日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

マリヤンの本を追って──帝国の書物ネットワークと空間支配

日比嘉高「マリヤンの本を追って──帝国の書物ネットワークと空間支配」、河野至恩・村井則子編『日本文学の翻訳と流通──近代世界のネットワークへ』勉誠出版、2018年1月12日、pp.243-259

【概要】
第二次世界大戦以前の、内地外地を結んだ書物流通網は、どのようなものだったのか。本論では、中島敦「マリヤン」を横糸にしながら、ネットワークと空間に関する理論的な考察を行う。植民地支配下における「空間の生産」、ネットワークの複数性、均質化と差異化、異民族が出会う接触領域、抵抗のネットワークなどについて検討する。

この論考は以下の本に収められています

河野至恩さん、村井則子さんの編で、三つの軸をもつ論文集です。すなわち、(1)日本近代文学の欧米語への翻訳史の再検討、(2)日本語テクストにおける日本・東洋・アジアのイメージの形成、(2)20世紀前半の東アジア・東南アジアにおける文化テクストや書物の翻訳・流通。
個人的には、自分自身の関心に近い、

  1. ユートピアへの迂回路―魯迅・周作人・武者小路実篤と『新青年』における青年たちの夢」アンジェラ・ユー(A・ユー/竹井仁志 訳)
  2. 「ミハイル・グリゴーリエフと満鉄のロシア語出版物」沢田和彦
  3. 「日本占領下インドネシアの日本語文庫構築と翻訳事業」和田敦彦

の各論文に教えられるところが多かったです。
本は、2018年年明けぐらいから、書店に並ぶはずです。ぜひ。

http://bensei.jp/images/books/22682.jpg
bensei.jp

本年、新人小説月評(文學界)を担当します

f:id:hibi2007:20180109162401j:plain:w150:right今年一年、『文學界』の新人小説月評を担当することになりました。公私ともに、いろんな意味で、いま/今年これをやるのかよ俺は的な思いが去来しますが、せっかく与えられた貴重な場、貴重な誌面です。しっかりと全力で、現代作家の最前線の言葉に向き合おうと思います。

今月(一月号掲載作品)の対象作は、上田岳弘「愛してるって言ったじゃん?」山崎ナオコーラの「笑いが止まらない」(以上は『すばる』の特集「対話からはじまる」に収載)、そして水原涼の「積石」文學界)の3作でした。

文芸時評ってのは、どの作品にどれくらいの文字数で触れるのか、ってのがそれ自体で評価を示すものだと思うのですが、『文學界』の新人小説月評は、編集部から(原則として)作品の指定が来るので、その点で少し特殊でしょう。以下、拙評の出だしだけイントロとして貼っておきます。

 文芸作品というのは、私たちヒトがみずからとその周囲の環境に向けて張りめぐらしたセンサーの、そのもっとも敏感な部分の一つではないかと思っている。ある時代に書かれた小説をまとまった量で読み込んでいくときに浮上するのは、そうしたセンサーが触知した〈何か〉の輪郭である。
 文芸時評もまた、そうしたセンサーの一部であり、かつそうしたセンサー自体に自己言及していく、メタ・センサーのようなものだろう。仕事柄、一〇〇年前、八〇年前などの文芸誌をまとめて読むことがあるが、読み進めるにつれて浮かび上がってくるその時代の輪郭に、よりはっきりした姿を与えているのが文芸批評の言葉である。
 私のこの時評がその任を果たせるか、どうか。これから一年間、同時代のセンサーの網の目に身を投じることになりました。よろしくお願いします。

「フェイク・ニュースとポスト真実の時代」(名大アゴラ第12回セミナー)

FacebookTwitterでは紹介していたのだけれど、こちらには記載するのを忘れていました。明後日土曜日12月16日15:30~、@名古屋大学です。

2017年の流行語大賞にもノミネートされた(笑)2語をめぐってお話しします。ご関心ある方は、ぜひ。


「フェイク・ニュースとポスト真実の時代」


日比嘉高名古屋大学人文学研究科准教授・日本文学)

2017年12月16日(土)
15:30~17:00(開場:15:00)
名古屋大学 東山キャンパス アジア法交流館2階レクチャールーム2
http://cale.law.nagoya-u.ac.jp/access/
*地下鉄「名古屋大学駅」1 番出口より徒歩5 分


