読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

論文

外地書店を追いかける(8)──大阪、九州、台湾の共同販売所と大阪屋号書店満鮮卸部

「外地書店を追いかける(8)──大阪、九州、台湾の共同販売所と大阪屋号書店満鮮卸部」『文献継承』金沢文圃閣、30号、2017年5月、pp.11-15。 第8回、書きました。今回は戦前の内地/外地をまたいで起こった「共同販売」という、書物の流通改革のお話です。

図書館と読書の履歴をめぐる文学的想像力

『日本文学』日本文学協会、第65巻第11号、pp.51-61、2016年11月10日発行、特集「図書館と文学──保存・検閲・スキャンダル」 Title: "Library, Reading Record, and the Literary Imagination"表題の論文を書きました。要旨は以下のとおりです。[要旨] こ…

外地書店を追いかける(7) 台湾書籍雑誌商組合のこと

『文献継承』第29号、2016年10月、pp.4-6 今回の内容はこんな感じです(冒頭より) 内地と外地を結んだネットワークを考える際に、一つの重要なアクターとなるのが、外地の小売書店の業界団体である書籍雑誌商組合である。書店組合は、当該地の小売書店の利…

国際スポーツ・イベントによる主体化――一九三二年のロサンゼルス・オリンピックと田村(佐藤)俊子「侮蔑」

『名古屋大学文学部研究論集 文学』62、2016年3月31日、pp.245-253 後日、名古屋大学のリポジトリで全文が公開の予定です。[要旨] この論文では、田村俊子の短編小説「侮蔑」を取り上げ、オリンピックが日系二世たちにどのような受け取られ方をしたのか、…

戦前外地の書物取次――大阪屋号書店、東京堂、関西系・九州系取次など

『Intelligence』20世紀メディア研究所、16号、2016年3月31日、pp.134-148 本研究は科学研究費補助金(基盤研究(C)、課題番号15K002244)によるものである。 [要旨] 戦前の外地向けの書籍取次として著名なのは大阪屋号書店であり、その役割は大きなものが…

樺太における日本人書店史ノート――戦前外地の書物流通(3)――

『JunCture 超域的日本文化研究』、2016年3月28日、pp.58-67 本誌掲載の日比の著者紹介において、所属が一橋大学となっていますが、名古屋大学大学院文学研究科の間違いです。変わりありません。また、同じ紹介で「戦前外地の書物流通(1)」とある後ろに 」 …

外地書店を追いかける(6) 台湾日日新報社の台湾書籍商組合攻撃

『文献継承』金沢文圃閣、第28号、2016年4月、pp.4-7 連載状態で書かせてもらっている「外地書店を追いかける」シリーズの6です。副題のとおり、台湾日日新報社が、台湾の書籍商組合を攻撃していた事件について、記述しております。マニアックですいません…

内地-外地を結ぶ書物のネットワークと朝鮮半島の小売書店 : 日配時代を中心に

『翰林日本學』第27輯、2015年12月、pp.31-50 全文は下記で読めます。 http://japan.hallym.ac.kr/index.php?mt=page&mp=4_7&mm=bookdb&oxid=1&cmd=view&id=1113&artpp=10&navinum=10&cpage=1&cid=5&orf=30要旨は以下のとおり: 本論文では、第二次世界大戦…

『跨境 日本語文学研究』第2号

『跨境 日本語文学研究』第2号(2015年6月30日)が出ています。私は今回以下を書きました。 論文「詩がスポーツをうたうとき―1932年のロサンゼルス・オリンピックの場合」pp.111-124 "Reading Sports Poems and Lyrics for the 10th Olympic Games of Los A…

越境する作家たち:寛容の想像力のパイオニア

『文學界』6月号(2015年6月1日)に「越境する作家たち:寛容の想像力のパイオニア」という評論を書きました。排外主義の言葉が勢いを持つ現代において、越境者たちの文学がどのような可能性を持つのか論じたものです。キーワードは「寛容」。リービ英雄、…

朝鮮半島における日本語書店の展開――戦前外地の書物流通(1)――

『跨境 日本語文学研究』、第1号、2014年6月、pp.205-219 [要旨] 朝鮮半島を中心に、書物流通の問題と小売書店の歴史を取り上げた。簡単に近代日本の書物流通を整理した上で、朝鮮書籍商組合の成立や、朝鮮半島に存在した日本語小売書店が、実際にどのよう…

