日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

人形を供養してきた


この前、家族の家を整理する必要があって、その手伝いに行って来た。女の子二人が育った家で、人形がたくさんあった。いくつかのどうしても棄てられないものを除いて、処分することになった。

人形は、棄てにくい。

というか、棄てられない。人形を少しでも大切にしたことがある人ならば、あるいは大切にする人を身近で見たことがあるならば、人形がたんなるモノを越えた何かになっていることに容易に気づく。たとえば私たちは、人形を踏みつけることができない。例えば私たちは、人形を傷つけることができない。あるいは私たちは、ある人々が人形を媒介として、他人へと念を――暗い想念を――届けようとさえすることを知っている。

人形と書いて、ヒトガタとも読む。

さてどう処分しようか。おそらく、そういう業者があるだろう。そう思ってネットで検索してみた。「人形 ○○(地名) 処分」。やはりある。だが「処分」でも出てくるが、その世界ではそれを「供養」と言っているようだ。供養、つまり死者の冥福を祈る行いである。やはり人形は、モノであってモノでないということか。

私自身は、人形を

特別大切にした事はない。そういえば、子供の頃いくつかの人形(ミクロマンとか。なつかしい…)を持っていたが、その後手元に置きたいと思ったことなく大人になったが、ここしばらくは人形的なものを意識的に持たないようになった。

大学院生時代だったと思うが、渋澤龍彦の書いたものが面白くて、その中に人形の話がいくつかあった。ハンス・ベルメール四谷シモンという名前を覚え、「球体関節人形」という言葉を知った。とくにハンス・ベルメールには衝撃を受けた。
http://www.tumblr.com/tagged/hans-bellmer
きもちわるく、しかし凝視せざるをえず、破壊された身体の残骸であるにもかかわらず、なぜか極度にエロティックだった。そして吉田良。写真集を二冊買ってしまった・・・。展覧会にも足を運んだ。
http://pygmalion.mda.or.jp/yosida/yosida3.html
死体のエロティシズムというものがあるとすれば、これらの人形こそがそれを体現しているように思った。

髪の毛や爪、排泄物。それらは私たちの身のうちにあったときは、ただの身体の一部だ。しかしそれが切り離された瞬間から、見るのも触るのもおぞましいなにものかに変わる。

それが「生の世界」から「死の世界」へと移行するベクトルの上で起こる出来事であるとするならば、ハンス・ベルメール四谷シモン吉田良らの人形は、「死の世界」から「生の世界」へと移行してくるなにものかである。そして彼らの作品だけでなく、原理的にはすべての人形がそうかもしれない。

だから私は人形を持たない。怖いから(笑)

いや、話題が遠く離れすぎた。

それでいま人形をなんとかせねばならない私は、

一軒の、いつでも人形供養をして下さるというところへ連絡をした。神社だった。

家にあった、人形たちを箱やケース、棚から取り出し、車に積み込んだ。振り返ってみると、そのとき私はまだ人形を「処分」する手伝いをする気分だった気がする。「供養」ではなく。カーナビに行き先を入れ、持ち主だった女性の一人――実は私の妻であるが――と一緒に30分程走る。

そこは地域では比較的有名な神社で、菖蒲園が有名だそうだ。ただし、人形供養をしているということは、妻は知らなかった。

カーナビで目的についたあと、電話で応対をしてくれた神主さんの言う通りにさらに車を走らせて、境内の奥に進む。

時間を詳しく指定していたわけではないが、神主さんは私たちの車が進入していくと、すでに準備を始めていたようだった。声をかけると、私たちを確認するまでもなくそれと知っているような感じで、供養の場――小さな社を示してくれた。その応対の「当然さ」に、かえって何か不思議な感覚をもったことを覚えている。

妻と一緒に、たくさんの人形を並べていく。私にとっては、ほとんどが初めて見る人形だったが、なかには見知っているものもある。亡くなった義父が家族の人数分を揃え、あそびで「配置」していたディズニー・キャラの小さな人形たち。床の間の横の違い棚に並び、静かに時を過ごしていた人形たち。その他私の知らない多くの人形たち。妻にとっては、そのどれもに思い出があるのだろう。

祝詞が始まる。私は車で子供が寝ていたので、神主さんに断って、席を外させてもらった。車は社のすぐ後ろに停めてあったから、近くから神事のようすがよく見えるし、声も聞こえる。一連の祈祷が終わったあと、神主さんが人形を一つ一つ手にとって、何事かを始めた。こちらからは見えない。

あとから妻に聞いてみると、神主さんは人形一体一体に、呪(しゅ)を唱えていたという。人形を手に取り、誓文を唱えながら、右目を閉じ、左目を閉じ、戻す。「精抜き(しょうぬき)」だった。人形に込められている「精(しょう)」を抜き、素の人形へと返していく。一つ一つ、神主さんは長い時間をかけた。

すべてが終わると、神主さんは妻に穏やかに話しかけた。車からうかがっていたのですべてを聞くことはできなかったが、人形を供養することの意味と大切さを話していたと思う。そのなかで、私の耳に届き、心に残った言い方があった。

「人は、成長していく中で、人形に何かを托していくのです。」

神事が終わり、戻ってきた妻は、泣いていた。

私は人形について、こういう考え方をしたことはなかった。生と死のあわいにある、気味悪くも、気になる、おぞましい隣人。渋澤龍彦に毒された文学的な感傷。そんな感じ。

だが、今回の供養と神主さんの言葉は、そういう生死の境から見るのとは違ったやり方で、人形を捉えていた。

托す、と。

今月3歳になる子供は、

犬のぬいぐるみ「わんわん」を愛している。彼は「わんわん」のおかあさんになり友達になり、食べさせ、負ぶい、寝かしつける。車に乗せる。ときに、放り投げる。その対話や遊びのあり方は、年齢に従ってしだいに複雑さを増す。ぬいぐるみの犬との対話、遊び、そして彼らが過ごした時間は、まぎれもなく彼の成長の軌跡そのものとなっている。

おそらく彼は、今にこのぬいぐるみの犬に関心を示さなくなるだろう。彼にとって友達であり赤ちゃんであった「わんわん」は、ただのおもちゃのぬいぐるみに戻る。

だが私は、もうこのぬいぐるみを「処分」することはできない。彼がこの人形に托したものを見て来てしまったから。その時間を、私も共有してしまったから。

成長の過程で人は人形に何かを托していく、という神主さんの言葉は、智恵に満ちている。托された人形には、その人が人形と交わした時間が降り積もり、その人がその時々にもっていた感情が重なっていく。人形の奥行きは、その人の過ごした人生の長さに応じて、限りなく深くなっていく。

人形は、だから棄てられない。

だが、棄てられないことが、重くなりすぎることもあるにちがいない。

妻やその家族が人形に何を托してきたのか私にはわからないが、妻の涙は人形たちとの離別の涙であると同時に、たぶんそうした重さを降ろしたことによる涙だったのではないかと思う。

妻の荷を降ろし、私に今回の気付きを与えてくれた神主さんに、心から感謝する。