日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

だれが小学生の作文を改ざんしたのか:検閲、震災、虐殺、発禁本

きのう目に入って、読ませてもらった id:Vergil2010 さんの記事。興味深かったです。
vergil.hateblo.jp


読んでいて「おっと!?」と思うところがあって、そこを起点にするともう少し深掘りできそうだったので、ざっと調べてみました。考えてみた主なポイントは次になります。

  • どうして『子供の震災記』は国会図書館に2冊あるのか
  • 「事実を改ざん」した「この国の権力」の正体とは、なんだったのか

以下、できるだけ簡潔に進めます。と思って書きましたが、謎が謎を呼んでけっきょく長くなりました。ご勘弁。最後に関連文献の紹介もしてあります。目次は以下

これ発禁本じゃん──国会図書館の蔵書検索結果の読み方

着目した最初のポイントはここです。これは国会図書館の蔵書検索NDL-OPACの検索結果なのですが、で囲った請求記号に注目。一方は「526-64」、もう一方は「特500-641」とあるのがわかります。

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注目すべきなのは「特500-641」の方です。「特500」は特別な番号です。こちらに説明があります(発禁本 | 調べ方案内 | 国立国会図書館)が、この番号が付された資料は、「昭和12(1937)年以降、内務省から移管された帝国図書館蔵のもの1,124点」とあります。当該の『子供の震災』(特500-641)も、これらのうちの一冊と考えられます。


ここからわかるのは、『子供の震災記』(特500-641)は内務省の検閲を受けて、発売禁止処分を受けた本だということです。『国立国会図書館所蔵発禁図書目録 : 1945年以前』を見てみましたが、確かに載っています。しかも、その処分理由ですが、「風俗壊乱」。…おっと。私はてっきり「安寧秩序妨害」の方だと当たりを付けていたのですが、さにあらず。卑猥であるわけはないので、残忍の方でしょうか。

当時出版物は、検閲を受けるために内務省に提出される必要がありました。内務省は検閲後に本を保管していましたが、時にそれらをまとめて図書館などに移管する措置を行いました。

『子供の震災記』は発禁本だった。するとやっぱり、「事実を改ざん」した「この国の権力」の正体とは、直接的には内務省の検閲官たち、広くいえば大日本帝国の国家権力なのでしょうか。もう少し掘ってみます。

刊行の主体は東京高等師範学校附属小学校関係者

id:Vergil2010 さんが示している奥付には、明確に出て来ませんが、NDL-OPACにもう少し細かい書誌を表示させてみると、こう出てきます。

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東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会」みたいですね。東京高等師範学校、いまの筑波大の前身です。これを著者名にしてNDL-OPACを引き直すと、48件ヒットします。『子供の震災記』の刊年である1924(大正13)年あたりを示すとこんな感じ。

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ざっとタイトルを見てみるに、教授法や授業内容の具体例を示した本が多いようで、実践的な初等教育関係の教育研究・出版普及活動をしていた組織だと考えて良いのではないでしょうか。48件のうち、他に特500の請求記号をもつものはありませんから、(この検索の範囲では)他に発禁処分を受けた形跡もない。

また48件のタイトルを通覧していくと『子供の震災記』が、この組織の刊行物としてはちょっと特殊だということにも気づきます。題名だけを見ていても、固い感じの実践的教育関連書が並んでいます。『子供の震災記』は少し異質に見えます。

出版社からわかること

出版社にも注目しましょう。大正期を見てみると、ほとんど培風館です。現在も活動を続けている教育系出版社です。
http://www.baifukan.co.jp/kaisha/bfkgaiyo.html

一方、『子供の震災記』は目黒書店。目黒書店も教育系の本を多く出しますが、もうちょっと守備範囲は広い。「東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会」が目黒書店から出している本は、『佐佐木吉三郎教育論集』『児童の実生活と訓練』(いずれも1926年)、そして『子供の震災記』だけです。