 嘘を付き続ける政治家が当選し、虚偽の主張を掲げた党派が勝利し、フェイク・ニュース(デマ・ニュース)がネットで拡散する。嘘が、嘘だと露見しても、相応の報いを受けることなく事態は続くーー。
 こうしたことが日本だけでなく、さまざまな国で起きています。真実がかつてのような力を持ち得なくなってしまった時代、それを「ポスト真実」の時代と呼びます。この言葉は、イギリスのEU離脱の国民投票の際に注目度が上がり、アメリカでトランプ大統領が選出された選挙戦のなか、そして選出後の騒ぎの中で脚光を浴びました。日本の状況もまさにその真っ只中と言えるでしょう。
 なぜ嘘がまかり通るのか。このセミナーでは現代のネット環境や、事実軽視の風潮、感情が優越する状況、社会的な分断の感覚などに注目しつつ、その背景を探ります。またあわせて、騙されないため、分断を乗り越えるための現代的リテラシー(読み書き能力)についても考えます。

nu-anti-war.wixsite.com

学会向け批評記事のウェブ先行公開は、愚挙なのか

学会印象記を先行公開して叱られまして

少し前にこういう記事を書きました。

hibi.hatenadiary.jp

学会外の人に少し説明すると、日本近代文学(近現代日本文学研究についての最大の学会です。会員数約1600人)には「会報」という冊子媒体があります。これには学会の案内や、発表される研究の予告的要旨、印象記、彙報などが載っています。会員にのみ配られます。f:id:hibi2007:20171211234433j:plain:w150:right

「印象記」というのは、学会でなされた発表、交わされた議論について、まとめをしつつ多少批評的なことを付け加えるような、そんな文章のことです。私は今回、学会の秋季大会特集について、それを書くように依頼され、応諾しました。

で、ここからが問題なのですが、私はそれを上記の通り、先行的にウェブで公開しました(『会報』自体はまだ出ていません。次の4月刊かな)。勝手に、でした。上記エントリで「公開に際して多少迷いましたが」と書いたように、依頼された文章を、その掲載媒体がまだ刊行される前に公開することは、やっぱりまずいよな、と思ったからです。叱られるかも、とも考えました。

それで、やはり先日、担当の委員会から望ましくない、という指摘を受けました。委員会から来た指摘は冷静で、かつこちらの意も理解してくださった書き方で、無茶をした(という自覚はあります)こちらが、頭を下げるしかないようなものでした。委員の皆さんには、私の勝手なふるまいでご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。タイトルで「愚挙」と書いているのも私が勝手にタイトル的に盛っているだけで、委員会がそう批判しているわけではありません。

ただ、偉そうないい方に聞こえてしまうかもしれませんが、この展開は予見できたことでした。こうなるかな、と思ったのですがそれでも、私はやってしまおうと思いました。なぜか。前置きが長くなりましたが。その理由をここに書いておこうと思います。問題は、学術情報の公開化と社会化という、現代的な課題に繋がっていると思います。オルトメトリックス(altmetrics)の話が、下で出て来ます。

『会報』をディスる

いたずらに挑発するわけではありませんが、紙媒体の『会報』のどこに不満があるのか、端的に書いておきます。

『会報』は会員しか読まない
読んでたかだか1600人。本当に読んでいるのはその半分か2/3か。

『会報』は出るのが遅い
半年前の学会のことなんて、登壇した本人以外みんな忘れてますよ。

『会報』は一方通行である
言いっ放し、書きっぱなし。

『会報』は文字制限がある
1200字で3時間のシンポジウムの内容をまとめて批評しろとか、それ無理ですって。

『会報』は出てこない
さて、今日は学会。『会報』持って出かけ・・・て、どこ?どこに置いた?
もちろん3年前の会報とか保存してあるわけがない(保存してあるのかどうかもわからない)

『会報』の本来の役割

『会報』の公開制限性については、学会員になったからこそ読める「特典」なのだから当たり前だろう、という反論があり得ます。理解できます。が、会員の学会費は、会員の特典のために使ってもよいが、そのいくぶんかは学術的成果の公開化のために使ってもよいと考えることはできないでしょうか。そろそろ『会報』はその本来の役割に立ち返って、会員間のより円滑なコミュニケーションに資するように姿を変え、かつ学会外の人々やその興味関心とも繋いでいくような姿に変身することはできないでしょうか。

つまりは学会が生産した学術的な成果をよりオープン・アクセスな状態にし、かつ学会というものの存在それ自体をもう少し世の中に知ってもらうために役立てた方がいいのではないか、ということです。具体的には、大多数の会員がPCやスマートフォンなどで学会についての情報をえることができ、かつTwitterFacebookなどのソーシャルメディアの利用者はそこで学会についての情報交換を行うことが当たり前となっている時代には、そうした会員に向けた、そして非会員にも向けた学会コンテンツの提供をした方が、学会の利益になるのではないでしょうか。

