日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

補遺・台湾訪問を振り返り…

 先日書いたものを読み返し、なんか違うんだよなー、とここ数日考え続けていた。


 自分自身台湾で考えたことを書き留めようと、最終日の深夜に書いていたわけだが、どうも筆が滑っているだけで、ああ収穫だな、と思ったことが書けていない。前のエントリに書いてあることは、日本にいるときから考えていたこと(わかっていたこと)で、それを確かめてなぞっているだけだ。そして、おおむねその言っていることは、ちょっと激しい言い方であえて言えば、「旧宗主国の人間のマスターベーション」にとどまる。

 台湾で色々な人と出会って話をして、一番自分が今回の収穫だと思ったのは、ある課題を考えたいときに、異なる文脈を持った人と協働的に作業をすることの大切さと面白さだった。具体的に言えば、台湾にあった日本語書店の問題を考えるときに、台湾研究のエキスパートや、台湾で日本研究をやっている人たちと、知恵を寄せ合って考えることの重要さだ。

 こうして考えてきたとき、私は自分が台湾で行った一見違った二つの作業、〈外地〉の本屋研究と、現代日本の非母語話者作家の日本語文学についての講演とが、ようやくつながってくることに思いいたる。

 「日本近代文学・文化研究」の外に出て考えることの大切さと面白さ。これは外国語で発表するとか、近代文学研究をやめるとか、外国で生活するとか、そういったことを指しているのではない。異なった文脈の知の体系とつながること、つながることによって自分の体系が変化すること、それによって追求する対象の持つ問題の配置そのものが変化すること。これは一人ではできないし、「均質なお仲間」の中だけで何かをしていたのでは、たどりつけない領域だ。

 簡単にはできないことはわかっているし、そういう研究の方向を可能性として感じただけの状態だが、なんとか挑戦していきたいものだ。