つまり、『子供の震災記』は「東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会」にとっても、ちょっといつもとは違う本で、しかも刊行を任せた出版社も初めて付き合う出版業者だったということがわかります。

研究会が刊行の主導権を持ったのか、出版社が誘ったのかわかりませんが、おそらくは前者でしょう。生徒の作文は学校内部の資料なので、出版社が先に目を付けることはまずないですから。

さて、これで問題の本が刊行された輪郭が、ぼんやりですが見えてきました。ここからは検閲をめぐるお話です。だれが、子供たちの作文を「改ざん」したのか。


「検閲」はどのように行われていたのか

『子供の震災記』は発禁処分を受けました。「特500-641」という請求記号を付された本の存在が、それを示します。

では、『子供の震災記』(526-64)の本はどう考えれば良いのでしょうか。ここで、刊行時期に注目します。

『子供の震災記』(特500-641)
大正十三年五月十五日 印刷
大正十三年五月二十日 発行

『子供の震災記』(526-64)
大正十三年七月五日 印刷
大正十三年七月十日 発行

おおむね一ヶ月半ほどの時差があります。前出の『国立国会図書館所蔵発禁図書目録 : 1945年以前』には、発禁処分の日付として「大正13.5.19」とあるので、処分を受けたのは、前者です。

後者の方ですが、「526-64」というのは通常の請求記号ですから、この本は、目黒書店が国会図書館に通常のルートで納品したと推定されます。

この一ヶ月半の間に行われたのが、子供たちの作文の「改ざん」ということになります。

さて、「改ざん」はどのようにして行われたのか。その具体的なプロセスはもちろんわかりませんが、当時の検閲の実態および『子供の震災記』の序文から考えるに

  1. 「改ざん」したのは東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会の教員
  2. 検閲担当者からは、一言一句にわたるような詳細な指示は出ない
  3. 本の版面(活字組み)はもう完成しているので、出版社はそれを組み直したくない
  4. 担当者は、朝鮮人虐殺の直接的な表現が現れないような「改ざん」を行った

と推定されます。

誤解している方もいるかもしれませんが、戦前の国家検閲で、本や雑誌の文言を変えたり削除したり伏字にする主体は、国家の官僚たる検閲官ではありません。彼らは刊行の可否を判断し、指示や示唆をするだけ。文言を実際にいじっていくのは、作家や記者などの書き手であり、出版社・雑誌社の編集者たちです。

ですから、ここで「改ざん」したのは東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会の中の人。小学校教員です。

検閲官は、問題箇所の例示はするでしょうが、全ページにわたり、一言一句について指示したりはしません。10~30数人(だったと記憶。時期により増減)で国内の出版物全体を相手にする建前だから、そんなにヒマであるはずがない。実際、「特500-641」の全ページをめくってみましたが、検閲官の書き込みらしきものは見つけられませんでした。ですから、おそらくは口頭で結果の伝達と指示がなされた。多少の相談も行われたかもしれません。

あとは刊行する人たちが、「自主的な」判断で改変していく。ここに自己検閲と、忖度が発生します。

検閲が本当に怖いのは、ここです。国家が直接手を下すところは多くない。民間の担当者達が発生させていく「自主的な」規制の数々が、文化を縛り付けていくのです。

(ちなみに、すごく細かい書き換えを工夫してやっていますよ。行と頁が動かないように、文字数を合わせて置き換えているの、わかりますか?)