学会は、会員外からも関心を向けてもらい、成果を伝え、そして新しい会員の獲得へとつなげる。学会報告をした研究者は、それについての反応をウェブ上で受け取ることができる。学会から論争が消えている、という議論を聞いたことがあります。たしかに、20年前30年前の学会誌などを読むと、すげーなこれ・・・というような激しい応酬が繰り広げられていたりします。それが当時の感覚であり、それを紙の媒体と郵送で往復し合うのが当時のリズムだったのでしょう。いまはモードが変わっていますね。優しくなっている、というのもありますが、一方でソーシャルメディアによる別のつながりも生まれている。

そういうことを考えていくならば、当然、いっそ冊子体をやめる、あるいは電子との併存に持っていくという話もありえます(間歇的にそういう議論が出ていることも知っています。他学会ではとっくにそうしているところも多い)。むろん経費削減にもなります。

オルトメトリックス altmetrics

少し別の角度から説明してみます。近年、発表された研究の影響度を測る指標として、論文数・被引用数や、掲載誌のインパクトファクターなどとは別の指標が模索されはじめています。オルトメトリックス altmetricsという、より即時性、社会性に重点を置く指標です。

孫媛氏の「研究評価のための指標:その現状と展望」『情報の科学と技術』67巻4号(2017)から引用します。
doi.org

オルトメトリックス(altmetrics)は,alternative とmetrics からの造語で,以下の 2 つの意味で用いられる。①ソーシャルメディアにおける反応を中心に,学術論文などの研究成果物の影響度を定量的に測定する手法(指標)。②①の測定手法を用いて新しい研究の影響度を測定・評価する研究。

オルトメトリックス指標は,ソーシャルメディア上での論文の閲覧や引用,言及などの「イベント(event)」に基づいて構成される。具体的にはたとえば,Mendeley やCiteULike 等文献管理ツールへの保存数,ダウンロード数,ウェブリンクやブックマークされた回数,ブログやTwitterFacebook 等で取り上げられた数,F1000 での推薦数等がある。


論文の被引用数のカウントや、国内誌のインパクトファクター計算すらできていない、ドメスティックな人文社会科学のお寒い状況であるのに、なにをいうか、と我ながら思います。しかし、オルトメトリックス指標がもつ方向性そのものは、現代的でありますし、人文社会科学のような現代社会の課題と切り結ぶことを重視する学術領域においては、むしろ親和的でさえあるのではないでしょうか。

孫媛氏は「研究者コミュニティ内だけではなく,より広範な社会一般への影響度を追跡できることは,オルトメトリックスの重要な特徴」だといいます。

学会が学会の成果をウェブ上に上げていくことは、ソーシャルメディア上での被言及数を増やすことに直結します。それは、ネット社会の影響力がますます強くなっている現代の社会において、学会が存在感を発揮していくためには欠かすことができない公表手段であるはずです。

#ありがとう、「笠間書院の中の人」

多少脱線気味になりますが、笠間書院から編集者の岡田圭介さんが退きました。『リポート笠間』の編集、メールマガジン、そしてTwitterのアカウント「笠間書院‏ @kasamashoin」などが、ここ数年で果たしていた役割はとても大きく、またどんどん重要さが増していたように思います。

内部に向けてだけ情報を出しがちな日本文学系の学会を、横断的につなぎ、ウェブ上に可視化してくれたのは、まちがいなくこれらの媒体でした(『リポート笠間』は冊子ですが、このレビューがウェブ上に投稿される)。

岡田さんが退社され、メールマガジンが第一期終刊、ツイートも停止したようです。

この穴は、大きいですよ。穴が空いて初めて、そこにあったものの大きさがわかります。現代の学会情報の可視化・流通において、ああした作業はものすごく重要でした。そしてそれが属人的な作業によってのみなされていたことに、この業界の問題があるのだというべきでしょう。

と、下書きしていて、いまタイムラインを見てみたら、岡田さんの新アカウントが爆誕しているじゃないですか。これは要注目!
twitter.com


『会報』は生まれ変わるべし

『会報』も、それができたときには、より早く、より手軽なかたちで、会員たちをむすびつけるコミュニケーション・ツールとして開発されたはずです。しかしいまや(というかもうここ20年ぐらいでね…)、『会報』が行いうることは、すべてウェブによって、より早く、よりインタラクティブな形で代替できる。『会報』に固執する意味は、もうほとんどなくなっているのではないか、と思うのです。学会の日、要旨をまとめた小さい冊子があるのは便利ではありますが。

