日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

文学館の研究

 ARGというメールマガジンに院生時代からお世話になっているのだが、その最新号で届いた記事を紹介したい。

 岡野裕行さんの「「図書館としての文学館」試論−文学館研究の確立とウェブの活用構想」という文章。岡野さんは図書館情報学がご専門だが、近代文学研究との境界領域をやっておられて、『三浦綾子書誌』、『三浦綾子:人と文学』(ともに勉誠出版)も出しておいでの方のようだ。

 記事は博物館学図書館情報学近代文学研究の狭間に落っこちて看過されてきた文学館研究の必要性、およびその役割の重要性を説かれたもので、分量、内容ともに読みごたえがある。関心のある方は、ぜひご一読を。まぐまぐの以下のページからARGのバックナンバーが読めます。
http://archive.mag2.com/0000005669/20090224092010000.html

 商売柄、文学館にはしばしば訪れる。学生の引率でも行くし、個人的な旅行でも、行った先にその手の施設があると知ると、日程の許す場合には足を運ぶことが多い。

 文学館だけでなく、美術館、博物館などの共通の悩みと思われるが、一般向けにどうアピールして入場者数を増やすかという課題と、専門性や得意とする領域を生かしていかに展示・研究を深めていくかという課題と、その両者を抱えており、たぶん二つの折り合いをつけるのは普通難しい。

 文学館だと、最近のはやり?の方向としては、人形やらロボットやらを使って芝居仕立てにして作品の一場面を再現してみせる、というのがある気がする。まあ、これは目を引く。が、はっきりいってこの手の展示で感心したことは一度もない。作品の内容も魅力もちっとも伝わったとは思えない。(むしろ逆) まだ、真っ暗にして朗読の専門家にじっくり語り聞かせをしてもらう仕掛けの方がいいんじゃないかとすら思える。がしかし、通常は観光地に置かれることが多い文学館としては、やっぱり派手な仕掛けがあった方がガイドブックやパンフレットにも載せやすいのかもしれない。

 まあ駄弁はともかく、研究者として文学館にふらりと行ってありがたいのは、そこの独自出版物である。企画展示の図録なんかの類は非常に嬉しい。作品そのものは容易に手に入れられるが、写真や手紙、地図、関係者の回想の類は、やはり専門文学館ならではの強みがあって、研究や授業に役立つことがけっこうある。ほんとは所蔵品目録なんかがあると最高なのだが、なかなか小規模なところはたいへんでしょう・・・

 あと、学生を引率していって思うのは、写真やら遺品やら系図やら地図やら手紙やら、いくら物量が多く展示されていても、あまり彼らの気は引かない、ということである。こういうブツは、そもそもすでにその作家に興味がある者にとって興味深いのであって、その作家の名前をはじめて聞くような学生たちにとっては、作家の文机よりもミュージアムショップの小物の方が関心を引いてしまうのである。

 けっきょく、作品の魅力をどう伝えるか、という原点しかないし、引率教員が学生に持ち帰って欲しいのも、そうした意味でのお土産である。ああ、こんなことを書いた人がいるんだなぁ、と思い、帰りにちょっと文庫を買ってみるとか、すくなくとも立ち読みしてみるとか、そういうきっかけの場になってほしいものである。

 そういう意味では、著作権の切れた作家の本文は、私はばんばん文学館で冊子にして無料で配布すべきだと思う。展示のガラスケースの前に、代表作の本文を完全な形で(つまり全文)置いておくのである。なにもちゃんとしたのでなくていい。普通のコピー用紙にプリントアウトしたものでよい。賭けてもいいが、みんな絶対に持って帰る。出版社に遠慮することはない。いまやネットには青空文庫を代表として、著作権切れの作家の作品は無料で公開されている。そういう意味では著作権が切れていない作家のだって、交渉して配らせてもらうといいと思う。肝心なのは、最初の関心を持ってもらうことだ。そのためにはまず一作があればいい。興味を持てば、それを入り口にきっと文庫や単行本を買う。同様の趣旨から「立ち読みコーナー」なんかも、充実したものを作ったらどうか(椅子は作ってね)。文学館は本屋的であるべきではなく、図書館的であるべきだと私は思うのだ。

 博物館も美術館も、ホンモノを見せる。文学館のホンモノは作品本文だ。よく考えたら、一番ホンモノを展示しやすいのは文学館のはずなのだ。なのに、文学館にはなぜかそのホンモノが置いてないのではないか?

 関係者諸氏いかが。