教員は何を考えたか

子供たちの作文に手を入れていく教員たちは、どのような気持ちだったか。

大正十三年五月十五日といえば、関東大震災から8ヶ月後です。巨大な直下型地震の直撃を受けて、文字通り地獄を見た子供たちです。今なら、このタイミングでの振り返りの作文には、ストップがかかりそうですね。けど当時は、やった。

教員たちには、震災の記録を残したい、そして世間に知らせたいという強い希望があった。序文を読めばそれはわかります。彼らは、震災の実態を、それを書き残した子供たちの目と文章を世に広く知らせたかった。出版社の目黒氏も、それに応じて「実費」でこの仕事を請け負ったとあります(7頁)。

けれど、内務省はそれにストップをかけた。朝鮮人の虐殺のありさまや、飛び交う噂、恐怖から残忍な攻撃性をみせたり、おびえきっている人々(子供を含む)の姿がこれでもかと記録されていたからだと推定できます。書き直しの部分がそこに集中していることがそれを証明します。

当初、教員たちはそれを世に出す気でした。彼らは全校生徒から集めた作文を選抜し、出版社と費用の相談をしてさらにそこから絞り込んで、100名分の作文集にした。彼らは意図的に、朝鮮人虐殺の描写をもつ作文を選んでいたと考えるべきです。序文にこうあります。

暗黒にのみおほはれた社会にも、尚且つ美事善行の強い光を見得る

これをそのまま読むと、子供たちに筆による、被災した市民たちの「美事善行」を広く知らしめたいというように読めます。もちろんそれもあるでしょう。しかし朝鮮人虐殺の作文を会えた複数載せた研究会は「暗黒にのみおほはれた社会」をも示し残そうとしたと考えられないか。これは私の推測です。

内務省からストップをかけられた研究会は、悩んだことでしょう。発禁処分は、当時たいへんな不名誉です。しかも風俗壊乱。ふつうはエロの方でひっかかるやつです。彼らは教育に関わる人たちで、清廉でなければならなった。まさか自分たちの出版物が風俗壊乱の発禁処分に遭うとは思いも寄らなかったでしょう。

相談した彼らは、朝鮮人虐殺の部分を消すことにしました。どのような気持ちで消したのか──。

それを考えるためには、さらに精密なテキストの分析が必要になるでしょう。何を消し、何を残したのか。そして何を「見せ消ち」にしたのか(しなかったのか)。それを考えることによって、研究会の判断と戦略が見えるかもしれない。

彼らは内務省に白旗を揚げたのか、あるいは面従腹背の毒を、改変した本文の中に仕込んだのか。

最後の謎

さて、最後の謎があります。
実は調べてみて気づいたのですが、『子供の震災記』はほとんど市場に流通している気配がありません。図書館の所蔵さえない。

全国の図書館を横断検索できる「カーリル」ではでてこない。
全国の大学図書館を横断検索するCinii booksで2館が所蔵。→ http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA37637552
日本の古本屋でヒットなし。
Amazon.co.jp ヒットするも在庫なし。
東京都立図書館、所蔵なし。早稲田大学図書館、東京大学図書館、所蔵なし。

たぶん、この本、流通しなかった本です。なぜ流通しなかったのはよくわかりません。研究会と目黒書店は、出し直すつもりだった。だから本文を改変して改訂版を作って国会図書館に納本した。奥付には定価もちゃんと書いてあります。しかし出なかった。書き直し本も、内務省へ持ち込まれたでしょう。もしかしたら、そこでやはりだめだと言われたかも知れない。

あるいは研究会が自主的に取り下げたかもしれない。序文にはこうあります。

文には、私共からは決して手を加へないことにしました。従て、子供の作そのまゝです。(7頁)

あきらかな嘘です。研究会の内部で、これについて葛藤があった、それで販売を取りやめた、というのは私の穿ちすぎた見方でしょうか。


さて、気になるのは、Cinii booksで出てきた2館の本です。刊記をみると、こうなっています。

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1924(大正13)年4月。本当は現物を確認したいですが、いまはこれを信じます。4月、つまり、検閲を受けた「特500-641」より、一ヶ月早い本です。なんだこれは

ここで俄然気になってくるのが、「特500-641」および「526-64」の奥付です。あきらかに紙が貼ってあります(→こちらid:Vergil2010さんの画像)。この紙を剥がすと、おそらく「四月」の刊記が出てくる、と私は推測します。

