日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

祖母の死

一昨日、昨日と、母方の祖母の葬儀があった。
人の死は、生者と生者を引き合わせ、生者と過去を向き合わせる。


親戚だけが集まる近親葬だったが、祖母の死をきっかけとして、久々にたくさんの人たちが一同に集まった。私自身、何人もの人たちと十数年ぶり、二十数年ぶりに顔を合わせたし、そのように顔を合わせて長い無沙汰を詫びあい、話を交わす人々を見た。二日にわたるさまざまな行事や出来事を共有しながら、人と人とがこのようにつながってきたのであり、そしてつながっているのだということが、ゆっくりとうかびあがっていった。そしてそれを心の中に織り込んで、皆がまた帰っていった。

私の親戚達のつきあいは、現代の都市部における平均的な濃度だろう。私自身はそれをさらに薄めた程度の関係性しかもたない。親戚との直接的なつきあいの親疎は人それぞれの事情や流儀があるとして、そのような一対一の結びつきではなく、「親戚たち」の編み目の中に自分がいるということを目の当たりにすることによって、気づかされることがある。それは時に、大切な経験かもしれない。

つながりの編み目の中で考えさせられるのは、人の連鎖だけではない。それにともなう、歴史の連なりもまた、死は私たちに考えさせる。

祖母は91歳で死んだ。1920年大正九年生まれである。長い長い、人生だ。苦労をした人のはずである。彼女はそれを周囲にまったく語らなかったし、周囲もそれを聞くタイプの人間たちではなかった。だから、想像する他ないが、一通りの苦労ではなかっただろう。私は読経の声が響く部屋で彼女の遺影を見ながら、彼女が多くの語られてしかるべき辛苦を、本当に何も語らなかったのだということをあらためて思い直した。そして、その辛苦を間近で見てきた母や叔父もまた、本当に何も語っていないのだということに、おめでたき一人の孫は――息子は――甥は、呆然とするほど突然思い当たった。

自分のすぐ足元まで、どんな過去が続いてきているのかまったく知らないまま、自分はしかし過去の上に立っている。無自覚に立っている。

祖母の過去のほとんどすべては、祖母の死とともに永遠に消え失せた。すべての人の過去が、そうだろう。私は商売柄昔のことを調べるのが好きで、「歴史」を掘り起こし、考え、語ることが好きだ。しかし、本当に眩暈がするほど膨大な人々の経験が、記憶が、いまこの瞬間も消え去り続けている。それは哀切なことだ。

葬儀は、単なる儀式かもしれない。しかし儀式には意味がある。祖母の死は、淡々と現代の葬儀の段取りにしたがって日常の中へと回収されていったが、そのプロセスは私にいくつもの大切なものを残していった。