日比嘉高研究室

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「ポスト真実」と感情化社会 どうして嘘つきがまかり通るのか(2)

「ポスト真実」の時代  「信じたいウソ」が「事実」に勝る世界をどう生き抜くかこのブログ記事が元となった書籍『「ポスト真実」の時代 「信じたいウソ」が「事実」に勝る世界をどう生き抜くか』を、祥伝社から刊行します。「ポスト真実」についてより詳しく知りたい方は、こちらもご覧下さい。


 今月16日、オックスフォード辞書が、「今年の言葉」に「post-truth」を選びました。日本では「ポスト真実」と訳されることが多いようです。この言葉について、今日J-Wave のJam the World という番組津田大介さんとお話をすることになりました。この言葉については前回の記事
どうして嘘つきがまかり通るのか――「ポスト事実の政治 post-truth politics」の時代にどう向き合うか - 日比嘉高研究室
でも書いていますが、その後考えたことを加えて、もう少しまとめておきます。

キーワードは、「デマ」「本音」「感情」です。

post-truth ポスト真実」とは何か

 Post-はそれに続く語を修飾して「後に」「次の」という意味の言葉です。オックスフォード辞書は、「今年の言葉」を選ぶに際し、「ポスト真実」を「世論を形成する際に、客観的な事実よりも、むしろ感情や個人的信条へのアピールの方がより影響力があるような状況」を示す言葉だと定義しました。

 この言葉は「post-truth politics, post-truth world などように、形容詞としてもよく使わます。今年6月のイギリスのEU離脱騒ぎで使用頻度が急激に上がり、大統領選でドナルド・トランプを論じる際にも盛んに使われました。

コトバをめぐる現代的状況をよく示す語

 イギリスの国民投票、アメリカ大統領選の結果にはさまざまな要因が関係していますが、共通する現象を表現する言葉として「ポスト真実」に注目が集まっています。

 キャンペーンの中でドナルド・トランプ氏は、アメリカの「実質的」失業率が42%であるとか大小さまざまな嘘を並べましたが大統領に決まりました。(実際には2016年1月の値は4.9%) イギリスのEU離脱国民投票でも、離脱派がEU加盟の拠出金が週3億5000万ポンド(約480億円)と主張しましたが、反対派は「週1億数千万ポンド」と言い、投票結果が出た直後に、離脱派はこの主張を撤回しました。
英EU離脱:公約「うそ」認める幹部 「投票後悔」の声も - 毎日新聞


 日本も他人事ではありません。安倍首相はIOC総会におけるオリンピックの招致演説で福島第一原発は完全にコントロールされていると胸を張り、
平成25年9月7日 IOC総会における安倍総理プレゼンテーション | 平成25年 | 総理の演説・記者会見など | 記者会見 | 首相官邸ホームページ

稲田防衛大臣南スーダン首都の治安が落ち着いていると述べたりしています。
稲田防衛相:「首都、落ち着いている」南スーダン視察 - 毎日新聞


 ただし、こうした状況は、政治家側だけの問題ではありません。支持する人々がいて、はじめてそうした政治家が力を持ちます。その意味で「ポスト真実の政治」とは、「ポスト真実の世界」だというべきです。

 たとえば日本の社会でも、デマの流布の問題があります。熊本の地震の時にも流れ、ヘイト・スピーチでも、虚偽の情報や悪意のある嘘が出回ってしまっています。

なぜ嘘がまかり通るのか

 嘘をつく側は、それが「嘘」だと述べているわけではありません。あくまで「事実」として主張します。一方、「ポスト真実」のプロパガンダを信じる人たちも、事実を重視していないのではなく、むしろ事実には関心があります。誤った事実を「事実」と思っているだけです。

 その「事実」が本当に事実であるのかの検証が不十分であったり、あるいは怠っているのが原因の一つです。根底にあるのは、不都合な事実や自分の信条とあわない現実を認めようとしない姿勢です。

 注目したいのは、彼らの「嘘」が、しばしば人々の「本音」と結びつけて語られることです。トランプ氏の攻撃的な言葉も、日本を含む各地のヘイト・スピーチも、不安や不平をもつ層の「本音」とされるものをすくい上げます。「嘘」と「本音」の結託だから、流布する。

※なお、ここで「本音」に括弧をつけてますが、理由があります。この「本音」はメディアなど外部の言説によってピックアップされた「気持ち」だからです。人の感情は複雑で、多面的です。しばしば矛盾した気持ちさえはらむ、揺れ動くものです。「本音」は、そういう複雑さを単純化するための危ういレトリックです。


ネットと「ポスト真実」の関係

嘘が拡散していく原因の一つには、読まずにシェアする文化があります。米国とフランスの共同チームの研究によれば、シェアするが、記事を読まない人の割合は、全体の59%にものぼるとのことです。
www.lifehacker.jp

dot.asahi.com

 もう一つは、さまざまな情報やニュースがSNSを通じて拡散することが増えているということがあります。そしてSNSによる共有の際には感情が付随します。Facebook, Twitter, はてなブックマークには、シェアしたり、メモしたりする際に感情を載せるためのボタンやタグが用意されています。

感情化社会――事実よりも、感情

New York Times は、「ポスト真実の政治」の背景を説明する際に、Twitterのつぶやきをリアルタイムで分析し、その政治家の発言がどのように受容されたのかを分析する「感情分析 sentiment analysis」の例を出しています。こうした分析で重視されるのは事実を根拠にした確かさではなく、つぶやきを解析して出てくる「感情」の動きやうねりでしょう。

