日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

有島研究会にて登壇

 今週土曜日、有島武郎研究会にて発表をして参ります。タイトルは「洋上の渡米花嫁――有島武郎「或る女のグリンプス」――」。最近ずっとやっている北米日系移民についての知見を使いながら、有島のテクストを読み直す、という方向。大会の特集《旅する文学―紀行・移民・女性―》の一部となります。四日市なので、なかなかみなさんどうぞとは言いにくいですが、有志のみなさまは、ぜひ。

 詳細は以下の有島武郎研究会のサイトをごらんください。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/ats/

 記録もかねて、要旨も貼っておきます。

洋上の渡米花嫁――有島武郎「或る女のグリンプス」――

有島武郎研究会 第48回大会、2010年12月4日、於 四日市市立博物館、発表要旨
日比嘉高

 早月田鶴子はたしかに近代文学史上でも屈指の強烈な個性の持ち主だ。彼女の魅力を、そして彼女を創造した有島武郎の創作の秘密を、考えたくなる研究者の気持ちも理解できる。これまでの「或る女のグリンプス」に関する論考は、「或る女」前編への改稿/発展という作家の作品史を考える方向性か、主人公田鶴子の造形に注目しその早すぎた新しい女としてのあり方や、有島の女性観の源を考察する方向性からなされてきた。だが田鶴子の特徴や個別性を掘り下げることとは別に、彼女の〈時代的な類型性〉もまた考えてみる必要性はないだろうか。
 米国へ出稼ぎに行っていた男たちに嫁ぐために太平洋を越えていった、渡米花嫁たちの群。それが田鶴子の背後にあった時代のコンテクストである。
 米国は明治半ばから後半にかけて、もっとも魅力的な出稼ぎ、苦学の「新天地」として人々を惹きつけつづけた。渡米熱に煽られて、最盛期には数千人から一万人もの人々が海を渡った。そのほとんどが男たちだった。ために、北米移民地は独身者たちの世界となった。男女比に大きな偏りのある社会は、男女間にまつわる大きな二つの問題を持ち来した。「酌婦」「醜業婦」の問題と、「迎妻」の問題である。国辱扱いされ新聞紙上で激しい排撃キャンペーンまで展開された前者は言うに及ばず、見ず知らずの異国に“女身一つで”渡ることになる花嫁に対しても、周囲の視線は好意的なものだけではありえなかった。
 早月田鶴子は、海を渡って旅したこのような女性たちの一人だったと見るべきである。田鶴子を、上陸しなかった渡米花嫁として見ること。「或る女のグリンプス」を、二〇世紀初頭の太平洋上を往来した男と女の未完の物語として読むこと。それが今回の私の試みである。