日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

「みらい翻訳」を使って仕事をしました。(使用感)

ちょっと前の紹介Tweetが予想外に出回ってしまったので、責任?を感じまして、ちょいと使用感について書いておきます。

仕事の状況

  • 私は日本人の日本文学・文化研究者
  • 英語は下手くそ。けどときどき英語で学会報告する必要あり
  • 今回はその発表原稿を作成

結論
めちゃ使えました。人間と機械の知的な協働の姿の一つの形が、ここにあるかもと思いました。まさに「みらい」体験。みらい翻訳のサイトは以下URL。
https://miraitranslate.com/trial/

アメリカ人の研究者にネイティブチェックしてもらいましたが、彼も「仕事がなくなるかも(笑)」と驚いていました。(彼は日本語翻訳の上級クラスを大学で持っている)

具体的使用感
ただし、そのままでは使えません。

◎ 1 英語らしい文構造や言い回しにしてくれる
○ 2 平易な表現を作るので、口頭発表が楽
× 3 語彙を置き換える必要あり
× 4 単数複数の区別が苦手
× 5 訳し間違いはそれなりに出てくる

1はほんとにありがたかった。私のような日本語脳の持ち主は、英語的な言い回しそのものを作るのに、すごく苦労する。というか現状ではできない。みらい翻訳は、そこを代替してくれる。しかも爆速で。英文の読み上げ原稿の作成スピードは桁違いに上がります。

2は、両面あります。とても平易で、多くの話者が理解できるような語彙に置き換えてくれるので、英語能力が低い私にとって、理解しやすく、また自分で話しやすい。

一方、これは 3 の注意点とバーターでもある。どの業界でもそうだと思うけど、喋っている内容を、外側の文脈とか理論的背景に関連付けていくようなキーワードや術語、言い回しがあるはず。そこはcontact のspaceじゃなくてzoneにしてください、みたいな。ここを適切に置き換えていけるかどうかが、上述の私のような仕事の場合には、キモかな、と思いました。

4 はもう日本語の仕様なのでしかたがないです。みらい翻訳の設計者達はがんばっていると思うんですけれど(訳せてるところもあるから。それってすごいことじゃ?)、基本的に日本語が単複を明示しない言語である以上、無理がある。こちらで直していくしかない。

5 も、当たり前。どれだけ行っても0にはならない話だと思う。間違いを探して、適切に直すこちらの能力が試されます。
で、私に関して言えば、完璧にそれをやるのは到底無理。人間のネイティブチェッカーに頼りました。研究発表ですから、、、やっぱその筋の人にチェックしてもらわないと、というのもありました。

おわりに
こういう、機械の仕事が人間の知的作業を助けてくれる場面は、これからどんどん増えていくんだろうなと感じました。機械はたぶんどこまでいっても欠点を抱え続けるだろうけれど、それをよく知った上で付き合えば、ものすごく有能なパートナーになってくれる。機械か人間か、は1か0かじゃないんですね。とっても面白い経験でした。今後も、お世話になり続けることでしょう。

高校国語科の曲がり角 ──新学習指導要領の能力伸長主義、実社会、移民時代の文化ナショナリズム

現代思想』第47巻7号、2019年5月、pp.114-123

この論考では、現在進行中の「改革」によって変わろうとしている国語科の姿を確かめ、批判的に検討した。具体的に取り上げたのは、2018年に公示された高校国語の新学習指導要領である。

節題は以下の通り。

1.新しい学習指導要領はどこへ向かうのか
2.能力伸張主義にもとづく科目編成──亡霊が歩き始める
3.「実社会」コンプレックス──不安が愛を叫ばせる
4.自国語・自国文化尊重主義──教室に座っているのは誰か
5.おわりに 〈「文学国語」を使い倒す〉に向けて

同号の特集「教育は変わるのか」には、国語教育改革関係の他の関連論考(紅野謙介さん、阿部公彦さん、五味渕典嗣さん)も掲載されています。目次はこちらからどうぞ。
www.seidosha.co.jp

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新紙幣登場についてコメント(東京新聞)

新紙幣の件で、東京新聞でコメントをしています。
「不遇の二千円札 触れたくない「危険物」」東京新聞、朝刊、2019年4月10日、25面
ちょっと勢い盛られてる感じがするけど、まあ、、、はい。文学者が消えたことを嘆く文学研究者的なアレ。