日本の首相のスピーチも、しばしば事実よりは、姿勢の強さをアピールしているように私には思えます。「守り抜く」「取り戻す」などといった決意や熱心さを込めた言葉をキーワードにしているところからもそれはうかがえます。

感情を重視する社会については、大塚英志さんが、つい先月その名も『感情化する社会』という書物を出していて、天皇生前退位問題と「お気持ち」という言葉の例などをめぐって、アクチュアルな分析をしてます。
www.ohtabooks.com

事実よりも感情が重視される社会。さらにいえば、感情よりさらに身体的な「情動」に注目し、それを学術的な考察やマーケティングに取り入れていこうとする動きもあります。情動と感情と行為の結びつきは、私たちのふるまいを思っているよりも強固に動機付けているのかもしれません。人間の思考や理性は、通常考えているよりもずっと身体に根ざしているというわけです。

そうした情動や感情に突き動かされる人間のあり方を、利用したり、生かしたりしながら組織される社会が、「感情化社会」です。


ポスト真実」と「感情化社会」をどう生きるか

(1)「事実のチェック Fact-Check」と「事実の拠点」は大事

膨大な量の情報があふれ、まことしやかな言葉が出回る時代です。まずやはり、「事実を確かめられるたしかな拠点」は必ず必要です。ここに見に行けばほぼ大丈夫、という「事実の拠点」は、今後ますます需要が高まるでしょう。

公的機関やメディア、研究機関、専門家は、感情に流されず、政治的な対立に左右されない事実を公表し続けるべきです。アメリカの大統領選のときにはFact-Checkのサイトがいくつもできました。こういうものも、日本でもっと増えた方がいいと思います。

(2)「普通の人びと」を説得のターゲットにする

ターゲットを、政治信条の強固な人に置くと、説得は失敗するでしょう。「ポスト真実」の政治のプロパガンダや、「反事実」の世界に生きるメディアや人びとの言説を浴びせられ、その影響を被る「普通の人びと」こそが、説得のターゲットです。

嘘は信じないまでも、感情の影響を被ってしまうということがあります。そこが怖いと思います。感情の漏れ出しや集合化を、食い止める努力が必要です。

(3)反既得権益層、反権威の時代の難しさ

ただし、問題は「ポスト真実」の時代が、反既得権益層、反権威の時代という側面も合わせてもっているということです。具体的にいえば、政治家やメディア、学者・専門家などへの反感です。トランプ氏も、演説の中で繰り返し「メディアは真実を述べていない、隠している」と主張していました。

日本でも、とくにメディアや専門家への逆風は強いと感じます。権威を笠に着たような姿勢では、意見や事実の浸透を図るのは難しい時代です。

おわりに

感情と選挙というのは、もしかしたらものすごく相性がいいのではないかと思います。選挙の判断は瞬間的でよく、しかも選択の方法は概してとても単純です。アメリカの大統領選の投票用紙はマークシート方式ですし、日本でも単なる記名です。

感情をめぐる政治や市場の技術は、今後もどんどんと洗練されていくだろうと予想されます。難しい時代が待っているのかもしれません。

そういう中で、たしかな事実を根拠に、よりまっとうな議論をしていくために、どうしたらよいのか。「嘘」と「真実」、あるいは「感情」と「理性」を二項対立的に考えるような、古い枠組みのままでは進行しつつある現実に対応できないのではないかと思います。

事実・真実の見せ方、語り方、示し方の工夫です。「データの視覚化」の重要性が言われていますが、
business.nikkeibp.co.jp

パソコンよりも携帯デバイスで情報に接触することが多い時代に、どのように事実――ときにそれは複雑で、入り組んでいる――を届けるか。

また、技術だけに目を向けるのも正しくはないでしょう。「保育園落ちた日本死ね」で火が付いた待機児童の問題は、ついに政府が保育士の給料を底上げすることを表明するまでになっています。
mainichi.jp

なかなか前に進まない保育施設の問題を、前に進めたのは、「保育園落ちた日本死ね」ブログ記事が持っていた強力な「感情」の喚起力にあったのはたしかです。がしかし、それだけでは現実は動かない。

感情+ネット+既存メディア+地道な活動をしてきた人たちの努力+政治家の動き、これらがリエゾンして、はじめて現実が動き出すのでしょう。

おまけ──「事実」「真実」とリベラル

もともと、既得権益層への反抗はリベラルの旗印だった。いまやリベラルは既得権益層──とまでは言わないまでも、弱者の位置にはいないとみなされて、攻撃を受ける側に回っている。歴史=物語への疑義も、左派的な解放の理念に支えられて出発したが、新自由主義史観が利用する方向へスライドし、拡大した。

そして「事実」「真実」の確かさへの懐疑も、リベラルな思想家たちが取り組んできたものともいえる。真実を語る言葉の内部に矛盾を見い出す脱構築や、立場やパラダイムによって「真実」のあり方が変わるとする相対主義や知の考古学、「真実」のつくられ方を問う構築主義など、ポスト構造主義の思想は、「事実」や「真実」と思われるものを問い直す努力をしてきた。

だからリベラルは、理論的であればあるほど、「事実」や「真実」を真顔では主張しにくい。

念のためいえば、私は「保守」=「反・事実」、「リベラル」=「事実」のような図式を考えているわけではない。「ポスト真実」の世界は、政治的な対立を越えた、より幅広い世の中の傾向だと考えている。「保守」とみなされる側にも事実を重んじる人はいるし、「リベラル」を掲げる人にも都合の良い「事実」だけつまみ食いする人はいる。