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日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

謹賀新年

無駄話

みなさま、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

毎年恒例の反省の、いやもとい、年頭の弁です。

年を越すたびに、私は昨年、一昨年の同じ時期にこの欄に書いた「年頭の決意」を思い出さざるをえないのですが・・・、牛歩を、進めております。一応昨年の約束は守りました。が、大人の世界は厳しく、諸般の事情で、「ゴール」には至っておりませぬ。

このことについて、多くはここで語る必要はないと思っております。ただ、今年もガンバリマス、とだけ申し述べておきます。

昨年、出会った言葉の中で、心に残った言葉を一つ紹介しましょう。

〔…〕詩人にとっての競争相手は、同時代の詩人ではなく“時間”だということ。時間と勝負できるかどうか、時間を乗り越えられるかどうかが問題なんです。賞のために詩を書く人は多いと思いますが、時間は賞を記憶してくれない。記憶するのは、詩だけ、言葉だけです。数千年たっても読まれているすばらしい詩は、時間が記憶してくれるから現代に読み継がれている。

田原さんへのインタビュー「創作と翻訳を通じて日中文学の交流の架け橋となる」『国際人流』2010年3月、p.11

予期せぬ文脈でこの言葉に出会ったのですが、ふと立ち止まってしまいました。私は「詩人」を「学者」に置き換えて読んでみました。学問の耐用年数は詩よりもずっとずっと短いですから「数千年」などという格好のいいことは言えないのですが、やはり競争相手を間違えることがあってはいけないなぁ、と思いました。

学問の世界にも同時代の研究者集団からの評価というものがあり、またより広いいわゆる〈論壇〉の世界での知名度というものもあります。そうした評価に私は一定の価値を置いています。がしかし、一方でそれだけを尺度とすると、なされるべき思考の大切な部分を失うようにも思います。

いろいろ右往左往しながら研究生活を送っており、この一年も送っていくでしょうが、学者の競争相手は同時代の学者ではなく“時間”なのだということを、大きな戒めとして、小さな慰めとして、ささやかな決意として、この年頭に書いておこうと思います。