日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

論文

「モデル小説」の黄昏――柳美里「石に泳ぐ魚」裁判とそれ以後――

『金沢大学国語国文』第34号,2009年3月,pp.124-132 金沢大時代の恩師、上田正行先生の退官記念特集号に書かせていただいたもの。

望郷のハワイ――二世作家中島直人の文学――

『文学研究論集』第27号,2009年2月,pp.219-238 [要旨] 本論文は、ハワイ生まれの二世作家中島直人を再評価しようと試みたものである。中島は、ハワイの日本人学校と公立学校で教育を受け、その途中で日本へ渡日している。その後早稲田大を中退し、小説を…

身体・空間・心・言葉──梶井基次郎「檸檬」をめぐる──

『佛教大学総合研究所紀要別冊 京都における日本近代文学の生成と展開』2008年12月、105-122 [要旨] 梶井基次郎の「檸檬」を題材とし、身体と空間と心との取り結ぶ関係を、小説の言葉がどのように捉えたのかを考察した。街の上をさまよう青年を描く小説に…

北米日系移民と日本書店――サンフランシスコを中心に――

『立命館言語文化研究』20巻1号、2008年9月、pp.161-177 [要旨] 移民地と〈内地〉日本の間の人・モノ・情報の流れを考察する作業の一環として、サンフランシスコの日本書店の歴史と役割について調査・分析した。日本書店は新刊書はもちろん新聞や雑誌を顧…

破船事件と実話・ゴシップの時代

『文学』第9巻第5号、2008年9月、pp.75-87 [要旨] 久米正雄、松岡譲、漱石の長女筆子の間で起こった恋愛事件を破船事件という。この名前の元となった久米正雄の失恋小説「破船」、およびそれを松岡側の視点から描いた「憂鬱な愛人」を検討の対象としつつ、…

鉄路の道行――近江秋江「舞鶴心中」

『國文學』第53巻6号、2008年4月号、臨時増刊号「旅、鉄道、そしてエッセイ」 2008年4月20日 pp.51-58 http://www.gakutousya.co.jp/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=0172 [要旨] 心中の道行は、近代に入りどのような展開を迎えたのか。近松秋江の「舞鶴心中」(1915…

「文壇」は閉じているか――大正文壇・交友録・芥川「あの頃の自分の事」

『国語と国文学』第85巻第3号、2008年3月、pp.41-55 [要旨] この論考は、大正期の小説の表象が、人々の――とりわけ作家たちの――〈私的な領域〉をいかに描き、覗き、侵犯したのかを考え、同時にこれまでの研究がそうした表象の果たした役割として“文壇の境界…

傍流に生きる──菊池寛「身投げ救助業」と琵琶湖疏水

『佛教大学総合研究所紀要』第14号,2007年3月,pp.21-33 文学テクストの分析によってしかわからない土地の風景を、また逆に、土地を読むことによって新たに浮かび上がる文学テクストの姿を、追求してみようとした試みの一つである。具体的には、菊池寛「身…

絡みあう「並木」──日本近代文学と日系アメリカ移民の日本語文学──

『京都教育大学紀要』第109号, 2006年9月, pp.143-154 [紹介] 本論文は、日系アメリカ移民の日本語文学と日本近代文学との関係を考察するものである。日系アメリカ移民の第一世代──一世──は、早い時期から太平洋をまたぐ出版流通網を整備し、「日本語空間…

転落の恐怖と慰安──永井荷風「暁」を読む──

『京都教育大学 国文学会誌』第33号, 2006年6月, pp.33-45 [紹介] 永井荷風の滞米時代を、一時滞在の旅行者、傍観者として捉えてきた先行論に対し、〈在米日本人〉コミュニティの中に生き、〈在米日本人〉としてあったものとして再考する。この視点からす…

永井荷風『あめりか物語』は「日本文学」か?

『日本近代文学』第74集, 2006年5月, pp.92-107 [紹介] 永井荷風は1908年に帰朝し、その後没するまで日本で活動した。だがもし彼が帰国しなかったとしたら、在米中に書きつがれた彼の『あめりか物語』はいったい何文学とされていたか? 20世紀前半の北米移…

日系アメリカ移民一世の新聞と文学

『日本文学』第53巻第11号(No.617), 2004年11月,pp.23-34 [紹介] 日系アメリカ移民の日本語新聞『新世界』(サンフランシスコ)を検討し、移民地における新聞の機能と、移民文学との関係について考察した。移民地においては日本国内で刊行された出版物と…

堀辰雄の反−私小説──夢・フロイト・「鳥料理 A Parody」──

『国文学 解釈と鑑賞』別冊,2004年2月,至文堂,pp.128-137,他共著者22名 [紹介] 堀辰雄の文学と1930年前後の私小説をめぐる言説との関係を考察した。堀文学は私小説とは異質のものとされることが多いが、実際にはもう少し複雑な交渉を取り結んでいた。…

