日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

学会向け批評記事のウェブ先行公開は、愚挙なのか

学会印象記を先行公開して叱られまして

少し前にこういう記事を書きました。

hibi.hatenadiary.jp

学会外の人に少し説明すると、日本近代文学(近現代日本文学研究についての最大の学会です。会員数約1600人)には「会報」という冊子媒体があります。これには学会の案内や、発表される研究の予告的要旨、印象記、彙報などが載っています。会員にのみ配られます。f:id:hibi2007:20171211234433j:plain:w150:right

「印象記」というのは、学会でなされた発表、交わされた議論について、まとめをしつつ多少批評的なことを付け加えるような、そんな文章のことです。私は今回、学会の秋季大会特集について、それを書くように依頼され、応諾しました。

で、ここからが問題なのですが、私はそれを上記の通り、先行的にウェブで公開しました(『会報』自体はまだ出ていません。次の4月刊かな)。勝手に、でした。上記エントリで「公開に際して多少迷いましたが」と書いたように、依頼された文章を、その掲載媒体がまだ刊行される前に公開することは、やっぱりまずいよな、と思ったからです。叱られるかも、とも考えました。

それで、やはり先日、担当の委員会から望ましくない、という指摘を受けました。委員会から来た指摘は冷静で、かつこちらの意も理解してくださった書き方で、無茶をした(という自覚はあります)こちらが、頭を下げるしかないようなものでした。委員の皆さんには、私の勝手なふるまいでご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。タイトルで「愚挙」と書いているのも私が勝手にタイトル的に盛っているだけで、委員会がそう批判しているわけではありません。

ただ、偉そうないい方に聞こえてしまうかもしれませんが、この展開は予見できたことでした。こうなるかな、と思ったのですがそれでも、私はやってしまおうと思いました。なぜか。前置きが長くなりましたが。その理由をここに書いておこうと思います。問題は、学術情報の公開化と社会化という、現代的な課題に繋がっていると思います。オルトメトリックス(altmetrics)の話が、下で出て来ます。

『会報』をディスる

いたずらに挑発するわけではありませんが、紙媒体の『会報』のどこに不満があるのか、端的に書いておきます。

『会報』は会員しか読まない
読んでたかだか1600人。本当に読んでいるのはその半分か2/3か。

『会報』は出るのが遅い
半年前の学会のことなんて、登壇した本人以外みんな忘れてますよ。

『会報』は一方通行である
言いっ放し、書きっぱなし。

『会報』は文字制限がある
1200字で3時間のシンポジウムの内容をまとめて批評しろとか、それ無理ですって。

『会報』は出てこない
さて、今日は学会。『会報』持って出かけ・・・て、どこ?どこに置いた?
もちろん3年前の会報とか保存してあるわけがない(保存してあるのかどうかもわからない)

『会報』の本来の役割

『会報』の公開制限性については、学会員になったからこそ読める「特典」なのだから当たり前だろう、という反論があり得ます。理解できます。が、会員の学会費は、会員の特典のために使ってもよいが、そのいくぶんかは学術的成果の公開化のために使ってもよいと考えることはできないでしょうか。そろそろ『会報』はその本来の役割に立ち返って、会員間のより円滑なコミュニケーションに資するように姿を変え、かつ学会外の人々やその興味関心とも繋いでいくような姿に変身することはできないでしょうか。

つまりは学会が生産した学術的な成果をよりオープン・アクセスな状態にし、かつ学会というものの存在それ自体をもう少し世の中に知ってもらうために役立てた方がいいのではないか、ということです。具体的には、大多数の会員がPCやスマートフォンなどで学会についての情報をえることができ、かつTwitterFacebookなどのソーシャルメディアの利用者はそこで学会についての情報交換を行うことが当たり前となっている時代には、そうした会員に向けた、そして非会員にも向けた学会コンテンツの提供をした方が、学会の利益になるのではないでしょうか。

学会は、会員外からも関心を向けてもらい、成果を伝え、そして新しい会員の獲得へとつなげる。学会報告をした研究者は、それについての反応をウェブ上で受け取ることができる。学会から論争が消えている、という議論を聞いたことがあります。たしかに、20年前30年前の学会誌などを読むと、すげーなこれ・・・というような激しい応酬が繰り広げられていたりします。それが当時の感覚であり、それを紙の媒体と郵送で往復し合うのが当時のリズムだったのでしょう。いまはモードが変わっていますね。優しくなっている、というのもありますが、一方でソーシャルメディアによる別のつながりも生まれている。

