日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

やる気のでない夏のあなたに

やらねばならぬことは明白。材料は目の前にあり、時間も捻出した。・・・・が、どーしてもやる気が起こらぬ。

研究を始めてこの方、卒業論文の時代から(いや、学部の演習発表からか。いやいや受験勉強からだろうな)、こうした人知れぬ心の苦闘を、なんど繰り返してきたことか。

この手の悩みは万人共通らしい。聖人君子でもない限り、人間そうだろうことは想像が付くが、まさに聖人のようだと崇敬していた先生が、後述するようのこの悩みを語っておられたので、世の99.9パーセントの人間がこの悩みを抱えているはずだと私は断定する。


この前、松岡正剛『多読術』というのを手に取ったところ、ヤル気喪失状態に陥ったときの彼なりの打開策が書いてあって、ふむ、と思った。遊びや息抜きも読書でする、というのが氏の流儀なのだそうな。仕事の本を読んでいて息が詰まっていやになったとき、別の分野の本や、ミステリーなんかを読んで回復する。ああ、わかるなぁ、と思ったのは、絶不調の時には自分の本を読む、ということ。これ、私もときどきやる。

自分の文章は苦もなく読めるし、いろいろ忘れていたことも考えていたことも思い出させてくれる。また、それなりに頑張った論文なんかを読むと、「ああ、オレ、がんばってたなぁ」とか「案外/やっぱり、いいこと言っているわ」とか、「なぜみんなこのスバラシサがわからんのか(怒)」とかいう、身勝手だがポジティブな(笑)感想が湧いてくる。で、多少は燃料が点火されるわけである。コツは、B級C級論文はもちろん封印し、間違っても読み直さないことである。

松岡氏の別の本を読んで回復、という前半の方の話もわかる気がするが、凡夫の私にはそこまでの出家僧のような苦行はできぬ。苦行といえば、尊敬する学部時代の先生が、「私もね、ときどき勉強するのがいやになることがあるんです。そんなときはね、どうするかというとね。もっと勉強するんです」と仰ったことがある。講義中の雑談だったのだが、教室中に「ぉお〜ぅ…」という静かなどよめきが広がったことを覚えている。みんな、その先生のまさに「学究肌」と呼ぶのがふさわしいたたずまいに、畏敬の念を抱いていたものである。「ヤル気」と名の付くものが、どこをどうかき集めても出てきそうにないそんなときに、私はよくこのN先生の言葉を思い出す――、先生、私は駄目な男です。

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しかしまあ、どうにかこうにか研究を続けていると、それでもそんな超低空飛行状態をどう抜け出すかという自分なりのあがき方を見つけ出すものである。世の御同類の方に、少し開陳。

方法1: その課題の「見た目」だけとりあえず作りはじめる。

 たとえば、学会発表をしなければならないとき。内容を考えるやる気も根気もないので、中味は進められない。そういう時、私はとりあえずレジュメの見た目を作り始める。私は資料の見栄えの方面は多少凝る方なので、やることはそこそこにあるのである。会場やらタイトルやら日付やら書誌やら引用文やら、何にも考えなくてもよい情報をファイルに置いていき、レイアウトをしていく。
 これにはまあまあ時間がかかり、そんなことをやっていると気がつくとエンジンが低速ではあるがかかりはじめているのである。

方法2: パソコンを切る。

 ヤル気がないとき何をするか。私の場合、テレビはあまり見ないので、ネットをうろうろしたり、メールの返事を書いたりするのである。この作業の不毛っぷり消耗っぷりをなめてはいけない。もちろん、こんなページにまでわざわざ足を運ぶ貴方のことだから先刻ご承知と思われるが、ネットをうろつくことなんて何時間だってできてしまう。我に返ると数時間が無駄に経過しており、そしてそんなときにはヤル気の回復などとても望めないほどに、脳がどんよりと疲労してしまっている。読書や資料の読み込みなど、する気が起こるわけもない。
 だから、強制的にパソコンの電源を落とすのである。机の上を空け、ランプを付け、本だけと向き合う。なんとか、始められる。

方法3: 机の掃除をする。

 ここ数年覚えた習慣だが、総合的に見てこれは今のところ私にとって最強の対応策である。前任校の教え子に風水好きの院生がおり、彼女が「先生、朝机の掃除すると、めっちゃ勉強できますよ。風水の本にそう書いてあって最近やってますけど、ほんとですよ」と言っていた。すでにこの秘策にたどり着いてた私も強く同意したところだったが、風水は信じないにしても、風水のような古い知の体系に昔の人の生活の知恵が含まれていることは、当然と思う。
 掃除をすることは、準備運動のようなものである。低空飛行状態のときの机の上は、物すら片付けられていないことがほとんどである。Aの仕事とBの仕事が並置され、その下には終えたつもり(つもりである)でそのまま放置してあるCの仕事が横たわっている・・・・。ちなみに机の脇には、読もうと思って集めるには集めたあれやらこれやらの資料の山がうずたかく積み上がっている・・・・
 掃除は、たんに机の上がキレイになるというだけではない。物を仕舞い、整理するというプロセスは、自然、その「モノ」と連携づけられていた脳の中のワークスペースを整理するという効果も伴うようである。そして綺麗に拭き上げた広い机に、さて、と向かうのである。部屋も片付き、気分もすがすがしく、おやおやヤル気も回復。一石三鳥である。

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長々、なんでこんな文章を書いているのか、って?
もちろん、ヤル気が出ないからですよ。