「モデル問題」の発生──内田魯庵『破垣』

『国文学 解釈と教材の研究』第47巻第9号、2002年7月、pp.31-35、7月臨時増刊号・特集「発禁・近代文学誌」のち国文学編集部編『発禁・近代文学誌』共著,2002年11月,学燈社,pp.31-35,他共著者36名(臨時増刊号の書籍版) [紹介] 「モデル問題」は実在…

絵の様な人も交りて展覧会──文学関連資料から読む文展開設期の観衆たち── 

『美術展覧会と近代観衆の形成について』(平成11-13年度科学研究費補助金(萌芽的研究)研究成果報告書、研究代表者 五十殿利治、課題番号11871009)、2002年3月、pp.23-36 [紹介] 文部省美術展覧会(文展)の観衆を、文学資料──小説・文芸雑誌の記事・川…

吾輩の死んだあとに──〈猫のアーカイヴ〉の生成と更新──

『漱石研究』第14号、2001年10月、pp.149-163 [要旨] 文学作品は、現在の研究の体制において、多くの場合その作者との関わりに重点をおいて考察される。しかし、実際の社会内における文学作品の在り方を考えるとき、こうした作者に関わる部分に注目するだ…

〈文芸と人生〉論議と青年層の動向  

『日本近代文学』第65集、2001年10月、pp.150-162 [紹介] 「芸術と実生活」「実行と芸術」などとも呼ばれる自然主義文壇を代表する論争、〈文芸と人生〉論議を、青年層の動向に着目することによって再検討する。論争の過程で「観照」派とされる花袋・天渓…

翻訳と感化の詩学──「野分」の人格論をめぐって── 

『国文学 解釈と教材の研究』第46巻第1号、2001年1月、pp.118-125 [紹介] 夏目漱石「野分」の登場人物白井道也が展開する『人格論』は、漱石自身の思想と重ねて考えられることが多い。これに対し、同時代の〈人格〉をめぐる言説の水準と照らし合わせること…

〈自己〉を語る枠組み――中等修身科教育と〈自我実現説〉――

『国語と国文学』第77巻第7号、2000年7月、pp.41-54 [紹介] 明治20年代後半に移入された倫理学説〈自我実現説〉と当時の文学的思考との交差を検証する。この学説のもつ論理を明らかにし、それが中等修身科教育に組み込まれていく様相をたどる。そこから修…

日露戦後の〈自己〉をめぐる言説――〈自己表象〉の問題につなげて――

『日本語と日本文学』第30号、2000年3月、pp.29-42 [紹介] 日露戦後の文芸評論界に見られる〈自己〉論の隆盛を分析する。そこに現れた言説群を「自己の文芸論」「自己の描写論」「自己の探求論」の3種に分類し、その特徴や背景について考察。さらにこうし…

文芸用語としての「モデル」・小考――新声社と无声会――

『文学研究論集』第15号、1998年3月、pp.77-95 [紹介] 現在われわれが普通に用いる、「この小説のモデルになった人」などといういい方は、どのようにしてできたか。文芸用語としての「モデル」の社会的な流通の1パターンを、明治30年代の出版社兼文学集団…

帰国直後の永井荷風――「芸術家」像の形成――

『日本語と日本文学』第26号、1998年2月、pp.21-33 [紹介] 一人の作家の「イメージ」がどのように形成されたのか、永井荷風を例にとって考える。アメリカ・フランスでの生活を終え明治41年に帰国した荷風は、当初は無名の青年作家だった。その荷風が自然主…

「モデル問題」とメディア空間の変動――作家・モデル・〈身辺描き小説〉――

初出、『日本文学』No.536、1998年2月、pp.10-21 のち、和田敦彦編『読書論・読者論の地平』(日本文学研究論文集成47、若草書房、1999年9月、pp.185-200)に採録 [紹介] 明治40年後半に起こった、小説のモデルをめぐる道義的論議「モデル問題」を、読書慣…

「蒲団」の読まれ方、あるいは自己表象テクスト誕生期のメディア史

『文学研究論集』第14号、1997年3月、pp.67-90 [紹介] 日露戦後、作家自身が作中人物として登場する小説が増える。こうした事態が起こった経緯を、田山花袋「蒲団」に対する発表当時の読解のようす、作家たちの自己表象への認識などから追究し、小説ジャン…

機械主義と横光利一「機械」

『日本語と日本文学』第24号、1997年2月、pp.12-26 [紹介] 横光利一の小説「機械」が、同時代の文化現象としての〈機械主義〉とどのような相関をもっていたのかを明らかにする。文学のみでなく、板垣鷹穂の美術論や写真・絵画テキストも視野に入れ、機械に…