もちろん、上記の事由があるからといって、依頼された原稿のlong versionを、勝手にウェブで先行公開することには大きな問題があります。仁義に悖りますし、会報の(私の原稿の)価値はやはり下がるでしょうし、「原稿の二重売り」にさえみえなくもない(どちらもお金のやりとりはないですが)。その点で、確かに私の行為は批判されるべきものでした。申し訳ないと、思っております。

が、私はそれでもやってしまいました。考えてみれば、『会報』の印象記よりも、ここに書き連ねたこの文章をこそ、書きたかったからなのかもしれません。

(附記と宣伝)おまえんとこの学会は、今さらそんなレベルの議論かよ、という声が聞こえる気がします。幻聴ではないでしょう。けどこれでも一応、学会誌の本誌は全文公開されておるのです。使ってね ↓
www.jstage.jst.go.jp

だれが小学生の作文を改ざんしたのか:検閲、震災、虐殺、発禁本

きのう目に入って、読ませてもらった id:Vergil2010 さんの記事。興味深かったです。
vergil.hateblo.jp


読んでいて「おっと!?」と思うところがあって、そこを起点にするともう少し深掘りできそうだったので、ざっと調べてみました。考えてみた主なポイントは次になります。

  • どうして『子供の震災記』は国会図書館に2冊あるのか
  • 「事実を改ざん」した「この国の権力」の正体とは、なんだったのか

以下、できるだけ簡潔に進めます。と思って書きましたが、謎が謎を呼んでけっきょく長くなりました。ご勘弁。最後に関連文献の紹介もしてあります。目次は以下

これ発禁本じゃん──国会図書館の蔵書検索結果の読み方

着目した最初のポイントはここです。これは国会図書館の蔵書検索NDL-OPACの検索結果なのですが、で囲った請求記号に注目。一方は「526-64」、もう一方は「特500-641」とあるのがわかります。

f:id:hibi2007:20171129011247j:plain

注目すべきなのは「特500-641」の方です。「特500」は特別な番号です。こちらに説明があります(発禁本 | 調べ方案内 | 国立国会図書館)が、この番号が付された資料は、「昭和12(1937)年以降、内務省から移管された帝国図書館蔵のもの1,124点」とあります。当該の『子供の震災』(特500-641)も、これらのうちの一冊と考えられます。


ここからわかるのは、『子供の震災記』(特500-641)は内務省の検閲を受けて、発売禁止処分を受けた本だということです。『国立国会図書館所蔵発禁図書目録 : 1945年以前』を見てみましたが、確かに載っています。しかも、その処分理由ですが、「風俗壊乱」。…おっと。私はてっきり「安寧秩序妨害」の方だと当たりを付けていたのですが、さにあらず。卑猥であるわけはないので、残忍の方でしょうか。

当時出版物は、検閲を受けるために内務省に提出される必要がありました。内務省は検閲後に本を保管していましたが、時にそれらをまとめて図書館などに移管する措置を行いました。

『子供の震災記』は発禁本だった。するとやっぱり、「事実を改ざん」した「この国の権力」の正体とは、直接的には内務省の検閲官たち、広くいえば大日本帝国の国家権力なのでしょうか。もう少し掘ってみます。

刊行の主体は東京高等師範学校附属小学校関係者

id:Vergil2010 さんが示している奥付には、明確に出て来ませんが、NDL-OPACにもう少し細かい書誌を表示させてみると、こう出てきます。

f:id:hibi2007:20171129010705j:plain

東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会」みたいですね。東京高等師範学校、いまの筑波大の前身です。これを著者名にしてNDL-OPACを引き直すと、48件ヒットします。『子供の震災記』の刊年である1924(大正13)年あたりを示すとこんな感じ。

f:id:hibi2007:20171129010800j:plain

ざっとタイトルを見てみるに、教授法や授業内容の具体例を示した本が多いようで、実践的な初等教育関係の教育研究・出版普及活動をしていた組織だと考えて良いのではないでしょうか。48件のうち、他に特500の請求記号をもつものはありませんから、(この検索の範囲では)他に発禁処分を受けた形跡もない。

また48件のタイトルを通覧していくと『子供の震災記』が、この組織の刊行物としてはちょっと特殊だということにも気づきます。題名だけを見ていても、固い感じの実践的教育関連書が並んでいます。『子供の震災記』は少し異質に見えます。

出版社からわかること

出版社にも注目しましょう。大正期を見てみると、ほとんど培風館です。現在も活動を続けている教育系出版社です。
http://www.baifukan.co.jp/kaisha/bfkgaiyo.html

