日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

台北雑記20170426――花蓮の本屋、煙草工場、青田街、植民地ノスタルジー

24日から4日間の日程で、台北に来ている。f:id:hibi2007:20170426182344j:plain:w300:right
政治大学と東呉大学の先生が招いて下さり、講演をさせてもらったのである。お題は、戦前の内地外地を結んだ書物の流通について、という目下私が追いかけているテーマである。台湾について、少し力点をおいて話をしてきた。

講演と講演の間の時間に、人に出会ったり、いくつか場所を訪問したりしたので、備忘を兼ねてメモしておこう。

1.花蓮の本屋さんがらみ

講演の会場に、社会人学生の方が聴講に来て下さっていた。社会人学生といっても、御年84歳。日本語世代である。

この方、花蓮のお生まれの方だったが、ご自宅の倉庫を本屋さんに店舗として貸していたという、私のような研究をしているものにとっては、おいそれと出会えない経歴の持ち主であった。もちろん、記憶のあるその当時でもこの方は小学生だったので、書店の詳しい商売のことをご存じのわけではない。しかし、あまり詳しくは書かないが、いろいろとその現場ならではの細部が聞けて、興味深いことであった。

2.松山文創園区あるいは松山煙草工場

f:id:hibi2007:20170424184047j:plain:w300:leftまた別の人と会うときに、待ち合わせの場所として、松山文創園区が指定された。どんなところかと思って調べてみると、旧煙草工場であった。台湾総督府時代の専売局の工場であり、戦後はそのまま台湾が引き継いだ。いまは、美術館やカフェ、個人制作の小物などを売る店が集まって、まさに“文化創造空間”となっている。

f:id:hibi2007:20170424185540j:plain:w100:right真横には、巨大なドーム競技場が建設中だ。緑と池を抱えた公園、旧煙草工場、現代的なデパートとホテル、そして建築中のドームがぐるりと見渡せるここは、なんだか台湾の過去と現在を一気に圧縮してみられるような、そんな気分にさせられる場所だ。
www.taipeinavi.com

3.青田街あるいは昭和町

f:id:hibi2007:20170426181006j:plain:w300:rightW老師に教えてもらって、講演のあと、青田街に行ってきた。ここはかつて昭和町と呼ばれた一角で、台北帝国大学の教員宿舎が集まっていた。いまは、残された何軒かがリノベーションされて、レストランや茶館、展示スペースなどになっている。統治時代の高級官舎がどんなだったのかがうかがえる、面白い場所である。

solomo.xinmedia.com

www.lib.ntu.edu.tw


そういえば、台湾の書店がらみで、この前別の方のお話も聞いたのであった。その方は、日本人だが京城生まれ、台北育ち、そしてお父様が台北帝大の教員だった。官舎にいたと言っていたので、それはもしや青田街のことだったのではないか、といま思い当たる。地図を見ながら話を聞いたが、そういえばこのあたりを指さしていたと思う。つながるものだ。

青田街は、津島佑子『あまりに野蛮な』が材料を取っているという話も聞いた。
太過野蠻的(あまりに野蛮な) « 臺灣原住民族圖書資訊中心部落格


4.植民地ノスタルジーあるいは――

毎回、旧外地がらみの調査・研究・報告・講演などで旧植民地や旧租界、旧租借地などに行くと、私は煩悶する。このブログでも何回がグジグジ書いている気もする。私は帝国日本およびその植民地の文化の研究をしており、批判的にかつての帝国の悪行を見たり、それが残した多面的な「遺産」のあり方を考えたりしようとしている。

が、一方で、私は素朴なレベルで植民地時代の遺物(土地、建物、文物など)を見るのが好きである。

魅かれると同時に、魅かれる自分にさもしさを感じずにいられない。帝国の文化、植民地の文化について話すとき、いまだに自分がどのような姿勢で話せば良いのか、うまくバランスが取れない。聞き手が日本人の時、台湾人の時、韓国人の時、中国人の時、私は、日本人の私は、日本語で話す私は、どのような顔でどのような姿勢で話せばいいのか、いまだにわからない。

一方、台湾の都市に顕著だが、韓国でも中国でも、戦前の日本関係の建物をリノベーションしたり、そのまま手を入れたりして、観光資源にする例にしばしば出会う。青田街へも、煙草工場へも、流行に敏感そうな10代、20代ぐらいの台湾の人(多くは女性)たちが訪れていた。おしゃれに改装されたレトロな雰囲気の建物は、現代の感性に訴えるものがある。自分でもそれは肌で感じる。

この、居心地の悪い感情や状況を、私はここ数年、個人的用語として「植民地ノスタルジー」とか「ポストコロニアル・ノスタルジー」などと勝手に呼んでいる。

(いまふと検索してみたが、同じような用語・関心で論文を書いている人はやはりいるようだ。まだabstractしか読んでいないが)
Engaging Colonial Nostalgia — Cultural Anthropology


支配側と被支配側の双方で同時に見られる――がしかし対称ではない――これらの感情や行動は、郷愁であると同時に郷愁の形からはみ出る何かである。観光化であると同時に観光を超えた何かである。魅力的であり同時に醜悪でもある。植民地の遺物をめぐって旧支配側と旧被支配側が出会う場であり、同時にまたすれ違う場でもある。

いつか、この入りくんだ感情と状況について、もう少し具体的に論じてみたいと思っている。

追記:

なお、私のような頭でっかちの人間にとって、「現地」に行くということはとても大事である。

いま、台湾でも韓国でも資料のデジタル化が急速に進んでいる。日本にいても、しかるべきユーザー登録をしていたりすれば、けっこう資料が見られたりする。中国の戦前の日本関係資料はいま現地ではぜんぜん見せてもらえないので、日本で調べた方が資料的には多い。日本にいながらにして植民地文化研究はできてしまう。

しかしそれでも私は、現地にいくべきであると思う。現地に資料がなく、現地の文物が消え失せていたとしても。

なぜなら、植民地文化を考える者たち(何人であっても)は「現地の現在」に出会うべきだからである。そこには植民地帝国の影響が残存していたり、まったくそれとは関係のない生活や思考が営まれていたりする。そうした「現在」に接触しないで、自分のいる国内だけで思考や作業を行っていると、出会うべき対話の相手の姿を見失ったり見誤ったりすることになる。

そして出来得るならば、現地語をたとえ少しでも知った方がいい。なかなかハードルは高く、私もぜんぜん進歩しないわけだが…。