最近頂戴した本 4冊

Twitterでも紹介しましたので、以下貼ります。省力モード。

頂戴した本はまだまだまだまだあるのですが、順次、挙げていきます。まず手近な(文字通り机の上の方にあった)4冊でした。
ご恵投下さった他の著者/編者の皆さん、申し訳ありませんが、今しばらくお待ち下さい。

〈空白〉の根底 鮎川信夫と日本戦後詩

〈空白〉の根底 鮎川信夫と日本戦後詩

「鏡」としての透谷?表象の体系/浪漫的思考の系譜

「鏡」としての透谷?表象の体系/浪漫的思考の系譜

ポストコロニアル台湾の日本語作家 黄霊芝の方法

ポストコロニアル台湾の日本語作家 黄霊芝の方法

中野重治・堀田善衞 往復書簡1953-1979

中野重治・堀田善衞 往復書簡1953-1979

文化資源とコンテンツを文学研究的に論じるための覚え書き――文豪・キャラ化・参加型文化

日比嘉高、『横光利一研究』17号、2019年3月、pp.63-74、研究展望

日本近代文学館で行われている「新世紀の横光利一」展に合わせて、『横光利一研究』(17号、2019)が刊行されています。特集は「文化資源(コンテンツ)としての文学」。私は次の研究展望を載せています。

概要(を説明した「はじめに」部分の引用)

1.はじめに──文学の生態系(エコシステム)の変化
 この覚え書きで私は、次のことを考えてみたいと思っている。一つには、「文化資源」および「コンテンツ」という言葉を導きに、文学の生態系(エコシステム)で起こっている変化を捉えることである。この二つの言葉の来歴、含意、射程を確認した上で、付随して「プラットフォームの横断性」や「参加型文化」「キャラクター」についての検討を行いたい。そして最後に、生態系の変化のなかで文学研究もまた変わっていくと考え、その展望を探ってみよう。文学作品を論じる理論的枠組みは、「作品」から「テクスト」へと動いたが、文学の創出と享受に関わる主体と環境の相対としての生態系の変化を視野に入れた場合、「作品」から「コンテンツ」への移行を検討しうるかもしれない。また昨今の「文豪」への注目は、あらためて、キャラ化されたものを含む「人」への関心の強さを我々に示しているようにも思われる。〈作者の死〉以後の作家そして登場人物のあり方を考える必要がありそうだ。

本文では、次のような節を並べています。

2.「文化資源」を考える道具立て
3.「コンテンツ」を考える道具立て
4.コンヴァージェンスと参加型文化
5.生態系の変化の中で
6.「キャラ化」という文脈最適化
7.おわりに──生態系の変化の中で文学研究は何を行うのか

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横光利一研究、17号、2019

遅すぎる子供と早すぎる大人

息子が遅すぎる

f:id:hibi2007:20190209234613j:plain:right:w200息子は小1になっているのだが、どうにも行動が遅い。着替えも遅い、食べるのも遅い、勉強を始めるのも遅い、遊びをやめるのも遅い。給食はクラスで一番最後に食べ終わり、プールの教室でも一番最後に着替え終わる。

遅くなってしまう理由は色々あるようだけれど、その一つには「時間とタスクの俯瞰能力」の問題があるような気がする。子供なら誰だってそうだ、という特性であるわけだが、今日はそのことについてつらつら無駄話してみる。ひさびさの子育てネタだ。

時間とタスクの俯瞰能力が育っていない

出かける10分前になって、歯も磨いてない、トイレも行ってない、ハンカチも持ってない、それなのに俺はまだ笑いながらパンをかじっている、ということに気づけば、大人は「うわ、やば」となってスイッチが切り替わる。残りの10分間が俯瞰できるからである。

子供は、それがうまくできない。私の息子もタスクのリスト(歯磨き、トイレ、ハンカチ…)はわかってはいるようだが、それと10分間の持ち時間のサイズ感や、10分間の過ごし方のイメージが結べないようである。

