日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

吾輩の死んだあとに──〈猫のアーカイヴ〉の生成と更新──

漱石研究』第14号、2001年10月、pp.149-163


[要旨]

 文学作品は、現在の研究の体制において、多くの場合その作者との関わりに重点をおいて考察される。しかし、実際の社会内における文学作品の在り方を考えるとき、こうした作者に関わる部分に注目するだけでは不十分である。作品が産み落とされる瞬間のみではなく、作品が産まれ、そしてその後の社会内で送ることになる長い生のありさまを考えることが必要だ。


 「吾輩は猫である」は『ホトトギス』連載中から好評をえ、その後も単行本、全集、文庫などと形を変え、版を重ねていった。作品はこれと平行して映画やマンガ、演劇など別の表現形態に再構成されてもいき、さらには大量の「追随作」までも産んでいく。本論文は、膨大な量に達した「猫」に関連する書物と情報の総体を、〈猫のアーカイヴ〉として仮設し、その〈アーカイヴ〉の生成と更新の様態を記述することを試みる。文学作品という〈資源〉が、どのようにして流通し、蓄えられ、そして再利用されていったのかを、問題化するわけである。

 「吾輩は猫である」発表後、生成が始まった〈アーカイヴ〉の中身は、次のような形で捉えられる。

 A 作品そのものの刊行・再刊・抄録

──単行本、全集、文庫、教科書教材、電子テクストなど

 B 他ジャンルへの焼き直し

──映画、マンガ、児童書、梗概など(「原作漱石」の形となる)

 C 他作家による奪用

──続編、同工異曲ものなど(「原作漱石」とならない)

 D 作品への批評的・感想的言及など
 本論はとりわけ、Cの展開に着目した。同じく分類すれば、「吾輩は猫である」の「追随作」は次のようになる。

 同工異曲もの 飼い猫の視点から主人の家を観察し語るという趣向を借りて、別の世界で同趣の物語を行う。

 続編 「猫」の吾輩や他の人物の後日談を語る。

 手引き書 専門的な知識を普及させるために、当の知識の対象(養蚕なら蚕、映画ならフィルムなど)が一人称「吾輩」となって叙述を行う。

 タイトル(のみ)の参照 内容は「猫」と直接関係ないが、「吾輩は〜である」というタイトルをもつ。


 以上のそれぞれについて分析を加え、その要素の分類、生成と更新の具体的様相、さらに〈アーカイヴ〉内の諸要素を検討することによって浮かび上がる、〈アーカイヴ〉と接している諸領域への通路のあり方を考えた。