日比嘉高研究室

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毒山凡太朗《君之代》:あいちトリエンナーレ2019 振り返りPart 1

「あいちトリエンナーレ2020」についての小文を頼まれておりまして。以下は、その準備運動、もしくはロングバージョンです。


10月9日

 あまり期待はしていない、いやもっといえば警戒心の方が先に立っている。駐車場に車を止めて、円頓寺の商店街を歩く。台湾の日本語世代のおじいさんおばあさんに、君が代を歌わせている作品だという。事前に知ったその知識だけで、作品について身構えてしまう。日本人の美術家が、日本語を強制された台湾人にカメラを向け、君が代を歌うその姿を録画し、日本の美術展で作品として公開する。どのように理論武装したとしても、その暴力性は言い逃れできない。

 私は植民地文化を対象とした研究者の端くれで、戦前の日本という国、そして日本人が、植民地においてどのようなことをしたのか、一般の人よりも多く知っているつもりである。植民地支配期に生まれた、被支配民族の日本語話者による文学作品に興味を持ち、論じたり授業で扱ったりすることもある。なにより、台湾を含む東アジアから来た留学生たちと毎日のように顔を合わせている。

 どう考えても、まずいことにしかなっていないんじゃないか。《君之代》と題されたその作品について、警戒心ばかりが高まっていく。

 毒山凡太朗の作品は、階段を上がった二階の、マンションの一室のような展示場で上映されていた。扉を開くと、音が飛び込んでくる。歌っている。日本の歌だ。発音は、外国人。照明が落とされた8畳か10畳ぐらいの部屋。その入り口正面に大きなスクリーン。大写しになって、老婆が歌っている。君が代。向こうからカメラを通してこちらを凝視する目。声が裏返る。高音が出ない。それでも歌い続ける。さざあれ、いしいの、いわおとなありて、こおけえの、むううすう、まあああで。歌い終わり、老婆の表情が解けて、笑顔になり、恥じらう。

 完全に飲まれた。これは、そんなんじゃないぞ。

 スクリーンに向かう壁際に、長椅子が置いてある。他数人の観客たちと並ぶように、座り込む。私はそこで24分58秒の作品を3回転分見た。日本人が台湾人に日本語で君が代を歌わせて作品にするという暴力的な構図が、画面に映し出される音や声、身体、表情によって、ぐらぐらと揺らいでいく。歌う身体には歴史があった。それはかつて歌った帝国の歌であると同時に、帝国解体後の70数年を背負った歌だった。天皇の永世を願う歌詞や日本軍を鼓舞する詞章が、70年、80年を激動の島において生き延びてきた一人の人間の声で、表情で、家族や店や仲間のある各々の今の居所で、数十年の忘却のあとに記憶の底から引きずり出され、再演されていた。その画面の24分58秒は、声と、身体と、意味と、記憶と、歴史と、対立と、親密さが、ぎしぎしと音を立てる、居心地悪くも魅入られ、居たたまれないながら立ち去りがたい、再審の時間だった。

 流暢に、あるいは記憶を掘り起こしながら歌われる台湾の老人たちの歌にさらされながら、研究者としての私の「そんなことは知っている」という奢りが、みすぼらしく縮んでいく。植民地文化史の知識が、ビデオアートの揺さぶりの前で、立ち尽くす。「知っている」ということなど、この老人たちの人生の前でいったいなんだというのか。

 ただ、と思う。私がこの作品から受け取ったものの大きさは、たしかに知識の支えなしではありえない。経験や感情が、知識に優越するであるとか、そういうことではないだろう。では、感情と知識はどのように結託するのか。呆然とした一時間半近くの経験の中で、私は〈情の時代〉という、この展覧会のコンセプトの意味を、あらためて考えされられていた。




* 作品のスナップショットは、こちらの毒山凡太朗さんのサイトで見られます。(画像へのリンクが開きます)。
* 毒山凡太朗さんの公式サイトはこちら
* あいちトリエンナーレ2020公式サイトの毒山凡太朗さんの紹介ページは以下。
aichitriennale.jp