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日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

台湾訪問を振り返り…

 台湾には、本屋研究のために来た。

 何年か前から、北米への日系移民の文学について研究していて、その一環でサンフランシスコを中心としたアメリカのジャパンタウンの日本書店のことを調べて論文にした。いま取り組んでいるのは、その延長線上にあるもので、いわば〈外地〉書店研究である。めっぽう面白い。面白いが、いろいろしんどくもある。


 この手の研究をするとき、私は町歩きがとても大切だと思っている。私が調べているような戦前の書籍店など、とうに消え失せている。しかし、何もないことがわかっていても、そこを訪れることはさまざまなことを私に教えてくれる。それは距離感や風景、街の雰囲気といった、知覚でき、明示的に語れることでもあるし、また完全には意識化できないが、論文を書いていくうえで決定的に重要なある種の「感覚」をもたらしてくれるものでもある。だから私はできるだけ、古い地図を持ってその街を歩く。

 日本帝国時代の地図を持って台湾の街を歩く経験は、当惑をもたらす。その街の構造が――道路が、鉄道が、官庁が、学校が、公園が、市場が、盛り場が――、少なからぬ部分において「重ね書き」のようになっているからである。

 違う方法で、「植民地以後」を作ることはできた。台湾の友人との間でなんどか話題に出たが、ソウルの街は違う道を選んでいる。そこでは、壊して新しく打ち立てることが象徴的な意味をもっている。しかし台北の街や台中の街は、異なる「以後」を選んでいるように見える。どちらがいい、という話をするつもりはもちろんない。「日本人」としてそうした街に立つとき、私はもごもごと口ごもるだけだ。

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 台中で、研究会に出席する機会があったのだが、そこの課題図書で、植民地研究はかつての支配領域をなぞる作業でもある、というような趣意の文言に出会った。まさにそのとおりだ。私の〈外地〉書店研究は、大日本帝国の文化的版図をたどり直し、描き直し、再画定しようという作業たらざるをえない側面をもつ。しょうもない作業だ。性懲りもなく。いまさらどの面を下げて、それをやるのか? 手土産を持ってあやまってまわろうか?

 そうではないだろう。そうではないが、やはり仰々しくそびえ立つ旧台湾総督府の目の前で、膨大な統治研究の蔵書をもつ旧台北帝国大学の図書館で、そして消え失せた旧日本書店跡地で(人々はそこで元気に違う商いを行っている)、彼らはなにをここでやったのか、と問い返さざるをえない。

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 やっかいなのは、植民地支配が運んだ諸装置は、装置それ自体としては「使える」ものだったりすることであり、そして暴力的な植民地支配を研究することが「面白」かったりすることである。

 こうした言いぐさは、誤解を招きかねない。植民地支配を正当化したい人たちの言いぐさに近いように見えてしまうかもしれないから。もちろん、私はそんな気は毛頭ない。言いたいのは、「ぜんぶダメでした。ごめんなさい。以上」という紋切り型からは、いまや何も生まれないんじゃないか、ということだ。

 白黒はっきりつけられないことはしばしばある。大事なのは、どちらかの色に決めつけることではないんじゃないのか。ときに白にもなり黒にもなる人や物や出来事を、つぶさに検証することが大切なのだと私は思いたい。そうでなければ、好奇心はすぐに知的に堕落する。