日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

あるお稽古の話

七年少し続けていたお稽古を、やめようかと考えていた。

ひとつには仕事が忙しくなってしまったこと。時間を捻出しようと思えばできなくはないけれど、いまは月一回に減らしているその時間でさえ、惜しいと思う自分になっていた。

もうひとつには、色々自分なりに見えてきたことがあり、このまま続けていても限界があると思うようになっていたこと。次のステップに進むためには、より深くお稽古に関わらなくてはならないことは、はっきりしていた。より深く、というのは時間的にも、そして人間関係的にも、ということであった。お稽古のことについて、考える時間を増やし、向き合う時間を増やさなければ、大きな進歩は期待できなかった。また、お稽古の場の仕事や人間関係により一層踏み込めば、それだけ得られるものが多くなるのも確実だった。

が、どちらもいまの自分にはすることができなかった。

  *

お稽古は、お花である。いわゆる、華道。

花を活けるのは楽しい。花は、造形であり、構成である。その日のお稽古花として与えられた花材を、花器にさしていく。その花、その枝、その葉、その茎の姿を眺めながら、それらの組み合わせを、花器の上の限られた空間の上に配置していく。

f:id:hibi2007:20160224235335j:plain:w200:left季節が変わるごとに、花材も変わっていく。放っておけば、私の手は人工物しか触らない。花に触れ、枝を切り、水に触れる。みずみずしい茎を切り落とした香りをかぐ。季節を先取りしてくる花たちに、春や夏を、秋や冬を、知らせてもらう。

活ける花の基本形は決まっている。しかしバリエーションは無限である。ひとつとして、同じ花、同じ枝はないからである。

  *

花を活けるのは楽しい。しかし、稽古場に通う私の足取りは、いつしか軽いものではなくなっていた。そこは仕事場とも家庭ともまったく別の世界であったが、その非日常の空間は、次第に日常のしごとの重みに負け、なすべきことの合間に慌てて済ませるような、痩せ細ったものになっていっていた。

ここ数ヶ月、私はお稽古をしばらく休もうかということを、ずっと考えていた。まず一年、休む──。しかし一年休めば、そのまま休み続けることは確実だった。それはやめるということと、ほぼ同義だった。

  *

今日、私は「休みます」と先生にお伝えする覚悟で稽古場に向かった。先生は忙しく、いろいろな応対をこなされていた。切り出すのは帰りにしよう、と考えた。

今日の花材を出した。アイリスと、枝物と、葉物の3種類(名前は聞いたが忘れた。その程度の弟子だ)。「新風体」というかたちに活けていく。今日のもむずかしい。主(メイン)と、用(サブ)と、あしらい、の三種類の役を、それぞれの花材に割り当てて配置していく。花を主、枝物を用、葉物をあしらいにした。

「新風体」というかたちは比較的新しいもので、かたちも花材も自由度が高い。逆に言えば、それだけ活け手の裁量が増えて、難易度が増す。

活ける。ぜんぜん、かたちがサマにならない。だいたいの方針は決まったが、あきらかにどんくさい。

しばらく格闘し、最後にあきらめて、先生に、「すいません、一応できました」、という。先生は、「今日のはむずかしいかもね」といいながら、私のいれた花を遠慮なく引っこ抜いていく。調子がいいときは、わずかな手直しで「いいわね」と褒めていただける。だめだと「うーん、ちょっとやり直していいかしら?」と仰りながら、総入れ替えとなる。今日はまあ半分ぐらいの出来か。

  *

先生がアイリスを入れた。手前に一本。その奥に一本。

私はその二本で、魂消た。ぜんぜんちがう。同じ花、ほぼ同じ長さ。

けれど、ぜんぜんちがう。バシッと決まったときの花は、安定感がある。そこにそうあることで、どん、と動かずにいる感じ。角度か。向きか。取りあわせのバランスか。いずれにせよ、先生の活けた二本のアイリスは、その長さ、その角度でしかありようのないかたちで、立ち上がっていた。

枝物が引っ張り出された。大きい方のやつだ。方針はわたしのと変わらない。大きいのを前に持ってきて、ぐっとこちらに張り出させる(私の先生はこういうかたちが好みで、私も自然にそうなる)。「これ、矯めが効くわよね(=曲げてもボキッと折れないよね)」といいながら、二箇所ぐらい、ボキポキ折る。アイリスの横にかざしながら、余計な枝を3つぐらい落とす。そしてアイリスの前に、刺した。

