次は下記の通り。

ご関心のある方は、ぜひお手にとっていただければ幸いです。

はじめに――「ポスト真実」とは何か

第1章 フェイクニュースと差別の奥にあるもの―香山リカさんとの対話
(インターネットと過剰な攻撃性/病んでいる人間精神とこれから)

第2章 分断された社会をウソがまかり通る―日比嘉高さんとの対話
(あらためて、そもそもポスト・トゥルースとは/こんな社会を生きるための作法)

第3章 日本経済と「ポスト真実」―浜矩子さんとの対話
(「断末魔」の象徴?日銀・金融緩和策の危険な行方/読み解き、気づき、「共謀」する)

第4章 歴史の書き換えはいかにして起こるか―西谷修さんとの対話
(IT社会は真実をどう書き換えるか/近代の歩みの中から見えるポスト・トゥルース問題)

第5章 言葉の危機をどうのりこえるか

honto.jp

外地書店を追いかける(10)戦時下の台湾書籍界

『文献継承』金沢文圃閣、第32GO、2018年3月、pp.12-15

新高堂、戦時下の台湾小売業界、日配台湾支店の誕生、買い手から見た戦時下台北の本屋事情などを話題にしています。

f:id:hibi2007:20180421223439j:plain

新人小説月評(文學界)3月、4月分

書いております。ご関心のある方、ぜひ。
以下の連続ツイートで内容について少し紹介しています。スレッドになっているので、クリックすると連投が読めます。

ダメ作家の作品は擁護されるべきか

KaoRiさんの告白、告発の文章を読んだ。つらかっただろうと思う。

note.mu

これを読んだあと、アラーキーの写真をこれまでと同じように見ることはできない。

アラーキーの写真は好きだった。
文学研究をしている人間として、私は作品の創作過程がはらんでいた倫理的・道徳的な問題を、そのままナイーブに作品自体の価値に結びつけて、断罪するようなことはしたくないと考えている。だから脊髄反射的に弾劾したりはしない。(現時点では一方的な申し立てだ、ということもある)

しかし、自分も研究者であると同時に、この時代を呼吸する一人の人間で、こうした創作、公開、事後対応のプロセスを経ていることが強く疑われる(断定はしないでおく)作家の作品に対して、かなりの嫌悪感を感じてしまう。そしてその感情が、作品の評価に対して跳ね返ってしまうことを止めることはできない。残念だ。

私は「モデル小説」についての歴史的な研究というのをやっていて、これとよく似たトラブルの史的変遷について少し知識がある。近代の小説家は、明治からずっと、まわりにしばしば迷惑をかけて創作を行ってきた。代表的なのが島崎藤村である。

藤村は、自分の姪っ子と性的な関係を持って、子どもまで産ませてしまった。もちろん、当時からそれは許されざることで、批判もあった。だが、彼はそのことを公表し、あろうことか『朝日新聞』にそれを題材とした連載小説まで書いた。『新生』(1919年刊)という作品がそれである。

現在では、もう考えられない状態である。当時の作家および文学についての感覚とはそのようなものだった。ただし、そのことは被害者を不幸にしなかったことは意味しない。たんに、被害者の悲劇がほとんど一顧だにされなかったというだけである。

藤村の姪っ子のその後の運命については、以下の本がある。こういう本が書かれるところに、その後の文学をめぐる私たちの社会の感性の変化がある。

島崎こま子の「夜明け前」―エロス愛・狂・革命

島崎こま子の「夜明け前」―エロス愛・狂・革命

島崎こま子おぼえがき

島崎こま子おぼえがき


藤村のモデル問題については、拙論「写実小説のジレンマ──島崎藤村とモデル問題」もあります。以下全文。
hdl.handle.net



被害者側に共感がシフトしたことを示したもっとも明確な出来事は、柳美里の『石に泳ぐ魚』(1994年)をめぐる裁判だと思う。顔面に腫瘍をもつ登場人物のモデルとされた女性が、プライヴァシー侵害などを訴えて裁判を起こした事件である。2002年に最高裁が判決を下し、柳美里の敗訴が確定した。無名の、一般人の被害の訴えが、出版差し止めという強い判断まで事態を導いた、大きな出来事だった。

この時代に、明確に「書く者」と「書かれる者」の関係性は、曲がり角をまがり終えた。そして私たちは、その後を生きている。(このあたり詳しく知りたい方は、次の拙論をどうぞ。「「モデル小説」の黄昏──柳美里石に泳ぐ魚」裁判とそれ以後」。全文以下で読めます)
hdl.handle.net



芸術家の作品の価値が、作品外の要素を排除して、それ単独で決まるというのは、ロマンチックな幻想に過ぎない。今、現実には作家自身についての毀誉褒貶や、批評軸や権力関係も含む外部的な要因で、その評価は決まっている。