5時半から「ゲゲゲの鬼太郎」を見たいなら、あと30分の間に宿題終わった方がいいよね、ということを理解し納得するのだが、物音や机の上の物品にあっという間に関心を持っていかれてしまい、「30分の俯瞰」が「目の前の関心」にいともたやすく打ち倒される。結果、鬼太郎の開始にはやっぱり間に合わないのである。

リュックサックにキーホルダーを付けるな

保育園の時、リュックサックにキーホルダーやらいろいろ付けてはいけない、と園から指示が来た。うるさいなあ、そんなところまで口出ししなくても安全である限りいいじゃないか、と思ったのだが、その理由の説明にそやねぇと納得した。リュックに何かついていると、子供はそっちに関心をもっていかれてしまう。リュックを持って集合、先生のお話を聞きます、というときなどに、目の前に現れたキーホルダーが格好のおもちゃになって、ごそごそと遊び始めて耳がお留守になってしまう、ということだった。

我が子を見ていてよくわかる。目の前の棒きれはすぐに鋭い剣に化け(ヤアっ)、L字型っぽい形状の物品はピストルとなり(バキューンバキューン)、四角いものは車に(ぶいーん)細長い器か円柱は戦艦(波動砲ッ!ドワーン 宇宙戦艦ヤマト絶賛流行中)となる。穴があれば覗き込み、鏡があれば変顔でふざけだし、シモに結びつくネタを目に耳にすれば即座に「おし○、お○ぱい、○ん○ん、う○ち」×nでテンション急上昇↑

大人はそうではない。目の前のなにごとかに関心を持っていかれそうになっても、時間とタスクの俯瞰をすることができるから、やるべきことのトリアージができる。それは、大人が大人になる過程で時間をかけて身につけてきた能力である。

時間がないとき、チンタラいつまでもやっている息子に腹を立てる。早くしろよ。早くやれよ。早く大人になれよ、と。

でも、ふと思う。俯瞰がいつもいいとは限らない。

俯瞰がいらないとき

子供と一緒に、近所の公園に遊びに行った。もう夕方に向かう時間帯だった。寒い日で、風も強く、全然乗り気ではなかった私は、適当に受け流しながら、彼の遊びに付き合っていた。

頭の中では、別のことを考えていた。……あと何分で帰った方がいい。帰ったら遅くなっているおやつを食べさせて、宿題やらせないといけない。鬼太郎の前に、だ。寒いし。体も冷えるし。さっきから鼻水出てるじゃねーか。そういや、あのメール書いてないわ。あ、あれもそろそろリマインドしないとな。……

子供は、全力で遊んでいる。ちょっと前から「石の隠しっこ」がブームなのだが、必死で私が隠した石のありかを探している。「えー、どこー、どこー、このへーん?」

「あー、そのへん、そのへんだなー」とヒントを出す。「あったっ!」と見つけて走ってくる子供を見て、ふっと自分がうまく笑い返せないと思う。心がここにないから。私の心は今を俯瞰して、高いところから見てしまっているから。

言うことがころころ変わる先生

「○○先生、もーほんと相談に行くたびに言うこと違うんだもの」と、知り合いが昔大学時代の恩師を振り返ってそういった。思い出話として。

今私は同じような立場に身を置いて、その先生のことがわかる。彼の心はそこになかった。別の仕事、別の講義、別の論文、別の学生、家のこと、自分のこと、その他色々なことを同時にやっている。その都度その都度、各仕事はそれなりにまじめにやっていて、目の前の学生の相談にも真剣に向き合う。

けれど、相談の場に臨んで集中し相手に向き合うが、同時に俯瞰する自分も上空で走っている。目の前のタスクは、その場のタスクとして処理されて、持続しない。結果、この相談と次の相談の連続性は、途切れがちになる。

俯瞰のスイッチを切る

俯瞰することによって大人はタスクを管理し、処理スピードを上げている。それは人が社会化していく上でどうしても必要な能力だ。

けれどそれによって、たくさん受けとめられるはずの何かをわずかにしか手にしなかったり、大切に育てられる何かを知らぬ間に毀損してしまうことが、あるのかもしれない。

俯瞰のスイッチを切る時間が、大人には時に必要なのだろう。



なお、えらそうに書いたこの文章は、締め切りをとうに過ぎた某論考が行き詰まった逃避として書いている。タスクを俯瞰するのって難しいですね(涙)