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日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

「浮雲」で笑う

近代文学合同研究会論集』第9号、2012年12月、pp.76-93

[要旨]
浮雲」は笑える小説なんじゃないか、というところから本考は出発する。もちろん、「浮雲」第一篇が滑稽本の影響下にあり、江戸戯作の語りを引き継いでいたことはとうに指摘されているし、そもそも滑稽味溢れる「浮雲」前半の語りを一読すれば「浮雲」に笑いの要素があることは自明であるから、「浮雲」と笑いの取り合わせそのものにはなんら発見はない。
 これまで「浮雲」の笑いは、おおむね(1)戯作との類似性から説明されるか、(2)近代文学における「笑いの喪失」(またその反措定としての再発見)、の文脈で論じられてきた。(1)では滑稽本の笑いと対照しながら、発話者の無知や認識欠如、現実性からの逸脱ぶりに共通性を見いだした林原純生の研究などがある。(2)としては中村光夫の評論「笑ひの喪失」を受けながら第一篇から第三篇へといたる「浮雲」の行程の中に「笑いの喪失」があることを論じた綾目広治の研究などがある。だが、いずれの方向の先行研究も、「浮雲」というテクスト自体が備えている笑いの質を十全には説明していないし、笑いが存在するというところから見えてくる論の射程も、十分に展開されていない。
 本考では挿絵や、同時代の官員小説田中政一郎『政海波瀾 官員気質』(共隆社、1887年3月)などに言及しつつ、類型的性癖描写、言葉遊び、列挙・百癖、〈当世官員気質〉などを鍵概念にして、「浮雲」の笑いを再考する。それは言い換えれば、同時代の官員表象の中に「浮雲」を置き直す、という作業でもある。