日比嘉高研究室

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勝手に書評:『うつろ舟』

うつろ舟―ブラジル日本人作家・松井太郎小説選

うつろ舟―ブラジル日本人作家・松井太郎小説選

 前のエントリで紹介した松井太郎氏の小説集を読了。強烈に面白かったので、再度取り上げて勝手に書評しておきたい。

 〈外地〉の文学というのは、どこのエリアの文学であっても、いわゆる「接触領域」の記録・表現となり、さまざまな問題が立ち上がってきて興味が尽きない。私の場合は、ここ数年米国の移民地の文学の問題を考えてきて、またさまざまな場面で東アジア地域の〈外地〉文学についても、読んだり話を聞いたりしてきたが、その面白さは広く、深い。


 〈外地〉文学の研究は、そもそもニッチ領域だが、その中でも東アジアが盛んで、北米なんて「え?日本語文学あるの?}という状態で、南米にいたるとほぼノーマークという現状である。私が知っているブラジル日本語文学の研究者は3人である。たぶん本格的にやっているのは、これですべてである。

 さて読了した『うつろ舟』は、他のどの地域の〈外地〉文学とも違うものであった。解説者のお二人が性格に指摘しておられるように、このエリアの文学は(松井太郎氏の文学だけではない)、人間が「土着化」していき、さまざまな都市的というか文明的な付属物から遠く離れていくようすを描き出す。それは、ブラジルという広大で、かつほどほどに河も土も肥沃で、人跡稀な土地に隔絶して暮らそうと思えばなんとか暮らせてしまう、という特殊な事情を背景としている。

 北米の文学は都市の文学だし、台湾や韓国、満洲の日本語文学も階級的な葛藤や民族間の軋轢を描くが、主人公が「土着化」していく姿はかつて描かない。基本的にそれらは植民者の文学か、被植民者知識人の文学であって「土着人」との関係を描く者はあっても、人が「土着化」していくことの問題を描いたりはしない(むろん全部読んで言っているのではないので、例外があれば教えて下さい)。

 松井太郎の文学も、むろん知識人の文学ではある。(文学作品を書く時点で知識人である) 表題作の「うつろ舟」を例にとるが、主人公は日系ブラジル移民の二世でいい家のお坊ちゃんだが、妻との関係のこじれから精神を一度病む。そこから日系社会、またブラジルの都市社会を離れて、地方辺境の農地に一人で隠れ住むようになる。物語はここからまるで大河のようにゆったりと彼の半生をたどっていくのだが、そこでさまざまなエピソードを積み上げながら作品が描いていくのが、「埒外」に出てしまうかしまわないか、というぎりぎりの線上における人間の生活と精神である。ネタバレになるのでこれ以上書かないが(ふふふ)、日本人の日本文学だけを読んでいたのでは味わえない、めくるめくブラジル辺境の物語が、抑制しつつもしっかりとした描写、そしてストイックでハードボイルドな主人公の魅力とともにあなたを圧倒すること請け合い。読むべし、青年。そして移民し、奥地を目指せ。