すごい。同じ枝なのに、同じ枝じゃない。まったくちがう。私の枝の線が子供のチャンバラの刀の振りだとすると、先生のは居合抜きだ。私の置いた枝は、漫然とそこにあったが、先生の枝は小枝の一本一本に意味があった。それがそこにある理由があり、それはそこでしかありえないところを通っていた。

葉物を一番奥に刺した。裏を向けた。色が変わる。表は緑に白の葉脈が出ていて明るかったが、裏は暗い紫。すっと花器の上に奥行きが出て、アイリスの紺が映える。

「あっちに置いてみましょう」と先生が言って、襖の前の、あかるいところに置いてみる。正面に座って見る。

  *

漱石の「夢十夜」第六夜に、運慶が仁王像を彫っているのを見に行く夢がある。その技倆の素晴らしさに感心する私に、となりの若い男がこういう。「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ」。

先生の花は、とても自然にそこに存在していた。二本のアイリスは、根元でしっかりと水をつかみながら、互いが互いを引き合うようにして、すっと上に伸びていた。葉の曲線が美しい。そうか、曲線を重ねてあるのか、と気づく。しなやかに外へそっていく緑の葉が、手前と奥で、幾重にも重なっている。

手前の大きな枝は、空間を左上に押し上げていた。縦に花全体のかたちを引っ張り上げると同時に、それぞれの枝と葉が、適切なボリュームで空間を掴み、見えない壁と天井を創り出す。大きく張り出した左側と逆、軽い右側に、バランスを取るように短い枝が伸びている。ああ、ここでも曲線を重ねてあるな、と思う。単にバランスを取っているだけではなかった。その枝は、アイリスの葉に、すっと寄り添うように伸びていた。

暗紫色の長円形の葉は、中心線上の真後ろにあった。こわくて、こんなことはできない。私はたいてい、なにかの風情を出すために、やや斜めにしてみるのだ。誰かに媚びるかのように。先生のは、まっすぐに後ろにあった。端正だった。たぶん、高さの問題もあるだろう。高すぎれば、間延びし、またその色でアイリスたちを殺す。低すぎても野暮ったい。

ぐうの音も出ない。自分の机の前に、花器を引いて行って、しばらく呆然とその花を見た。自分がああでもない、こうでもないと、向きを変え、ちまちま怖わ怖わと長さを切り、刺しては抜き、抜いては刺してした、たった五本の植物たちは、たしかにこの位置、この向き、この組み合わせでしかありえない姿でしずかにあった。微動だに、しない。あたかも、先生が活ける以前からそこにあったかのように。先生がそこにあったものを、ただ「彫り出した」かのように。

  *

「活け替え」という作業がある。先生に手直ししてもらった花を、一度すべて抜く。それをもう一度花器の中に活け直す。それだけである。

簡単に思える。実際、作業としては単純この上ない。鋏は普通もう使わない。あったものを抜き、もとのところに入れるだけ。

これが、ものすごく、むずかしい。同じものに、ぜんぜんならない。たった五本の花と枝と葉なのに、である。

入れてみる。ものの三分で入る。だが、ちがう。なにかが決定的にちがう。不細工なのだ。それぞれの花、枝、葉の向きが、位置が、微妙にちがう。その微妙なちがいが積算していって、全体の姿に致命的な崩れをもたらす。

そしてここで思い知る。私は先生が見ていた線を、面を、空間を、まったく見ることができていないのだ、ということを。見えないものは、直せない。私は私の何が悪いのか、まったくわからない。ただ、これはちがう、ということだけがわかる。悪いことはわかるが、何が悪いのかわからない。こんな怖いこと、こんな悲しいことはない。

「先生、だめです。おんなじになりません」と、今日二度目の音を上げる。先生はやってきて、「うーん、ちょっとちがうわねぇ」といいながら、すっ、すっ、といじる。決まる。だらしなく着崩れていた襟が、ぱりっと立つように、花が居ずまいを正す。

その手に、どんな秘密があるのか。

  *

先生は、私のように、花の形について饒舌に語ることはないし、その必要も感じていないだろう。何十年もかけて花を活け続けてきた、目と手が、形を、作りだす。それは言葉にされない知のかたちである。

私も「先生」と呼ばれる業種についている。
だが、その姿はなんと違うことだろうか。私はたんに一人の口舌の徒にすぎない。
花を活ける、ということの単純な無限と、それを軽やかに楽しんで現前させる先生の前に、今日私はかんねんした。
私の日常とは違う世界が、ここにはある。この花器の上と、先生の目と手の中に。

私は、お稽古を続けなければならない。