一方、『子供の震災記』は目黒書店。目黒書店も教育系の本を多く出しますが、もうちょっと守備範囲は広い。「東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会」が目黒書店から出している本は、『佐佐木吉三郎教育論集』『児童の実生活と訓練』(いずれも1926年)、そして『子供の震災記』だけです。

つまり、『子供の震災記』は「東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会」にとっても、ちょっといつもとは違う本で、しかも刊行を任せた出版社も初めて付き合う出版業者だったということがわかります。

研究会が刊行の主導権を持ったのか、出版社が誘ったのかわかりませんが、おそらくは前者でしょう。生徒の作文は学校内部の資料なので、出版社が先に目を付けることはまずないですから。

さて、これで問題の本が刊行された輪郭が、ぼんやりですが見えてきました。ここからは検閲をめぐるお話です。だれが、子供たちの作文を「改ざん」したのか。


「検閲」はどのように行われていたのか

『子供の震災記』は発禁処分を受けました。「特500-641」という請求記号を付された本の存在が、それを示します。

では、『子供の震災記』(526-64)の本はどう考えれば良いのでしょうか。ここで、刊行時期に注目します。

『子供の震災記』(特500-641)
大正十三年五月十五日 印刷
大正十三年五月二十日 発行

『子供の震災記』(526-64)
大正十三年七月五日 印刷
大正十三年七月十日 発行

おおむね一ヶ月半ほどの時差があります。前出の『国立国会図書館所蔵発禁図書目録 : 1945年以前』には、発禁処分の日付として「大正13.5.19」とあるので、処分を受けたのは、前者です。

後者の方ですが、「526-64」というのは通常の請求記号ですから、この本は、目黒書店が国会図書館に通常のルートで納品したと推定されます。

この一ヶ月半の間に行われたのが、子供たちの作文の「改ざん」ということになります。

さて、「改ざん」はどのようにして行われたのか。その具体的なプロセスはもちろんわかりませんが、当時の検閲の実態および『子供の震災記』の序文から考えるに

  1. 「改ざん」したのは東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会の教員
  2. 検閲担当者からは、一言一句にわたるような詳細な指示は出ない
  3. 本の版面(活字組み)はもう完成しているので、出版社はそれを組み直したくない
  4. 担当者は、朝鮮人虐殺の直接的な表現が現れないような「改ざん」を行った

と推定されます。

誤解している方もいるかもしれませんが、戦前の国家検閲で、本や雑誌の文言を変えたり削除したり伏字にする主体は、国家の官僚たる検閲官ではありません。彼らは刊行の可否を判断し、指示や示唆をするだけ。文言を実際にいじっていくのは、作家や記者などの書き手であり、出版社・雑誌社の編集者たちです。

ですから、ここで「改ざん」したのは東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会の中の人。小学校教員です。

検閲官は、問題箇所の例示はするでしょうが、全ページにわたり、一言一句について指示したりはしません。10~30数人(だったと記憶。時期により増減)で国内の出版物全体を相手にする建前だから、そんなにヒマであるはずがない。実際、「特500-641」の全ページをめくってみましたが、検閲官の書き込みらしきものは見つけられませんでした。ですから、おそらくは口頭で結果の伝達と指示がなされた。多少の相談も行われたかもしれません。

あとは刊行する人たちが、「自主的な」判断で改変していく。ここに自己検閲と、忖度が発生します。

検閲が本当に怖いのは、ここです。国家が直接手を下すところは多くない。民間の担当者達が発生させていく「自主的な」規制の数々が、文化を縛り付けていくのです。

(ちなみに、すごく細かい書き換えを工夫してやっていますよ。行と頁が動かないように、文字数を合わせて置き換えているの、わかりますか?)

教員は何を考えたか

子供たちの作文に手を入れていく教員たちは、どのような気持ちだったか。

大正十三年五月十五日といえば、関東大震災から8ヶ月後です。巨大な直下型地震の直撃を受けて、文字通り地獄を見た子供たちです。今なら、このタイミングでの振り返りの作文には、ストップがかかりそうですね。けど当時は、やった。

教員たちには、震災の記録を残したい、そして世間に知らせたいという強い希望があった。序文を読めばそれはわかります。彼らは、震災の実態を、それを書き残した子供たちの目と文章を世に広く知らせたかった。出版社の目黒氏も、それに応じて「実費」でこの仕事を請け負ったとあります(7頁)。

けれど、内務省はそれにストップをかけた。朝鮮人の虐殺のありさまや、飛び交う噂、恐怖から残忍な攻撃性をみせたり、おびえきっている人々(子供を含む)の姿がこれでもかと記録されていたからだと推定できます。書き直しの部分がそこに集中していることがそれを証明します。