なぜその本が、神戸市立中央図書館と、鳴門教育大学 附属図書館にあるのか。謎です。私は、『子供の震災記』の流通量の少なさから見て、これらの本は、もともと東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会の関係者がもっていた架蔵本だと推理します。一方の所蔵が教育大系なのはその傍証になるかもしれません。

さて、その本は「526-64」系の本文なのか「特500-641」系の本文なのか。もしかしたら関係者の書き込みがあるのかもしれない──

などなど、疑問は膨らみますが、今回はこのあたりでストップしましょう。

まとめ

「事実を改ざん」した「この国の権力」の正体はなんだったのでしょう。私の考えるその答えは、国家の公権力と、各々の職域で遂行される忖度との結託です。

「権力」は国会議事堂の中だけにあったり、永田町にだけあったりしません。茫洋とした「国家」というどこかにあるわけでもない。権力は、私たちが日々生きる実践の中にもあるのであります。

ちなみに、『子供の震災記』序文の書き手の肩書きは、「東京高等師範学校附属小学校初等教育研究会 修身研究部」。私はてっきり国語系かと思っていましたが、修身。戦前の作文教育は、国語教育であると同時に修身(道徳)教育であったわけです。

これが戦前のことだけであることを、祈ります。



参考文献

以上、戦前の検閲のことを色々書いてきましたが、最近このあたりは急激に研究が進みました。私もそれらから学んでいます。ご関心持たれた方は、ぜひ以下もお読み下さい。(戦後のGHQ検閲研究関係もすごく進みましたが、今回そっちは省略)

「検閲本のゆくえ--千代田図書館所蔵「内務省委託本」をめぐって」
浅岡 邦雄
中京大学図書館学紀要 (29) 2008 p.1~21

「戦前期内務省における出版検閲--禁止処分のいろいろ(講演報告)」
浅岡 邦雄,小泉 徹
大学図書館問題研究会誌 (32) 2009-08 p.29~42

千代田図書館内務省委託本&出版検閲コレクション
千代田区千代田図書館 2011

幻の出版検閲改革 : 昭和初期の内務省と出版者の相克
安野 一之
Intelligence (14) 2014-03 p.102-117

検閲・メディア・文学―江戸から戦後まで

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検閲と文学--1920年代の攻防 (河出ブックス)

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風俗壊乱―明治国家と文芸の検閲

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伏字の文化史―検閲・文学・出版

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検閲の帝国

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戦争と検閲――石川達三を読み直す (岩波新書)

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(印象記)日本近代文学会2017年秋季大会特集「ポスト文学史のアクチュアリティ──正史解体後の展望」long version

以下は、日本近代文学会の2017年秋季大会の特集「ポスト文学史のアクチュアリティ──正史解体後の展望」愛知淑徳大学星ヶ丘キャンパス、2017年10月14日(土))の印象記です。学会運営委員会から執筆の依頼を受けたのですが、長くなりすぎたので草稿を long version としてここに公開します。会報掲載の印象記は、これを縮めた1200字のversionとなります。
 公開に際して多少迷いましたが、学会内部で流通する冊子体の「会報」とインターネットとでは読者層がかなり異なり、それぞれの読者、そして学会にとって不利益になることはなかろうと判断し、先行公開します。興味が湧いた方は、ぜひ日本近代文学会にご入会を~。