その意味で、今回のKaoRiさんの告白と批判は、アラーキーにとって大きな打撃になって当然だし、それは現代の芸術空間の生態系として、当たり前の連鎖だと思う。

その上で言うとアラーキーの作品が真に偉大なら、関係者がほとんど死に絶えて、記憶が風化した後にも、彼の作品はまだ観衆を魅了し続けていると思う。芸術の偉大さがあるとすれば、時間の摩滅に耐えうるところにある。

島崎藤村の作品は、生き残った。彼は迷惑をかけ続けたトラブルメーカーだったし、もしかしたら死後75年を経てまだなお関係者で迷惑を被っている人が、いるのかもしれないが、ともかく彼の作品は読者を獲得し続けている。

アラーキーの作品は、生き残るだろうか。

卒園式の謝辞

T組のみんなにも聞いてもらいたいので、できるだけわかりやすくお話しします。

今日は雨が降ってしまってちょっと残念ですが、だんだんと暖かくなって春が近づいてくるなかで、こうして卒園式をみんなですることができるのは、とってもうれしいことです。すばらしい式を準備してくださった先生方に、まずはじめにありがとうございますと申し上げます。

f:id:hibi2007:20180330090711j:plain:w250:rightT組のみんなは、6歳になるまで、C保育園で過ごしましたが、長い間、保育園に通ったなと思いますか。わたしは、この保育園に子どものTGと一緒に6年近くの間通いましたが、あっという間に時間がたったと感じます。

最初は、保育園に来る坂道を、だっこして上りました。
それから、ゆっくりと手をつないで、少しずつ一緒に歩いて上るようになりました。
最初はぜんぶひとりで歩けませんでした。
それからひとりで上るようになって、坂の途中の葉っぱや枝、自転車、書いてある字を一緒に見たり、触ったりするようになりました。
かたつむりを探したり、たんぽぽの綿毛を飛ばしたり、雪の玉をつくって投げたりしました。
今では、歩いている私を置き去りにして、TGは走って行ってしまって、私が「待ちなさい!」と言うようになりました。

思い出してみると、本当にあっという間です。
ここまで大きく、元気になったのは、園のために働いてくれているすべてのみなさんのおかげだと感謝しています。

成長したのは、子どもだけではないと思っています。私たち家族にとっては、はじめての子育てでした。あかちゃんを、小さい子どもを育てていくということが、どういうことなのか、わからないまま、迷いながら、不安に思いながら、やってきました。何度も、園の先生方には相談に乗ってもらいました。はげましてもらいました。今でもまだ、立派な親になったとは到底言えませんが、「親になる」ということの手助けをしていただいた。そう感謝しています。

お世話になったたくさんの先生方、園を代わられたり辞められたりした先生方にも、ありがとうございました。保健の先生方、給食の先生方、ありがとうございました。活動を支えてくださった教職員のみなさんにも、ほんとうにありがとうございました。
親の働く仕事場の近くに保育園があり、そこで温かいサポートが受けられるということは、ほんとうにありがたいことでした。それは親にとっても、子どもにとってもそうでした。

四月からT組のみんなは、小学校に進みます。心配もちょっとあるかもしれません。でも、大丈夫です。みんなはこのC園で、いろんなことができるようになりました。
はやく走れるようになりました。
絵も上手に書けるようになりました。
お話をしたり、聞いたりするのもじょうずになりました。
小学校に行っても、ぜったいに大丈夫です。
四月に小学生になったら、元気に学校に行って、学校で起こったおもしろかったこと、楽しかったこと、新しく見つけたことについて、おとうさんおかあさんや家族に聞かせてください。みんなの家族は、それをとっても、たのしみにしています。

長くなりました。このC園が、これからもますます元気で、笑顔にあふれた、安心できる園として、発展していきますことを願っております。今日は本当におめでとう。そして、ありがとうございました。

『〈自己表象〉の文学史』第三版、刊行されました

f:id:hibi2007:20180325165903j:plain:right:w200 2002年の刊行以来ご好評をいただいている(自分で言うな)『〈自己表象〉の文学史――自分を書く小説の登場』の第三版が刊行されます。
第三版のポイントは、

  • 私小説研究文献目録が最新の状況にアップデートされた
  • ソフトカバーになった
  • 定価が 2900円+税 に値下げになった
  • 第三版あとがきがついた