外地書店とリテラシーのゆくえ――第二次大戦前の組合史・書店史から考える――

『日本文学』第62巻第1号、pp.44-56 [要旨] この論文では、戦前の外地における日本語のリテラシーを、第二次大戦前に外地へ出店した書店の分析をつうじて考察する。具体期には、外地書店の同業者組織である外地の書籍雑誌商組合の歴史、そして外地書店が生…

「浮雲」で笑う

『近代文学合同研究会論集』第9号、2012年12月、pp.76-93 [要旨]

現代日本のトランスナショナル文学論のために――シリン・ネザマフィ「サラム」と翻訳の表象――

『JunCture 超域的日本文化研究』第3号、2012年3月、pp.32-47 [要旨]

洋上の渡米花嫁――有島武郎「或る女のグリンプス」と日系アメリカ移民――

『有島武郎研究』第14号、2011年6月、pp.1-15 有島武郎研究会の雑誌に書かせていただきました。 要旨は発表のときのものと変わっていませんので、下記をご覧下さい。 http://d.hatena.ne.jp/hibi2007/20101201#seeall

日系アメリカ移民一世、その初期文学の世界

『移民研究年報』 17、2011年3月、pp.43-63 Exploring the First Stage of Japanese American Vernacular Literature, circa1900 [要旨]米国日系移民の日本語文学については、これまで翁久允の諸作品や俳句・短歌などの韻文を中心に研究が進められてきた。…

写実小説のジレンマ――島崎藤村とモデル問題

『名古屋大学文学部研究論集』57、2011年3月31日、pp.125-147 A Dilemma of Realism: SHIMAZAKI TOSON and "Model Problems" 藤村の「旧主人」から「新生」までの軌跡を追いながら、写実小説の登場と私的領域の描出との葛藤のさまを考察した。

境域から読めること――日系アメリカ移民の日本語文学――

『日本研究』高麗大学、第15集、2011年2月、pp.127-150 日系アメリカ移民の日本語文学の展開を略述し、とくに第二次大戦下の彼らの文学表現について、伊藤正の評論を検討しながら論じた。

プライヴァシーの誕生――三島由紀夫「宴のあと」と文学、法、ゴシップ週刊誌――

『思想』No.1030、2010年2月5日、pp.51-66 [要旨] 一九六〇年前後の日本社会において、文学、法、人々の〈私的な領域〉の三者がどのようなかたちで接しあっており、そこに「プライヴァシー」なるアメリカ法に起源をもつ新たな概念が導入されることによって、…

移民の想像力――渡米言説と文学テクストのビジョン――

『JunCture』第1号、2010年1月1日、pp.48-63 [要旨]

船の文学――『あめりか物語』「船室夜話」――

『文学』第10巻第2号,2009年3月,pp.41-49 「荷風没後五〇年 虚像から実像へ」という特集に寄稿したもの。

「モデル小説」の黄昏――柳美里「石に泳ぐ魚」裁判とそれ以後――

『金沢大学国語国文』第34号,2009年3月,pp.124-132 金沢大時代の恩師、上田正行先生の退官記念特集号に書かせていただいたもの。

望郷のハワイ――二世作家中島直人の文学――

『文学研究論集』第27号,2009年2月,pp.219-238 [要旨] 本論文は、ハワイ生まれの二世作家中島直人を再評価しようと試みたものである。中島は、ハワイの日本人学校と公立学校で教育を受け、その途中で日本へ渡日している。その後早稲田大を中退し、小説を…

身体・空間・心・言葉──梶井基次郎「檸檬」をめぐる──

『佛教大学総合研究所紀要別冊 京都における日本近代文学の生成と展開』2008年12月、105-122 [要旨] 梶井基次郎の「檸檬」を題材とし、身体と空間と心との取り結ぶ関係を、小説の言葉がどのように捉えたのかを考察した。街の上をさまよう青年を描く小説に…

