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日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

続「大学は役に立つのか」マジレスしてみます 個別分野編(日本文学研究)その2

大学はいま

なぜ大学に日本文学研究という領域・講座があるのか

いいかげん、我ながらしつこいと思うようになってきた、《「大学は役に立つのか」にマジレスしてみます企画》の個別分野編2です。もうこれでおしまいにします(笑)

総論編は、こちら、
http://hibi.hatenadiary.jp/entry/20150130/1422635262
個別分野編(日本文学研究)その1はこちら
http://hibi.hatenadiary.jp/entry/20150209/1423452794
をご覧下さい。

「その1」の方では、「大学で文学を学んで得られること・わかること」を説明したのですが、ここでは「大学に文学研究が存在する意義」を説明してみます。「その1」を読んでいない方は、そちらから読むことをお薦めします。

B 大学に文学研究が存在する意義

  1. 文化維持の基盤となる
  2. パブリック・ディプロマシーの一環として
  3. 知日派を育てる
  4. 「国語」の教員養成を担う
  5. 入試でも活躍します

B 大学に文学研究が存在する意義

1. 文化維持の基盤となる

「文学」なんて趣味的なものだから大学には必要ない、という見解を持つ人がいるかもしれませんが、それは違います。

放っておけば、どんどんと私たちは過去の文学的資産を読んだり手にしたりできにくくなってしまう、ということを「その1」の方で述べました。過去を引継ぎ、それを現在の我々が利用できる「豊かな泉」するためには、過去の言語芸術の蓄積に容易に到達できるようにするためのインフラの整備(たとえば図書館や叢書や注釈)が必要で、さらにはそれを読める、読みたいと思うような人を育てる、リテラシー教育が必要です。

こうした整備や教育は、直接的な営利活動には向きません。儲からないし、利益の形が見えにくく、説明しにくいので、一般企業が担うのは難しいでしょう。しかし、そういう回路は、私たちの国の中に、ぜひともなければならない。大学は、それを担います。図書館というアーカイブ装置と、その維持・形成に携わる教員と図書館員、リテラシーの質を上げる学部・大学院教育があります。

過去の遺産へのアクセス可能性と、文学に関わることについての技術・知識・嗜好をもった人々を輩出することは、社会における文化的な再生産を活性化します。そして社会の寛容度を上げ、居心地をよくし、豊かさの経験を向上させます。なぜなら文学は、人々が個人的な感性や思考を公共的な空間に放ってシェアする回路だからです。多様な文学が存在することは、自分一人では経験できない多様な経験を、文学という回路を通じて擬似的に追体験することを可能にします。それは他者理解にも、自己理解にも、過去の理解にも、現在の理解にも、有用です。

2. パブリック・ディプロマシーの一環として

また、文学をはじめとした大学における人文系学域の活性度は、日本という国が、文化の継承と発展、考究に力を注いでいる国だということを示す一つの指標でもあります。文化の振興に力を注がない国は、他国からも、そして自国民からも敬意を得られないでしょう。この意味で、日本に存在する大学に、日本文学の講座や教員がいることは、重要です。逆に言えば、そういう講座や専門家がいないとしたら、なんと、もの寂しいことでしょうか。

自国文化を重視せよという物言いは、ナショナリスティックな言辞と近接しますから個人的にはあまり好きではありません。言い方に注意が必要だと感じています。しかし他国との比較や、自国の優越性の語りのためではなく、むしろ自国文化のより開放的な発展のためにこれを考究することは、今後ますます重要であることは間違いないところでしょう。

3. 知日派を育てる

自国の文化を研究する組織が大学にあることの意義は、別の角度からも言えます。留学生たちは、何を学びに来るでしょうか。工学であったり、法学であったりいろいろでしょうが、外国出身の彼らは生活空間である日本の文化に興味を持ちます。そのときに、日本の文化――必ずしも文学でなくてもいいですが、文学は主要な一つです――を講じている講座やカリキュラムが日本の大学にあることは、重要です。それは彼らの日本についての知見を広げ、彼らが持ち帰る知識の厚みを増します。

日本文学関連の授業をとったり、コースに所属する留学生たちもいます。日本に留学した外国人たちは、知日派の卵になりますが、日本文学コースに所属した学部生や大学院生は、その中でも高度な日本文化のリテラシーを身につけることが多いです。通常のコースとは異なり、日本文学のコースでは複雑な日本語を大量に読むことを課せられます。自然、彼らの日本語力は高度なものになり、情報の収集力や判断力が格段に増します。

帰国した留学生たちは、日本についての知を、在学期間中や帰国後に、周囲へ運んで広げます。それは目に見えにくいものですが、草の根で息づき、拡散します。留学した息子・娘の住む国に関心を持たない親がいるでしょうか。留学先の経験を友達に話さない若者がいるでしょうか。留学生は、留学生を呼び、日本について知識や関心を持つ人々の数を増大させます。一人の留学生の背後には、10人の潜在的知日層が存在しうると考えるべきです。

留学生たちは、日本を「翻訳」する通訳者になります。逆もまたしかりです。留学生たちは母国を「翻訳」して、日本社会に伝えてくれます。留学生の数は、多ければ多いほど、国と国とを確かに結びつけます。

4. 「国語」の教員養成を担う

一般にはあまり意識されていないことですが、大学の日本文学研究の講座や教員は、国語科の教員養成に深く関わっています。文学部の日本文学講座の学生は、中学校や高校の国語の教員免許を取得することが多いです。教育学部の国語教育コースには、必ず日本文学関係の教員がいます。塾も考慮に入れれば、この数はもっと増えます。文学研究にたずさわる大学院生の定番のアルバイトは、塾講師です。そのままプロの講師になる人もいます。

国語の教科書には、小説や詩の教材がたくさん載っています。なぜでしょうか。私たちは、私たちの子供の言語能力を、実用的な方向だけで育てたいとは思っていないからではないでしょうか。義務教育課程の国語教科書が、メールの書き方や、会議のプレゼンの仕方、電話の応答の方法などといった、実用一点張りの内容に変わったと想像してみます。そうした国語の教科書でしか勉強してこなかった子供たちの言語能力は、著しく貧しいものになってはいないでしょうか。

言語はすべての文化的活動の基礎です。それは際限なく豊かであった方がいいと私は考えます。国語の教材には多様な方向の評論文が掲載され、小説や詩歌が載っています。私たちは、子供たちの言葉の力、言葉の方向性を、できるだけ広げたいと思っているはずです。それが彼らの将来の豊かさに直結することを、私たちが感じているからです。

国語の教師・講師は、子供たちの言語能力を伸ばす補助者です。であれば、教師・講師たちの言語能力、読解能力は、高いものでなければならない。教材の評論文の述べていることを適切に読み取るにはどうしたらいいか。小説や詩歌をより深く味わうにはどうしたらいいか。子供たちの読んだ経験をどうやって交差させ、より豊かなアウトプットに繋げていけるか。

日本文学に関わる大学教員は、国語の教師・講師を養成する一翼を担っています。

5. 入試でも活躍します

これはあまり詳しく書けません(笑) お察し下さい。入試、大事ですよね。国語の入試がなくなることは、ありえない。そして国語の入試問題は、質が高い方が当然いいでしょう。


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以上、マジレスの試み、ながなが書き連ねてきました。ご参考になれば幸いです。