当初、教員たちはそれを世に出す気でした。彼らは全校生徒から集めた作文を選抜し、出版社と費用の相談をしてさらにそこから絞り込んで、100名分の作文集にした。彼らは意図的に、朝鮮人虐殺の描写をもつ作文を選んでいたと考えるべきです。序文にこうあります。

暗黒にのみおほはれた社会にも、尚且つ美事善行の強い光を見得る

これをそのまま読むと、子供たちに筆による、被災した市民たちの「美事善行」を広く知らしめたいというように読めます。もちろんそれもあるでしょう。しかし朝鮮人虐殺の作文を会えた複数載せた研究会は「暗黒にのみおほはれた社会」をも示し残そうとしたと考えられないか。これは私の推測です。

内務省からストップをかけられた研究会は、悩んだことでしょう。発禁処分は、当時たいへんな不名誉です。しかも風俗壊乱。ふつうはエロの方でひっかかるやつです。彼らは教育に関わる人たちで、清廉でなければならなった。まさか自分たちの出版物が風俗壊乱の発禁処分に遭うとは思いも寄らなかったでしょう。

相談した彼らは、朝鮮人虐殺の部分を消すことにしました。どのような気持ちで消したのか──。

それを考えるためには、さらに精密なテキストの分析が必要になるでしょう。何を消し、何を残したのか。そして何を「見せ消ち」にしたのか(しなかったのか)。それを考えることによって、研究会の判断と戦略が見えるかもしれない。

彼らは内務省に白旗を揚げたのか、あるいは面従腹背の毒を、改変した本文の中に仕込んだのか。

最後の謎

さて、最後の謎があります。
実は調べてみて気づいたのですが、『子供の震災記』はほとんど市場に流通している気配がありません。図書館の所蔵さえない。

全国の図書館を横断検索できる「カーリル」ではでてこない。
全国の大学図書館を横断検索するCinii booksで2館が所蔵。→ http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA37637552
日本の古本屋でヒットなし。
Amazon.co.jp ヒットするも在庫なし。
東京都立図書館、所蔵なし。早稲田大学図書館、東京大学図書館、所蔵なし。

たぶん、この本、流通しなかった本です。なぜ流通しなかったのはよくわかりません。研究会と目黒書店は、出し直すつもりだった。だから本文を改変して改訂版を作って国会図書館に納本した。奥付には定価もちゃんと書いてあります。しかし出なかった。書き直し本も、内務省へ持ち込まれたでしょう。もしかしたら、そこでやはりだめだと言われたかも知れない。

あるいは研究会が自主的に取り下げたかもしれない。序文にはこうあります。

文には、私共からは決して手を加へないことにしました。従て、子供の作そのまゝです。(7頁)

あきらかな嘘です。研究会の内部で、これについて葛藤があった、それで販売を取りやめた、というのは私の穿ちすぎた見方でしょうか。


さて、気になるのは、Cinii booksで出てきた2館の本です。刊記をみると、こうなっています。

f:id:hibi2007:20171129011842j:plain

1924(大正13)年4月。本当は現物を確認したいですが、いまはこれを信じます。4月、つまり、検閲を受けた「特500-641」より、一ヶ月早い本です。なんだこれは

ここで俄然気になってくるのが、「特500-641」および「526-64」の奥付です。あきらかに紙が貼ってあります(→こちらid:Vergil2010さんの画像)。この紙を剥がすと、おそらく「四月」の刊記が出てくる、と私は推測します。

なぜその本が、神戸市立中央図書館と、鳴門教育大学 附属図書館にあるのか。謎です。私は、『子供の震災記』の流通量の少なさから見て、これらの本は、もともと東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会の関係者がもっていた架蔵本だと推理します。一方の所蔵が教育大系なのはその傍証になるかもしれません。

さて、その本は「526-64」系の本文なのか「特500-641」系の本文なのか。もしかしたら関係者の書き込みがあるのかもしれない──

などなど、疑問は膨らみますが、今回はこのあたりでストップしましょう。

まとめ

「事実を改ざん」した「この国の権力」の正体はなんだったのでしょう。私の考えるその答えは、国家の公権力と、各々の職域で遂行される忖度との結託です。

「権力」は国会議事堂の中だけにあったり、永田町にだけあったりしません。茫洋とした「国家」というどこかにあるわけでもない。権力は、私たちが日々生きる実践の中にもあるのであります。

ちなみに、『子供の震災記』序文の書き手の肩書きは、「東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会 修身研究部」。私はてっきり国語系かと思っていましたが、修身。戦前の作文教育は、国語教育であると同時に修身(道徳)教育であったわけです。

