日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

「大学改革」を財政的発想から考えることの危うさ

昨日のエントリ(「大学改革」が見ていないものは何か)の補遺です。

大学には金銭で計れない要素があまりに多い

大学が多かれ少なかれ国から資金援助を受けている以上、そこに財政的観点からのチェックが入るのは当然である。だが財政的観点は、つまるところ金銭的か観点からおこなう管理運営である。

大学には金銭的観点から計れない要素があまりに多すぎる。国立大学の非常勤講師の時間給が5000円超だとして、そこで伝達された知識はこの金銭と等価なのだろうか。学生が在学期間中に大学で得たものは、入学金や授業料などの総額と対照して考えられるのだろうか。そもそも「学生が在学期間中に大学で得たもの」は卒業時点で測るのだろうか、それとも卒業数年後だろうか、数十年後だろうか。図書館に入っている一冊の本の定価が4000円だったとして、その本の価値は4000円なのだろうか。研究成果Aで特許収入が2000万円得られたとし、研究成果Bは2万円、研究成果Cは0円だったとして、ABCの研究成果の価値の高下はA>>B>Cなのだろうか。

産業競争力会議が「大学改革」を論じている

財政的発想が呼んでいる危うさは、別のかたちでも現れてきている。大学と国の関係を論じるときのお決まりの役者は、文部科学省財務省と決まっていたが、現在もう一人の役者が大きな役割を演じ始めている。首相が議長を務める産業競争力会議である。これは内閣府のもとに設けられた日本経済再生本部もとに置かれた会議で、下位のワーキンググループに新陳代謝・イノベーション部門があり、ここがいま大学改革を積極的に論じている。

これらの組織が冠している名称を見れば、その方向性は一目瞭然である。「経済再生」「産業競争力」「イノベーション」。つまり大学改革はいま、官邸が音頭を取って、利益と経済成長を生み出す産業政策的な観点から、強力に方向付けられはじめている。当然、この方向は経済界の意向を強く受けることはいうまでもない。

話題を呼んだ、2014年のOECD経済協力開発機構)閣僚理事会における安倍総理大臣の基調演説を再掲しておこう。首相は、日本への投資を呼びかけながら次のようにいったのだった。「私は、教育改革を進めています。学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な、職業教育を行う。そうした新たな枠組みを、高等教育に取り込みたいと考えています」。

この首相の下で行われる高等教育「改革」がどれほど危ういものか、私たちは腰を落ち着けて考えた方がいい。