であります。もうすぐ、書店店頭やネット書店で買えるようになると思います。


以下、書誌、第三版あとがきと、目次を掲げます。

書誌

発行日 2018年3月20日
発行所 翰林書房
ISBN 978-4-87737-420-4
総ページ 297頁

第三版あとがき

 本書『〈自己表象〉の文学史――自分を書く小説の登場――』は、二〇〇二年に初版が刊行された。筑波大学に提出した私の課程博士論文を公刊したものであった。それから一五年が経過したことになる。
 刊行時に、「自己表象」という言葉をめぐって、翰林書房の今井肇氏から、ややわかりにくいのではないかと再考を促されたことを思い出す。修士論文や博士論文の審査過程でも、先生方からいく度もこの言葉の意味の説明を求められた。当時、わずかな先例しか見い出すことのできなかった術語であり、ほぼ造語に近い感覚を与えるものだと自分でも認識していた。いま、この言葉は文学研究だけではなく、社会学や人類学、歴史学で時折見かける言葉となっている。もちろんそれは私のささやかなこの本の影響などではなく、「自己」を「表象」することをめぐる学術的な関心が、さまざまな領域において広がってきたということを示すものだろう。他者や周囲の環境に向かって、どのように自分自身の「現われ」を指し示すのか、その表象行為のなかにどのような戦略や駆け引きがあるのか、分野を問わず興味深い考察テーマでありえよう。
 この一五年間の私小説研究の状況は、盛況とはいえなかったが、停滞していたわけでもなかった。法政大学の私小説研究会とそのメンバーたちの活動があり、他の研究者の著作も継続的に現れている。車谷長吉(惜しくも二〇一五年に亡くなったが)やリービ英雄柳美里佐伯一麦西村賢太らの創作活動もある。詳しくは本書所収の私小説研究文献目録の増補分をご覧いただければ幸いである。
 学術出版をめぐる厳しい環境の中、第三版を刊行して下さった翰林書房の今井肇氏、静江氏には心から御礼を申し上げたい。相談の上、この版からソフトカバーとし、定価も大幅に下げることとしている。私小説の歴史に関心を持つ少しでも多くの方に、手に取っていただければ幸いである。

二〇一八年二月三日

目次

 [目次]
序 章 〈私小説起源論〉をこえて
  1 〈自分を書く〉ということ
  2 先行する評価群の整理
  3 〈私小説起源論〉の諸種
  4 批判と超克

第I部 〈自己表象〉の登場

 第1章 メディアと読書慣習の変容
 1-1 作品・作家情報・モデル情報の相関──明治三〇年代──
  1 『新声』と新声社の活動
  2 作家情報と作品の交差
  3 題材/モデル情報と作品の交差
  4 作家情報と題材/モデル情報

 1-2 「モデル問題」とメディア空間の変動──明治四〇年代──
  1 「モデル問題」の射程
  2 「モデル問題」の顛末
  3 「モデル問題」のもたらしたもの

 第2章 小説ジャンルの境界変動
  1 「自分を主人公として作つた」小説たち
  2 〈身辺小説〉の流行と〈自己表象テクスト〉の登場
  3 「蒲団」の読まれ方
  4 小説ジャンルの境界変動
  5 〈自己表象テクスト〉の出発

 第3章 〈文芸と人生〉論議と青年層の動向
  1 〈文芸と人生〉論議の推移
  2 青年たちの〈文芸と人生〉
  3 「人生観上の自然主義」という思想
  4 論議の行方

 第4章 〈自己〉を語る枠組み
 4-1 〈自我実現説〉と中等修身科教育
  1 〈自己〉への関心
  2 〈自我実現説〉とは何か
  3 中等修身科教育と〈自我実現説〉
  4 〈自己〉を語る枠組みの形成
  5 結び──〈自己〉・人格・芸術

 4-2 日露戦後の〈自己〉をめぐる言説
  1 「二潮交錯」
  2 〈自己〉論の三つの系統1 自己の文芸論
  3 〈自己〉論の三つの系統2 自己の描写論
  4 〈自己〉論の三つの系統3 自己の探求論
  5 〈自己〉論の隆盛と〈自己表象テクスト〉

 第5章 小結──〈自己表象〉の誕生、その意味と機能
  1 小結
  2 〈自己表象〉の再評価へ向けて
  3 〈自己表象〉の意味と機能

第II部 〈自己表象〉と明治末の文化空間

 第6章 自画像の問題系──東京美術学校『校友会月報』と卒業製作制度から──
  1 自分を描く小説と絵画
  2 東京美術学校西洋画科の卒業製作制度
  3 絵画の読み方──作品と「人格」
  4 〈自己〉への関心の広がり──校友会文学部と同時代の動向
  5 〈自画像の時代〉へ

 第7章 帰国直後の永井荷風──「芸術家」像の形成──
  1 ある〈肖像〉
  2 読書の慣習と新帰朝者
  3 『あめりか物語』から『ふらんす物語』へ
  4 「歓楽の人」荷風

 第8章 〈翻訳〉とテクスト生成──舟木重雄「ゴオホの死」をめぐって──
  1 〈ゴッホ神話〉の形成
  2 〈神経衰弱小説〉の系譜
  3 「ゴオホの死」における〈翻訳〉
  4 結び──〈翻訳〉を拡張する

 初出一覧
 あとがき
 私小説研究文献目録
 索引