これが戦前のことだけであることを、祈ります。



参考文献

以上、戦前の検閲のことを色々書いてきましたが、最近このあたりは急激に研究が進みました。私もそれらから学んでいます。ご関心持たれた方は、ぜひ以下もお読み下さい。(戦後のGHQ検閲研究関係もすごく進みましたが、今回そっちは省略)

「検閲本のゆくえ--千代田図書館所蔵「内務省委託本」をめぐって」
浅岡 邦雄
中京大学図書館学紀要 (29) 2008 p.1~21

「戦前期内務省における出版検閲--禁止処分のいろいろ(講演報告)」
浅岡 邦雄,小泉 徹
大学図書館問題研究会誌 (32) 2009-08 p.29~42

千代田図書館内務省委託本&出版検閲コレクション
千代田区千代田図書館 2011

幻の出版検閲改革 : 昭和初期の内務省と出版者の相克
安野 一之
Intelligence (14) 2014-03 p.102-117

検閲・メディア・文学―江戸から戦後まで

検閲・メディア・文学―江戸から戦後まで

検閲と文学--1920年代の攻防 (河出ブックス)

検閲と文学--1920年代の攻防 (河出ブックス)

風俗壊乱―明治国家と文芸の検閲

風俗壊乱―明治国家と文芸の検閲

伏字の文化史―検閲・文学・出版

伏字の文化史―検閲・文学・出版

検閲の帝国

検閲の帝国

戦争と検閲――石川達三を読み直す (岩波新書)

戦争と検閲――石川達三を読み直す (岩波新書)

(印象記)日本近代文学会2017年秋季大会特集「ポスト文学史のアクチュアリティ──正史解体後の展望」long version

以下は、日本近代文学会の2017年秋季大会の特集「ポスト文学史のアクチュアリティ──正史解体後の展望」愛知淑徳大学星ヶ丘キャンパス、2017年10月14日(土))の印象記です。学会運営委員会から執筆の依頼を受けたのですが、長くなりすぎたので草稿を long version としてここに公開します。会報掲載の印象記は、これを縮めた1200字のversionとなります。
 公開に際して多少迷いましたが、学会内部で流通する冊子体の「会報」とインターネットとでは読者層がかなり異なり、それぞれの読者、そして学会にとって不利益になることはなかろうと判断し、先行公開します。興味が湧いた方は、ぜひ日本近代文学会にご入会を~。



