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日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

「文壇」は閉じているか――大正文壇・交友録・芥川「あの頃の自分の事」


『国語と国文学』第85巻第3号、2008年3月、pp.41-55


[要旨]
 この論考は、大正期の小説の表象が、人々の――とりわけ作家たちの――〈私的な領域〉をいかに描き、覗き、侵犯したのかを考え、同時にこれまでの研究がそうした表象の果たした役割として“文壇の境界設定”を推定していたことを問い直そうとするものである。

 まず、芥川龍之介「あの頃の自分の事」、菊池寛「無名作家の日記」など第四次新思潮派の文壇交友録小説を検討しつつ、同時にこの種の小説と並行して存在した告白小説や回想記の流行、およびそれを支えた読解慣習の存在を確認する。ただし表面上の流行をたどるだけでは、文壇交友録が実際に行っていたことは明らかにならない。本論では、先行研究の指摘を踏まえながら、作家たちの〈私的な領域〉を表象する行為が、文壇の輪郭を遂行的に明らかにしつつ再生産していた仕組みを、巨視的/史的なレベルにおける検討と、「あの頃の自分の事」の作品分析のレベルでの検討を交えながら検討する。

 この仕組みは、文壇が周囲の状況から自らの領域を隔離し、独自の閉域として自己規定していく動きとして、これまでの研究では把握されてきた。この把握は、伊藤整の提出した文壇ギルド論と大筋で重なり、それを補強する役割を果たしてしまっている。本論考は、これに疑問を投げかける。文壇人がいかに閉じたものとして自己規定しようが、彼らが利用する装置は、通俗メディアの装置と多くの部分で重なっていたのではないか、というのがその根拠である。