日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

本の紹介 『〈変態〉二十面相』『石川啄木論攷』『エジプト人モーセ』

〈変態〉二十面相――もうひとつの近代日本精神史 | 六花出版honto.jp


昨年頂戴していながら、紹介し損ねていた論文集。お送り下さった方々、ありがとうございました、そしてごめんなさい。
〈変態〉という今や英語にまでなって抜群の知名度を誇るこの言葉の、近代における文化誌を考えた論文集。『メタモ研究会」というメタモルフォーゼ(変態)について研究した研究会の報告集でもある。
かつては真面目な学術用語──たとえば「変態心理学」など、逸脱的な心理・性欲を考えるための術語だった──であった「変態」を、いたってまじめに考究している。が、たぶんやっぱりちょっと、いやかなり楽しんでいる。そもそも書名が可笑しい。ならんだ部題も章題も可笑しい。変態と向かい合う、膨張する変態、変態する人、霊術家は変態か、三島由紀夫──とてつもない変態、などなどw
変態のエキスパート、あちがう、変態研究のエキスパート竹内瑞穂氏の「〈変態〉を学ぶ人のために」という文献紹介も付されている。



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田口道昭さんより頂戴する。全24章、680ページを超える大著である。

石川啄木論だが、歌論ではなく、主軸は日本の自然主義との関係や、著名な評論「時代閉塞の現状」論(第二部すべて)など、彼の思想やその水脈、同時代市長との関連の考察に主軸が置かれている。私自身も関心がある、自然主義評論や、渡米熱の問題、明治末の「時代閉塞」、大逆事件、朝鮮への意識と伊藤博文などについての考察が並ぶ。どれも質がすごく高い。

博士論文前後に、私は日本の自然主義の文芸評論とか青年思潮とかの問題に深入りしていていろいろ読み漁ったののだけれど、そのとき時代の中で抜群の感度を示していたのが、石川啄木と魚住折蘆だった。という次第で、啄木は私にとって超リスペクトな批評家だ。田口さんの論文は、この啄木を論じるときに、よく参照させていただいていた。角度も切れるし、実証性という点での信頼度も高い。日系移民を考えるようになって、渡米熱経由で石川啄木に再会したときにも、やっぱり読んだ論文は田口さんのものだった。

その田口さんの論考が、一冊になったことを喜びたい。今後の啄木論は、この一冊を間違いなく無視できないはず。

巻末に「石川啄木略年譜・執筆評論・同時代文学年表」という三段組みの年表があるけれど、コンパクトながら地味にすごい。さすが。索引も充実です。



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訳者の安川晴基さん(いま嬉しいことに同僚)から頂戴する。現代の記憶論の代表的存在ヤン・アスマンの代表作の一つの翻訳である。

歴史の継承、とくに近代史の批判的継承を失敗しつづけているこの国の現在において、記憶とどう向き合うか、記憶をどう論じるのかは、たいへん重要な課題であると私はかねがね思っている。釜山にもう一人増えてしまったあの少女像のことを考えるにつけても、過去の記憶がどのように現在的な布置と抗争の中で集合的に編成されつづけるのかは、痛みをもって了解されるはずである。

というわけで記録論は大事である。安川さんはドイツ文学・文化の研究者で、ドイツ系の記憶論の前線を走っている研究者で、この前も岩波の『思想』の特集で中核にいたと記憶する。今回の訳書は、ヤン・アスマンによる記憶史の実践例。ヨーロッパでエジプトがどのように想起されてきたのか、の歴史である。第1章に「記憶史は、歴史に応用された受容理論と定義することができるかもしれない」(p.26)とあって、はっとさせられる。歴史的事実としてのエジプトを追うのではなく、それに向かって生み出された言説の葛藤にこそ注目し、その言説の歴史の布置の変遷に目を凝らす。知の考古学的な手つきだけれど、やっぱりミシェル・フーコーの名前も出て来る。そうした探究によって、この本が追求しているのは、安川さんの解説によれば、一神教の暴力性、つまり原理主義の問題だという。過去のことを考えているようで、やはり現代ど真ん中なわけだ。

巻末に安川さんの分厚い解説がついており、アスマン夫妻の記憶論についても見取り図が示してあってありがたい。翻訳は、ほんとうにたいへんだったと思う。エジプト論ですもん。。。