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日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

ライプツィヒの月面

12月9日からドイツに来ていて、今日はその最終日だった。ドイツへは、ベルリン自由大学とライプツィヒ大学で行われた、二つのワークショップ(*1)に参加するために来た。同僚の坪井さんと二人旅である。

ドイツは、初めて。というより、ヨーロッパの土を踏むこと自体が初めての体験である。色々と書きたいこともあれば、まだ言語化できない未消化の経験もたくさんした気がしているのだけれど、とりあえず今は、今回の旅で一番印象に残った一つの風景についてだけ書いておくことにしたい。


ベルリンからライプツィヒに移動して次の日、ライプツィヒ大のリヒターさんが車でツアーをしてくれた。ゲーテが大学時代を過ごし、バッハが働いた教会がそびえ、シューマンやらワーグナーやらリストやらが常連だったというカフェが残り、ドイツにおける出版の中心地だった商人の街ライプツィヒ。そういういわゆるヨーロッパ、ドイツのハイカルチャーへの憧れをこちらが持っていることを見越しての、定番を押さえたツアーになるのかな、と予想していたら、その「期待」は見事に裏切られた。ライプツィヒは東独の街でもあった。

リヒターさんが車でドライブして見せてくれたのは、写真の風景だった。「ライプツィヒの月面」と呼ばれたこともあるという。褐炭の、採掘跡である。ライプツィヒの褐炭採掘は露天掘りで、だから地表に大きな穴が開く。月面のクレーターのように。いま、その採掘跡のいくつかは湖水として再整備が測られ、見せてもらった「湖」にはヨットハーバーもあった。

東独時代のライプツィヒ生まれであるリヒターさんのツアーは、個人的な生い立ちの話や家族の話、大きな紡績工場の跡地――一種の芸術村として再開発されていたが見た目は廃工場そのもの――や、炭坑町、そして「月面」への訪問と、不勉強かつ脳天気な私が予想もしなかったライプツィヒの近現代史を、肌身で感じさせてくれるものだった。

第二次大戦後、ドイツは東西に別れた。ベルリンの街も東西に分割され、壁が築かれ、そして崩れた。そのことはもちろん知識としてはあり、ベルリンを訪ねる今回の出張旅行は、そうした「壁」の歴史もみてみたいという希望もあった。歴史も見てみたい、というと聞こえはいい。だが、この私のいい方には、すでに完了した出来事の跡をたどる、というような無自覚な意識があったのだと、そのツアーの後思った。

ベルリンとライプツィヒで会った西の人と東の人は、やはり「旧西」「旧東」とは言えないような感覚の差、背負っているものの差を持っていたような気がする。もちろん、ドイツについて詳しい知識もない、ドイツ語は「はろー」と「だんけ」しか話せない私のような人間に何がわかるという筈もない。この認識はそうした西と東の人に、明示的にまた暗示的に教えてくれたからこそ得られたもので、そしてライプツィヒ大の小林敏明さんや同行者であった坪井さんという優れた解説者のレクチャーによるものである。

リヒターさんのツアーが、私のヨーロッパ経験の最初の旅にあったことを、私は深く深く感謝する。トマス教会もクリスマス・マーケットも全部すっとばして訪れたライプツィヒの月面は、これからヨーロッパのどこへ行ったとしても、私の背中に張り付いてくるような気がしている。

ドイツの街で初めて出会った、長く厚いヨーロッパの伝統を受け継いだ建築も、絵画も、音楽も、素晴らしかった。(もちろん、ワークショップで得たものは大きかったのだが、それは別の話題としてあえてここでは書かない。実は片一方は発熱して「ペーパーで参加」という大失態をやらかしたのだが…(恥)) しかし、それと同時にベルリンで訪れた35万人のトルコ人の街リトル・イスタンブールことクロイツベルグ――ベルリンの人口の1/10だ――の印象や、東独の街――人々が社会主義体制のなか働き、それが崩れ、そして現在もなおその崩落の記憶と傷とともに生きているライプツィヒに出会えたことは、今回の旅の最大の収穫だったと、いま私は感じている。

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注記
(*1) ひとつは、
Workshop: "Gender and Food in Modern Japanese Literature," in Freien Universität Berlin. Dec. 12th, 2009 で、私のタイトルは " Reading Transborder Literature in Contemporary Japan: Food, Migration, and Memory"
もうひとつは、
"Vorträge & Diskussion," in Universität Leipzig. Dec. 15th, 2009 で、私のタイトルは "食の風景――近現代日本におけるトランスナショナルな移動と日本語文学(Die Landschaft des Essens – Aus der Sicht der Literatur über die transnationale Emigration im modernen, gegenwärtigen Japan.)"
どちらも新ネタでして、ついにリービ英雄とか楊逸とかに手を出してしまいました。すごーく面白かったです。ちょっと続けてやってみようかしら。