文学史は本当に多様化したのか


 特集は司会・小平麻衣子の問題提起から始まった。従来的で正統的な〈大きな文学史〉は、さまざまな文学の担い手へと目配りする多様な文学史へと転換を果たした。だが、そこで起こった問題は、文学史が共有されないという事態であった。正典的な文学史が抑圧的機能を果たしていたことへの理解は広がり、その解体が進められた。が、現在の問題はその後にある。たとえば、文学史は教室においては必ずしも抑圧としてのみ働くわけではないのではないか。いまこそ、別のアプローチ(終焉と再定義)、ポスト文学史の議論をするべきではないか。このような提起と聞きとった。
 中山弘明の報告「「明治文学談話会」と文学史──〈学問史〉の視点から──」は、柳田泉木村毅らの集った明治文学談話会の活動とその意義をめぐる語りを、とりわけ、神崎清の言論に注目しながら分析した。具体的には明治文学談話会が講座派的な唯物史観にもとづく問題意識を有したことを明らかにし、文学史の歴史記述が行われる際に、政治思想や党派性などが介在したことを指摘した。
 安藤宏の報告「文学史は表現に内在する」は、〈重箱の隅〉というたとえを用いて、文学史の座標的原点に位置するようなものを見い出すことの重要さと、そこから出発する文学史的展望の可能性を説いた。年表や資料集など外在的なものから迫るのではなく、表現に内在する文学史を、という訴えであった。安藤のいう「内在」とは表現それ自体のダイナミズムをとらえることだという説明であった。
 松本和也の報告「「文学非力説」論議の位置・意義・圏域」高見順の「蘭印の印象」などを起点に、1940年代の「文学非力説」論議の位置づけを検討した。評論の言説そのものだけでなく、文壇への登場時期や戦争への態度など、関連する要素を幾重にも重ねて考えることの重要さ――1940年代は書かれた文字を文字通りには読めない時代だとしながら――を強調した。ただし、分析と論述は結論までたどり着いたという印象は薄く、資料整理と重層性の強調のみに終わった。
 中谷いずみの報告「空白の「文学史」を読む──〝政治と文学〟にみるジェンダー・ポリティクス」は、無産者解放運動の中における雑誌『女人芸術』のあり方の特質を考え、とりわけ藍川陽「生活の感傷」におけるハウスキーパーの表象に注目した。同時代の政治と文学を語る構えの中で働くジェンダー機制を指摘しながら、『女人芸術』という雑誌の、型にはまらない開放性こそが、同時代の枠からはみ出す感知しづらいものの表象を呼び寄せ、記録し得たとした。それをテコとし、既成の枠のあり方を反射的に批判し、ゆらめかせる可能性を論じた。
 ディスカッサントの大澤聡は、1930年代という文学史の立ち上がりの時期に光を当てたことの意義を、平野(謙)史観の再検討、政治と文学(の終焉)の問題、客観性を偽装することへの警戒などから整理した。そこから、文学と歴史が終焉を迎えていくポストモダン的な流れを確認し、のっぺりとフラット化した状況にどのような時間軸を再導入するかという現在的な問題へとつないだ。文学系の学会が、文学史的展望を再導入し、状況を「ソフトランディング」していく役割を果たすべきでは、という提起もあった。
 会場からは、文学史を考える視点があまりに「日本近代文学」の中に内閉しているのではないか、世界文学や東アジアの視点を欠いていないか、という批判的な問い掛けがあったが、登壇者はいずれも明確には回答しなかった。
 私がシンポジウム全体を通して聞いた感想は三つある。一つは、既存の「枠」からはみ出したものにどのように気づき、それを呼び入れていくかという問題をめぐってである。中山と中谷が、この課題に取り組んでいた。中山はそれを「談話」を聞くことと、雑多な問題に切り込んでいく神崎清の個性とから論じた。明治文学を振り返る当事者の「談話」は、文章化され整序された回想記や後の世代の思い込みを打ち破る“型破りな”力をもっている。明治文学談話会は――そしてそれを論じる中山は――木下尚江老人を招き入れることで、その可能性を見い出した。また神崎清の活動は、文学だけでなく、戦後には基地問題や売買春の問題までも広がっていった。その越境性を、文学史叙述は文学の閉域を内破する力として使えるはずだ、という提起と受け取った。
 中谷は既存の枠からはみ出しているものをどう呼び入れるのかの課題を、『女人芸術』という場の、開かれたありさま、「ゆるさ」の機能に見い出した。なんでもありの開放的編集方針だからこそ、認識の地平の向こう側へ届くような記事が突発的に出現する。たとえばハウスキーパー問題を認識する回路が不在だった時代に、それを発見するような作品が現れてしまうという僥倖が、「ゆるさ」の結果として到来する。〈選択と集中〉的な新自由主義の発想が、いかに文化を細らせるか、そして我々が問題を発見する回路そのものを消滅させていくのか――そんなことを想起しながら、私は中谷の報告を聞いた。
 二つ目だが、それにしても文学史を再論するという課題を考えるにしては、今回の議論はあまりにも(全員がそうだったとは言わないが)現代歴史学が行ってきた歴史叙述の冒険について目配りを欠いていなかったか。地政的中枢の歴史だけではなく、地方の、構造の、計量の、トランスナショナルの歴史を、大政治家の歴史だけでなく大衆の、女性の、マイノリティの、マイクロストーリーの歴史を、理性の歴史だけではなく感性の、知覚の、身体の歴史を、作り手の歴史だけでなく受け手の歴史を、言葉の歴史だけではなく、声の、音の、味の、手触りの、記憶の歴史を、そして一巡した後に「(これまでなら)中心(とされてきたもの)」の歴史をどう書くのか――などなどという、現代歴史学の貪欲な冒険を、文学研究者も目にしていないわけではあるまい。文学史は、文学の歴史である。文学「史」をめぐる今回の議論は、その歴史を論じる理論的な枠組み、歴史観のレベルにおいて、あまりにも素朴だった。
 最後に大澤の言っていた「学説史」の必要性には、私も強く同意する。(近代)文学研究がどのような道を歩いてきたのかは、これからこの領域を学ぶ学生たちにとって有用であるだけでなく、現在その領域に身を投じている私たちにとっても、現在時を歴史的なパースペクティブの中で再確認するという意味において、非常に重要であろう。私たちの文学史は本当に多様化したのかの点検にもなるに違いない。それもまた、文学史を再考する際の付随的課題のひとつではないだろうか(というか、ないのがおかしいことに気づこうよ)


(訂正)2017.11.14 22:06
× 神西清
○ 神崎清
× 南印
○ 蘭印

東アジアと同時代日本語文学フォーラム 2017ソウル大会、終了

少しだけですが、報告と写真がこちらから見られます。

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