学術リポジトリが変える論文の「価値」と読者層
学期末のレポートの添削をしていて、
あることに気がついた。私の今回の期末課題は、「A群に挙げた文学作品のなかから一つを選び、B群のキーワード(批評用語)から一つを参照しながら論じよ」というようなものであった。そして、先行研究を一つ以上参照することを強く推奨した。
すると、かなり多くの学生が先行論文を参照してきた。それはよかったのだが、蓋を開けてみると、学生たちに参照される論文が、ほぼ同一の一篇に限られていたのである。
仲の良い学生同士なら「貸し合った」ということが想定されるが、今回の私の授業は教養教育の比較的大人数の授業だったので、それはたぶんない。で、ははぁ、と思ってググってみた。たとえば、
[作家名ア]+[作品名ア]+[ジェンダー]
何番目かに――そして論文としては一番上位に――くだんの論文甲がヒットする。別の作品でもやってみた。
[作品名イ]+[ナラトロジー]
これは一番上位の検索結果が、くだんの論文乙だった。
おそらく同様のことは、同じような課題を出したことのある大学・短大教員なら経験があるに違いない。私も、今年だけではなく、ここ数年同じような経験を繰り返している。
かつて大学の紀要の読者は1.5人である
と言われていた。つまり書いた本人と、雑誌の編集担当者(まじめに読まないので一人未満だ)である。ところがいま、状況は変わった。
上記のようなことを起こした最大の原因の一つは、各大学図書館が推進している学術リポジトリである。自分の大学の構成員が発表した研究成果を、図書館のサービスの一環として公表する。その電子データは、各種の学術データベースへと渡されて、データベースを検索した利用者が、検索結果から直接その論文(の電子化されたもの)に飛ぶことができる。非常に便利だ。
そしてこの仕組みが思わぬ結果ももたらしている。その学術リポジトリがグーグルなど検索エンジンのクロールを受け付ける設定になっている場合、専門的な学術データベースを介さなくても、「普通にググれば」出てくるようになる。そして、学部レベルの受講生の場合、専門的な学術データベースではなく、まずググる。(先生はちゃんと学術データベースがどこにあるのか、を授業内で指示しているのに!(T-T))
このことは学部のレポートだけではない。他の場合――いや、「その筋の専門的な研究者」以外のほぼすべての論文検索者は、あるテーマについて論文を探そうと言うとき、まず(第一番目ではないかもしれないにせよ)Googleなどの検索エンジンを利用する。私自身、自分があまり詳しくない分野の論文を検索するときには、Googleにも色々キーワードを放り込んでみる。そして思わぬ拾いものをする(こともある)。研究者ではないが、なにか調べてみたい一般の調査者なら、なおさらだろう。
そしてその結果、学術論文の読者構造が大きく変わってしまった。個別の論文の電子化と、そのデータベースの検索エンジンへの開放が始まる前には、学術論文の「ヒエラルキー」ははっきりしていた。最上位にもっとも評価の高い査読付き専門誌があって、もっとも下位に大学の紀要論文がある。論文を探す人間は、当然いい論文に効率よくたどり着きたいから、普通上位から順にたどっていく。そしてその結果、紀要の論文の読者は1.5人となっていた。
ところがいまや、事態は違う。
今回の場合、論文甲も論文乙も、大学の学内学会の学会誌に発表された、大学院生の論文だった。その質は今は問わない。ともかく、甲と乙の論文は、この一月と二月だけで、少なくともそれぞれ4〜5人の読者を獲得していた。そして作品のメジャーさと、グーグルの検索結果の序列から考えて、甲と乙がトータルで獲得する読者数は、おそらく数百人かそれ以上である。
これは、ある意味で学術論文のヒエラルキーを、ぶっ壊している。よりよい論文こそが、より多くの読者を獲得する。そして、より多くの読者がいる論文がよい論文であり、インパクトのある論文である。だがいまや、後者に関する限り、この議論は成り立たない。グーグルの検索上位にくる論文が、より多く参照される論文である。一般的な商品と同じ論理が、学術論文にも当てはまり始めたのである。
せっかく読むのだから、学生にはいい論文に出会って欲しい。専門家以外の読者にも、いい論文に出会って欲しい。だが、現実にはグーグルの検索エンジンの序列が、論文との出会いの場を設定してしまっている。もちろん、時間をかけて検索順位の下位へとたどっていったり、専門的なデータベースを利用すれば、話は少し変わってくる。だが、初学者やちょっと調べたいだけの人たちは、そんなことをしない。検索順位1位から2〜3本しか読まないだろう。