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日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

最近いただいた本 2

無駄話

 前回に続けて、恵贈賜りました本を紹介します。


地図 初期作品集 (新潮文庫)

地図 初期作品集 (新潮文庫)

太宰の初期作品が、新潮文庫で読めるようになりました。曾根博義さんの充実した解説付きです。


なぜポニョはハムが好きなのか―宮崎アニメの思考

なぜポニョはハムが好きなのか―宮崎アニメの思考

宮崎アニメを対比構造から読み解く。


淡島千景―女優というプリズム

淡島千景―女優というプリズム

淡島千景の貴重なインタービューを中心に、映画研究者達の論考、他の女優・マネージャー・俳優のインタビューや談話から構成される。詳細な年譜も付いた、初のインタビュー本であり本格的淡島千景論。


新世紀太宰治

新世紀太宰治

太宰治の生誕100周年を記念して編まれた論文集。若手研究者たちの論文が15本並び、「太宰治の受容と流通」「文学(史)のなかの太宰治」「近代(史)のなかの太宰治」の三部からなっている。


デリダで読む『千夜一夜』―文学と範例性

デリダで読む『千夜一夜』―文学と範例性

 青柳悦子先生の大著。デリダの著作から「範例性」という概念に注目する。私の乏しい理解によれば――
「例」がなぜ「例」として成り立つかというと、その「例」が特別であるから例示する意味があるとの同時に、その「例」が別のものに普遍的に適用可能だから「例」になる、と。つまり「範例性」とは「例」というものがもっている「特個性」と「普遍性」が縒りあわさった状態を指す言葉なのである。そして文学の言葉とは、この「範例性」が存分に発揮される領域である、ということと理解した。

「「例」の本性とは、「本質」をはぐらかしそれと戯れること、そしてまた、「本質」というものに対して超然とした次元に身を置き「本質」など抜きにしたところで思考を展開することである」p.44

 自分自身の関心に引きつけすぎかもしれないが、たぶん青柳先生は文学という言葉がこの世界のなかのその他の言葉とどう違うのか、どういう特徴や機能を持ったものなのかということを説明しようとされているのだと思う。その現時点での答えが、普遍的であって単独的であり、代替可能であって代替不可能である、反復可能であって反復不可能であるという、文学の言葉のあり方に見出されているのである。
 これは理論的・抽象的に考えてもなるほどと思うし、また個別の歴史的な文脈における文学作品の立ち位置を考えても納得の議論であると私は思う。