そういうことを考えていくならば、当然、いっそ冊子体をやめる、あるいは電子との併存に持っていくという話もありえます(間歇的にそういう議論が出ていることも知っています。他学会ではとっくにそうしているところも多い)。むろん経費削減にもなります。

オルトメトリックス altmetrics

少し別の角度から説明してみます。近年、発表された研究の影響度を測る指標として、論文数・被引用数や、掲載誌のインパクトファクターなどとは別の指標が模索されはじめています。オルトメトリックス altmetricsという、より即時性、社会性に重点を置く指標です。

孫媛氏の「研究評価のための指標:その現状と展望」『情報の科学と技術』67巻4号(2017)から引用します。
doi.org

オルトメトリックス(altmetrics)は,alternative とmetrics からの造語で,以下の 2 つの意味で用いられる。①ソーシャルメディアにおける反応を中心に,学術論文などの研究成果物の影響度を定量的に測定する手法(指標)。②①の測定手法を用いて新しい研究の影響度を測定・評価する研究。

オルトメトリックス指標は,ソーシャルメディア上での論文の閲覧や引用,言及などの「イベント(event)」に基づいて構成される。具体的にはたとえば,Mendeley やCiteULike 等文献管理ツールへの保存数,ダウンロード数,ウェブリンクやブックマークされた回数,ブログやTwitterFacebook 等で取り上げられた数,F1000 での推薦数等がある。


論文の被引用数のカウントや、国内誌のインパクトファクター計算すらできていない、ドメスティックな人文社会科学のお寒い状況であるのに、なにをいうか、と我ながら思います。しかし、オルトメトリックス指標がもつ方向性そのものは、現代的でありますし、人文社会科学のような現代社会の課題と切り結ぶことを重視する学術領域においては、むしろ親和的でさえあるのではないでしょうか。

孫媛氏は「研究者コミュニティ内だけではなく,より広範な社会一般への影響度を追跡できることは,オルトメトリックスの重要な特徴」だといいます。

学会が学会の成果をウェブ上に上げていくことは、ソーシャルメディア上での被言及数を増やすことに直結します。それは、ネット社会の影響力がますます強くなっている現代の社会において、学会が存在感を発揮していくためには欠かすことができない公表手段であるはずです。

#ありがとう、「笠間書院の中の人」

多少脱線気味になりますが、笠間書院から編集者の岡田圭介さんが退きました。『リポート笠間』の編集、メールマガジン、そしてTwitterのアカウント「笠間書院‏ @kasamashoin」などが、ここ数年で果たしていた役割はとても大きく、またどんどん重要さが増していたように思います。

内部に向けてだけ情報を出しがちな日本文学系の学会を、横断的につなぎ、ウェブ上に可視化してくれたのは、まちがいなくこれらの媒体でした(『リポート笠間』は冊子ですが、このレビューがウェブ上に投稿される)。

岡田さんが退社され、メールマガジンが第一期終刊、ツイートも停止したようです。

この穴は、大きいですよ。穴が空いて初めて、そこにあったものの大きさがわかります。現代の学会情報の可視化・流通において、ああした作業はものすごく重要でした。そしてそれが属人的な作業によってのみなされていたことに、この業界の問題があるのだというべきでしょう。

と、下書きしていて、いまタイムラインを見てみたら、岡田さんの新アカウントが爆誕しているじゃないですか。これは要注目!
twitter.com


『会報』は生まれ変わるべし

『会報』も、それができたときには、より早く、より手軽なかたちで、会員たちをむすびつけるコミュニケーション・ツールとして開発されたはずです。しかしいまや(というかもうここ20年ぐらいでね…)、『会報』が行いうることは、すべてウェブによって、より早く、よりインタラクティブな形で代替できる。『会報』に固執する意味は、もうほとんどなくなっているのではないか、と思うのです。学会の日、要旨をまとめた小さい冊子があるのは便利ではありますが。

もちろん、上記の事由があるからといって、依頼された原稿のlong versionを、勝手にウェブで先行公開することには大きな問題があります。仁義に悖りますし、会報の(私の原稿の)価値はやはり下がるでしょうし、「原稿の二重売り」にさえみえなくもない(どちらもお金のやりとりはないですが)。その点で、確かに私の行為は批判されるべきものでした。申し訳ないと、思っております。

が、私はそれでもやってしまいました。考えてみれば、『会報』の印象記よりも、ここに書き連ねたこの文章をこそ、書きたかったからなのかもしれません。

(附記と宣伝)おまえんとこの学会は、今さらそんなレベルの議論かよ、という声が聞こえる気がします。幻聴ではないでしょう。けどこれでも一応、学会誌の本誌は全文公開されておるのです。使ってね ↓
www.jstage.jst.go.jp