子供の生きる時間
幼児には「タイムライン」がない
子供を保育園に送り迎えしていると、子供の「寄り道」が楽しくもあり、めんどくさくもある。こちらの心やスケジュールに余裕がある時は、一緒にドングリを拾い、飛行機を眺め、月を指さし、側溝をのぞき込む。物たちは私により近しくなって、子供たちの世界を私も少しのぞき込む。一方、スケジュールがタイトな時はたいへんだ。あと〇〇分で授業や会議が始まる。にもかかわらず此奴は右へ逸れ、左に立ち止まり、挙げ句の果てに羽虫を追って逆戻りする。強制的に抱きかかえ、抵抗する子供にああだこうだ呪文をささやきながら門に走る。
今朝もすれ違いに、そのような状況で苦り切っている一人のお母さんに遭遇。足もとの其奴はジャンパーを着ることさえ拒否しているようで、坂道の途中で座り込んでいる。同情すること限りない。むろんお母さんに。そのとき、ああ子供には「タイムライン」がないもんな、とふと思った。
「タイムライン」はFacebookなどの用語だが、ようするに時系列の流れである。何年何月にこういう事があって、先月何日にこういう事があって、先週何をして、、、というあれである。