文学史は本当に多様化したのか


 特集は司会・小平麻衣子の問題提起から始まった。従来的で正統的な〈大きな文学史〉は、さまざまな文学の担い手へと目配りする多様な文学史へと転換を果たした。だが、そこで起こった問題は、文学史が共有されないという事態であった。正典的な文学史が抑圧的機能を果たしていたことへの理解は広がり、その解体が進められた。が、現在の問題はその後にある。たとえば、文学史は教室においては必ずしも抑圧としてのみ働くわけではないのではないか。いまこそ、別のアプローチ(終焉と再定義)、ポスト文学史の議論をするべきではないか。このような提起と聞きとった。
 中山弘明の報告「「明治文学談話会」と文学史──〈学問史〉の視点から──」は、柳田泉木村毅らの集った明治文学談話会の活動とその意義をめぐる語りを、とりわけ、神崎清の言論に注目しながら分析した。具体的には明治文学談話会が講座派的な唯物史観にもとづく問題意識を有したことを明らかにし、文学史の歴史記述が行われる際に、政治思想や党派性などが介在したことを指摘した。
 安藤宏の報告「文学史は表現に内在する」は、〈重箱の隅〉というたとえを用いて、文学史の座標的原点に位置するようなものを見い出すことの重要さと、そこから出発する文学史的展望の可能性を説いた。年表や資料集など外在的なものから迫るのではなく、表現に内在する文学史を、という訴えであった。安藤のいう「内在」とは表現それ自体のダイナミズムをとらえることだという説明であった。
 松本和也の報告「「文学非力説」論議の位置・意義・圏域」高見順の「蘭印の印象」などを起点に、1940年代の「文学非力説」論議の位置づけを検討した。評論の言説そのものだけでなく、文壇への登場時期や戦争への態度など、関連する要素を幾重にも重ねて考えることの重要さ――1940年代は書かれた文字を文字通りには読めない時代だとしながら――を強調した。ただし、分析と論述は結論までたどり着いたという印象は薄く、資料整理と重層性の強調のみに終わった。
 中谷いずみの報告「空白の「文学史」を読む──〝政治と文学〟にみるジェンダー・ポリティクス」は、無産者解放運動の中における雑誌『女人芸術』のあり方の特質を考え、とりわけ藍川陽「生活の感傷」におけるハウスキーパーの表象に注目した。同時代の政治と文学を語る構えの中で働くジェンダー機制を指摘しながら、『女人芸術』という雑誌の、型にはまらない開放性こそが、同時代の枠からはみ出す感知しづらいものの表象を呼び寄せ、記録し得たとした。それをテコとし、既成の枠のあり方を反射的に批判し、ゆらめかせる可能性を論じた。
 ディスカッサントの大澤聡は、1930年代という文学史の立ち上がりの時期に光を当てたことの意義を、平野(謙)史観の再検討、政治と文学(の終焉)の問題、客観性を偽装することへの警戒などから整理した。そこから、文学と歴史が終焉を迎えていくポストモダン的な流れを確認し、のっぺりとフラット化した状況にどのような時間軸を再導入するかという現在的な問題へとつないだ。文学系の学会が、文学史的展望を再導入し、状況を「ソフトランディング」していく役割を果たすべきでは、という提起もあった。
 会場からは、文学史を考える視点があまりに「日本近代文学」の中に内閉しているのではないか、世界文学や東アジアの視点を欠いていないか、という批判的な問い掛けがあったが、登壇者はいずれも明確には回答しなかった。
 私がシンポジウム全体を通して聞いた感想は三つある。一つは、既存の「枠」からはみ出したものにどのように気づき、それを呼び入れていくかという問題をめぐってである。中山と中谷が、この課題に取り組んでいた。中山はそれを「談話」を聞くことと、雑多な問題に切り込んでいく神崎清の個性とから論じた。明治文学を振り返る当事者の「談話」は、文章化され整序された回想記や後の世代の思い込みを打ち破る“型破りな”力をもっている。明治文学談話会は――そしてそれを論じる中山は――木下尚江老人を招き入れることで、その可能性を見い出した。また神崎清の活動は、文学だけでなく、戦後には基地問題や売買春の問題までも広がっていった。その越境性を、文学史叙述は文学の閉域を内破する力として使えるはずだ、という提起と受け取った。
 中谷は既存の枠からはみ出しているものをどう呼び入れるのかの課題を、『女人芸術』という場の、開かれたありさま、「ゆるさ」の機能に見い出した。なんでもありの開放的編集方針だからこそ、認識の地平の向こう側へ届くような記事が突発的に出現する。たとえばハウスキーパー問題を認識する回路が不在だった時代に、それを発見するような作品が現れてしまうという僥倖が、「ゆるさ」の結果として到来する。〈選択と集中〉的な新自由主義の発想が、いかに文化を細らせるか、そして我々が問題を発見する回路そのものを消滅させていくのか――そんなことを想起しながら、私は中谷の報告を聞いた。
 二つ目だが、それにしても文学史を再論するという課題を考えるにしては、今回の議論はあまりにも(全員がそうだったとは言わないが)現代歴史学が行ってきた歴史叙述の冒険について目配りを欠いていなかったか。地政的中枢の歴史だけではなく、地方の、構造の、計量の、トランスナショナルの歴史を、大政治家の歴史だけでなく大衆の、女性の、マイノリティの、マイクロストーリーの歴史を、理性の歴史だけではなく感性の、知覚の、身体の歴史を、作り手の歴史だけでなく受け手の歴史を、言葉の歴史だけではなく、声の、音の、味の、手触りの、記憶の歴史を、そして一巡した後に「(これまでなら)中心(とされてきたもの)」の歴史をどう書くのか――などなどという、現代歴史学の貪欲な冒険を、文学研究者も目にしていないわけではあるまい。文学史は、文学の歴史である。文学「史」をめぐる今回の議論は、その歴史を論じる理論的な枠組み、歴史観のレベルにおいて、あまりにも素朴だった。
 最後に大澤の言っていた「学説史」の必要性には、私も強く同意する。(近代)文学研究がどのような道を歩いてきたのかは、これからこの領域を学ぶ学生たちにとって有用であるだけでなく、現在その領域に身を投じている私たちにとっても、現在時を歴史的なパースペクティブの中で再確認するという意味において、非常に重要であろう。私たちの文学史は本当に多様化したのかの点検にもなるに違いない。それもまた、文学史を再考する際の付随的課題のひとつではないだろうか(というか、ないのがおかしいことに気づこうよ)


