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日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

利尻島に行った話

「冬休み」の町

研究チームの調査で、利尻島に来た。2月はじめ。厳冬期である。
研究チームの課題は「国境」を考えるというやつで、樺太引き揚げのおじいさんおばあさん(かつては小学生)のお話なんかを聞けて、おおおそんなことがありましたか、とすごく面白かったのだが、これについてはまた研究論文というかたちで別に報告しようと思っているので、ここでは別のことを書こう。

f:id:hibi2007:20160207102009j:plain:w250:right利尻島の2月は、多くの店が休んでいる。2月だけではない。たとえば宿泊施設の一覧を見ると、ほとんどのホテルやペンション、民宿が11月~3、4月まで休んでいる。利尻ー新千歳便の航空機もだいたい同じ期間は飛ばない。飲食店も休んでいる。農家はほとんどないが、漁業はそもそも季節労働である。土木系もこの雪では仕事にならない。

シャッターを下げ、電気を消して静まりかえる店々を見て、まあ、そうだよね、そうかもね、と思った。だってこれだけ雪が降って、誰も来ないからね。

だが、ほんの数日だけど、ここに滞在して、地元の人の話を聞いて、ものすごく利尻島に詳しい(元)学芸員さんのお話を聞いて、ちょっとその感想が変わってきた。

「普通」のなかで目を閉じる

私は半年近くもの間、ある仕事が休みになるような暮らしというのを、リアルに想像できていない。私が住んだことのある地域は、どこも寒暖や降水量などの差こそあれ、一年を通して「普通」の生活ができる場所だった。

そして私はその「普通」が、ほとんどの地域で「普通」だと思っていた(いる)。ばかばかしいことだが、それが日本の中のことだけでなく、他の国においてさえ、そうなっていると思うともなく思っている。最近、仕事でいろいろな国に行くが、ロサンゼルスもリオ・デ・ジャネイロも北京も台北もソウルも、みんなそうして暮らしていた。店は一年中開いている。人々は一年中働き、そして短い周期で規則的に休んでいる。

多くの国で、都市で、実際そうなっているだろう。生活様式が均質化している。カレンダーも共通している。教育制度も大きく違わない。買う物も、買う店も。いわゆる、グローバリゼーションというやつ。

もちろん、これは私の皮相な思い込みで、反証はいくらでもあげられる人にはあげられるはずだが、私はうかつにも、利尻島でふと「違う」という現実に出会い直して呆然とした。

ここでは人々が半年間仕事をしない。(もちろん別の仕事や他のことをしているわけだが) そんな生活をおくる人々が、私の同時代に同じ国に、存在する。そして私はそういう人々がいると言うことを、ぼんやりわかっていながら、その生活についてリアルに想像したり、そういう暮らしをおくる人々たちが見ている世界について思い遣ったりしたことがなかった。

食事のあと、利尻島でも2番目ぐらいの大きな町の道を歩く。夜8時。車道を歩くが車は来ない。ななめから風に乗って降ってくる、軽くて、しかし止めどない雪の幕の向こうで、店々は扉を閉め、家々は温かそうな灯を内側に抱えて並んでいた。そこにはどんな人々のどんな生活があるのか。

樺太の本屋に本は来なかった

最近、戦前の樺太サハリン島南部)の本屋さんのことを調べている。日本統治期の台湾や朝鮮半島、あるいは満洲や中国大陸、南洋の委任統治領──まとめていわゆる「外地」という──においても同じことを調べ、横並びで網状に考えようという研究計画である。

で、無知で無恥な私は、外地の書店は同じようなものだとぼんやりと考えるともなく考えていた。だが、先日樺太の資料を読んでいて、冬期になると樺太には船が月に2~3便、不定期でしか来なかったと書いてあった。そして船がつくと、待ちかねた少年たちが争って雑誌を買いに本屋に走ったと書いてあった。スキーで、走ったのである。

私はやっぱりそこで呆然とした。外地を“横並びで”考えようとしていたおまえはバカか?

フランスの歴史学者にブローデルというえらい人がいた。彼は歴史を長期間持続する要素と、中期、短期で変わる要素に分けるよう提唱した(『地中海』)。私達が向き合っている文化など、短期変動である。地勢や気候は長期持続。経済的なグローバリゼーションなんて短期変動だ。「離島」「寒冷」という持続的条件は、人間がどうやっても向き合い、付き合っていかなければならない、永い永い暮らしの前提条件だ。

セブンイレブンはないけど、セイコーマートはあるよね、とか、とりあえず自販機でいろはす買って飲むとかやっていると、ここ利尻島も名古屋と変わらない気になってくる。

もちろん、「名古屋と変わらない」面を探すこともできるし、それを求めることもできる。宿にはWifiがあった方がありがたいし、地酒も飲みたいけどやっぱりコーヒーもねと思う。

違う、わからん、からはじめる

けれど私は、ここ利尻島に来て面食らったのである。樺太の本屋の資料を読んで呆然としたのである。そういえばそうだよね、生活って違うよね、だって自然が違うもんね。、と。そして、自然が違い、生活が違うということは、見てるものも相当違うよね。私はそれを、忘れないようにしたいと、ここ利尻島で思ったのである。当たり前のことを長々書き連ねたが、たぶん大事なことだ。

みんないっしょだ、みんないっしょに、という発想やかけ声は、ろくなことにならない。マッチョな集団主義か、お気楽なお花畑か。どちらも私たちの繊細な感性と思考を奪う。どちらも私はごめんだ。私は利尻島に生きる人たちの考え方や感性をうまく想像できないが、近づいていくスタート地点はその「わからん」というところからなんだと思う。