北米日系移民と日本書店――サンフランシスコを中心に――

『立命館言語文化研究』20巻1号、2008年9月、pp.161-177 [要旨] 移民地と〈内地〉日本の間の人・モノ・情報の流れを考察する作業の一環として、サンフランシスコの日本書店の歴史と役割について調査・分析した。日本書店は新刊書はもちろん新聞や雑誌を顧…

破船事件と実話・ゴシップの時代

『文学』第9巻第5号、2008年9月、pp.75-87 [要旨] 久米正雄、松岡譲、漱石の長女筆子の間で起こった恋愛事件を破船事件という。この名前の元となった久米正雄の失恋小説「破船」、およびそれを松岡側の視点から描いた「憂鬱な愛人」を検討の対象としつつ、…

鉄路の道行――近江秋江「舞鶴心中」

『國文學』第53巻6号、2008年4月号、臨時増刊号「旅、鉄道、そしてエッセイ」 2008年4月20日 pp.51-58 http://www.gakutousya.co.jp/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=0172 [要旨] 心中の道行は、近代に入りどのような展開を迎えたのか。近松秋江の「舞鶴心中」(1915…

「文壇」は閉じているか――大正文壇・交友録・芥川「あの頃の自分の事」

『国語と国文学』第85巻第3号、2008年3月、pp.41-55 [要旨] この論考は、大正期の小説の表象が、人々の――とりわけ作家たちの――〈私的な領域〉をいかに描き、覗き、侵犯したのかを考え、同時にこれまでの研究がそうした表象の果たした役割として“文壇の境界…

傍流に生きる──菊池寛「身投げ救助業」と琵琶湖疏水

『佛教大学総合研究所紀要』第14号,2007年3月,pp.21-33 文学テクストの分析によってしかわからない土地の風景を、また逆に、土地を読むことによって新たに浮かび上がる文学テクストの姿を、追求してみようとした試みの一つである。具体的には、菊池寛「身…

絡みあう「並木」──日本近代文学と日系アメリカ移民の日本語文学──

『京都教育大学紀要』第109号, 2006年9月, pp.143-154 [紹介] 本論文は、日系アメリカ移民の日本語文学と日本近代文学との関係を考察するものである。日系アメリカ移民の第一世代──一世──は、早い時期から太平洋をまたぐ出版流通網を整備し、「日本語空間…

転落の恐怖と慰安──永井荷風「暁」を読む──

『京都教育大学 国文学会誌』第33号, 2006年6月, pp.33-45 [紹介] 永井荷風の滞米時代を、一時滞在の旅行者、傍観者として捉えてきた先行論に対し、〈在米日本人〉コミュニティの中に生き、〈在米日本人〉としてあったものとして再考する。この視点からす…

永井荷風『あめりか物語』は「日本文学」か?

『日本近代文学』第74集, 2006年5月, pp.92-107 [紹介] 永井荷風は1908年に帰朝し、その後没するまで日本で活動した。だがもし彼が帰国しなかったとしたら、在米中に書きつがれた彼の『あめりか物語』はいったい何文学とされていたか? 20世紀前半の北米移…

日系アメリカ移民一世の新聞と文学

『日本文学』第53巻第11号(No.617), 2004年11月,pp.23-34 [紹介] 日系アメリカ移民の日本語新聞『新世界』(サンフランシスコ)を検討し、移民地における新聞の機能と、移民文学との関係について考察した。移民地においては日本国内で刊行された出版物と…

堀辰雄の反−私小説──夢・フロイト・「鳥料理 A Parody」──

『国文学 解釈と鑑賞』別冊,2004年2月,至文堂,pp.128-137,他共著者22名 [紹介] 堀辰雄の文学と1930年前後の私小説をめぐる言説との関係を考察した。堀文学は私小説とは異質のものとされることが多いが、実際にはもう少し複雑な交渉を取り結んでいた。…

「モデル問題」の発生──内田魯庵『破垣』

『国文学 解釈と教材の研究』第47巻第9号、2002年7月、pp.31-35、7月臨時増刊号・特集「発禁・近代文学誌」のち国文学編集部編『発禁・近代文学誌』共著,2002年11月,学燈社,pp.31-35,他共著者36名(臨時増刊号の書籍版) [紹介] 「モデル問題」は実在…