(訂正)2017.11.14 22:06
× 神西清
○ 神崎清
× 南印
○ 蘭印

東アジアと同時代日本語文学フォーラム 2017ソウル大会、終了

少しだけですが、報告と写真がこちらから見られます。

www.facebook.com

だれが「国民の安全」を守るのか (ポリタス)

ポリタス衆院選特集に寄稿した記事が、遅ればせながら掲載されました。

だれが「国民の安全」を守るのか(日比嘉高)|ポリタス 衆院選2017ーーそれでも選ぶとしたら

この夏、戦時下の出版統制のことを調べたり、NHKの戦争がらみのドキュメンタリを見たりしながら、考えたことを書いています。

人の命は平等ですが、死は平等にはやってきません。戦争で地獄を見るのは、いつも「周縁」の人々です。
そして忘れてならないのは、「アメリカの戦争」からみたら(あるいは他の「大国の戦争」から見たら)、日本自体が「周縁」に過ぎないということです。

だれが“この国に住む人”──それは「国民」だけじゃないですよね──の安全を守るのか。
考えるきっかけにして下されば、幸いです。シェア、歓迎です。

内地/外地をまたぐ書籍流通史をめざして──転移・国策・ネットワーク (研究発表)

以下の研究報告を行います。

日本出版学会2017年度第4回(通算第102回)関西部会

日 時: 2017年10月21日(土)14時00分~16時00分
会 場: 奈良女子大学文学系S棟2階S227教室
        奈良県奈良市北魚屋西町

報告者: 日比嘉高名古屋大学大学院人文学研究科)
「内地/外地をまたぐ書籍流通史をめざして──転移・国策・ネットワーク──」

http://www.shuppan.jp/yotei/928-20171021.html

[要旨]
 今回の報告では、第二次世界大戦以前における内地外地をまたいだ書物の流通ネットワークの歴史を考える。外地向けの取次といえば、大阪屋号書店が著名だが、内地外地を結ぶ書物流通を担ったのは同店だけではない。流通網の形成と史的展開を駆け足でたどりつつ、今回はとりわけ1930年代~40年代にかけて観察される、書物流通の仕組みの他地域への〈転移〉の問題を考えたい。