絵の様な人も交りて展覧会──文学関連資料から読む文展開設期の観衆たち── 

『美術展覧会と近代観衆の形成について』(平成11-13年度科学研究費補助金(萌芽的研究)研究成果報告書、研究代表者 五十殿利治、課題番号11871009)、2002年3月、pp.23-36 [紹介] 文部省美術展覧会(文展)の観衆を、文学資料──小説・文芸雑誌の記事・川…

吾輩の死んだあとに──〈猫のアーカイヴ〉の生成と更新──

『漱石研究』第14号、2001年10月、pp.149-163 [要旨] 文学作品は、現在の研究の体制において、多くの場合その作者との関わりに重点をおいて考察される。しかし、実際の社会内における文学作品の在り方を考えるとき、こうした作者に関わる部分に注目するだ…

〈文芸と人生〉論議と青年層の動向  

『日本近代文学』第65集、2001年10月、pp.150-162 [紹介] 「芸術と実生活」「実行と芸術」などとも呼ばれる自然主義文壇を代表する論争、〈文芸と人生〉論議を、青年層の動向に着目することによって再検討する。論争の過程で「観照」派とされる花袋・天渓…

翻訳と感化の詩学──「野分」の人格論をめぐって── 

『国文学 解釈と教材の研究』第46巻第1号、2001年1月、pp.118-125 [紹介] 夏目漱石「野分」の登場人物白井道也が展開する『人格論』は、漱石自身の思想と重ねて考えられることが多い。これに対し、同時代の〈人格〉をめぐる言説の水準と照らし合わせること…

〈自己〉を語る枠組み――中等修身科教育と〈自我実現説〉――

『国語と国文学』第77巻第7号、2000年7月、pp.41-54 [紹介] 明治20年代後半に移入された倫理学説〈自我実現説〉と当時の文学的思考との交差を検証する。この学説のもつ論理を明らかにし、それが中等修身科教育に組み込まれていく様相をたどる。そこから修…

日露戦後の〈自己〉をめぐる言説――〈自己表象〉の問題につなげて――

『日本語と日本文学』第30号、2000年3月、pp.29-42 [紹介] 日露戦後の文芸評論界に見られる〈自己〉論の隆盛を分析する。そこに現れた言説群を「自己の文芸論」「自己の描写論」「自己の探求論」の3種に分類し、その特徴や背景について考察。さらにこうし…

文芸用語としての「モデル」・小考――新声社と无声会――

『文学研究論集』第15号、1998年3月、pp.77-95 [紹介] 現在われわれが普通に用いる、「この小説のモデルになった人」などといういい方は、どのようにしてできたか。文芸用語としての「モデル」の社会的な流通の1パターンを、明治30年代の出版社兼文学集団…

帰国直後の永井荷風――「芸術家」像の形成――

『日本語と日本文学』第26号、1998年2月、pp.21-33 [紹介] 一人の作家の「イメージ」がどのように形成されたのか、永井荷風を例にとって考える。アメリカ・フランスでの生活を終え明治41年に帰国した荷風は、当初は無名の青年作家だった。その荷風が自然主…

「モデル問題」とメディア空間の変動――作家・モデル・〈身辺描き小説〉――

初出、『日本文学』No.536、1998年2月、pp.10-21 のち、和田敦彦編『読書論・読者論の地平』(日本文学研究論文集成47、若草書房、1999年9月、pp.185-200)に採録 [紹介] 明治40年後半に起こった、小説のモデルをめぐる道義的論議「モデル問題」を、読書慣…

「蒲団」の読まれ方、あるいは自己表象テクスト誕生期のメディア史

『文学研究論集』第14号、1997年3月、pp.67-90 [紹介] 日露戦後、作家自身が作中人物として登場する小説が増える。こうした事態が起こった経緯を、田山花袋「蒲団」に対する発表当時の読解のようす、作家たちの自己表象への認識などから追究し、小説ジャン…

機械主義と横光利一「機械」

『日本語と日本文学』第24号、1997年2月、pp.12-26 [紹介] 横光利一の小説「機械」が、同時代の文化現象としての〈機械主義〉とどのような相関をもっていたのかを明らかにする。文学のみでなく、板垣鷹穂の美術論や写真・絵画テキストも視野に入れ、機械に…