第5回 東アジアと同時代日本語文学フォーラム 2017 ソウル大会

本年も開催です。第5回。

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第5回 東アジアと同時代日本語文学フォーラム 2017 ソウル大会
日程:2017年10月27日(金)~29日(日)
会場:高麗大学校(ソウル、27日)、東国大学校(ソウル28-29日)

特集テーマ:「言語圏とディアスポラ文学」
基調講演:フェイ・阮・クリーマン氏バイリンガル・ハイブリッド・テクスト」

関連する2つのシンポジウム、4つの関連パネルセッション、次世代フォーラム、自由パネル発表、自由個人発表があります。

詳細プログラムが公開されました。(10/12) → [こちらから]




詳細については、次の(1)から(3)のいずれかをご覧下さい。

(1)Facebookページ (情報の更新が早いです)
www.facebook.com


(2)高麗大学公式ページ (現在(10月10日)掲載されているプログラムは暫定版です。訂正更新します)
http://japan.kujc.kr/contents/bbs/bbs_content.html?bbs_cls_cd=002008002003&cid=17092813541173&bbs_type=B


(3)本ページでも順次告知いたします。

ETV特集「告白~満蒙開拓団の女たち~」がものすごかったから、本当に見て欲しい

8月の放送を見逃していたので、再放送を見た。
この夏のNHKの戦争関係のドキュメンタリは本当に名作揃いだった。「インパール作戦」のも「樺太引揚げ」のやつもすごかったが、私はこの「告白~満蒙開拓団の女たち~」が最高の作品だと思う。

見てない人は、ぜ っ た い に 見た方がいい。

www4.nhk.or.jp


一人の女性の告白をきっかけに、村の歴史に色んな人が向き合い始める。過酷な、そして口に出すのが憚られる歴史。女が、男が、息子が、証言を始める。資料が出て来る。つらい現実や事実が、てんこ盛りで出てくる。ここまでで充分すごい。引揚げ開拓団が作った、開拓団の中の性的「接待所」の歴史。

けど、一番この番組が凄かったのは、「戦後」も描いたことだと思う。番組は戦争を、終戦と引揚げで終わらせなかった。
「村のため」に犠牲を強いられた未婚の女性達が、おばあちゃんになるまで生きてきた70年を越える月日に、ちゃんと向き合った。

そのおばあちゃんたちの強さ。前向きさ。

歴史に向き合うってどういうことなんだろう。
人に言えないような「恥」を抱えて生きていくってどういうことなんだろう。
それを語るってどういうことなんだろう。
それを聞くとは、どういうことなんだろう。

この人たちは、ぜんぶ抱えて、でも前向きに生きてきた。きれいごとですまない歴史と人生を生きてきた。大半が穏やかになされる彼女たちの語りの奥にある壮絶な強さに、圧倒される。

「恥ずべき歴史」に向き合うことは、その人を強くするのだ、ということを、番組は教えてくれる。そしてネガティブな過去に向き合うことは、決してネガティブな行為ではなく、むしろそこから這い上がり、先へ進む、力強く、明るい(影を含んだとっても複雑な明るさだけれど)行為なのだということを、教えてくれる。

つらくて、悲しくて、苦しいけれど、しかし「人の強さ」のお裾分けがもらえるような、そんな番組だった。

オンデマンドとかで見られるようになるんだろうか。見逃した人は、本当にお薦めだからどうか見て下さい。
なお、見る時にはハンカチがいります。