新人小説月評(文學界)3月、4月分
書いております。ご関心のある方、ぜひ。
以下の連続ツイートで内容について少し紹介しています。スレッドになっているので、クリックすると連投が読めます。
『文學界』の新人小説月評は、「見えることの齟齬、見えてしまうことの救済」と題して、3作を取り上げました。 pic.twitter.com/C8OiA4FeOI
— 日比嘉高『〈自己表象〉の文学史』第3版販促中 (@yshibi) 2018年4月21日
で、4月号の「新人小説月評」は「死してなお聞く耳、死してなお語る手紙」としました。この会の私のイチオシは、小山内恵美子「あなたの声わたしの声」(すばる)であった。#新人小説月評 #文學界 pic.twitter.com/EdBSHx3riE
— 日比嘉高『〈自己表象〉の文学史』第3版販促中 (@yshibi) 2018年4月21日
ダメ作家の作品は擁護されるべきか
KaoRiさんの告白、告発の文章を読んだ。つらかっただろうと思う。
これを読んだあと、アラーキーの写真をこれまでと同じように見ることはできない。
アラーキーの写真は好きだった。
文学研究をしている人間として、私は作品の創作過程がはらんでいた倫理的・道徳的な問題を、そのままナイーブに作品自体の価値に結びつけて、断罪するようなことはしたくないと考えている。だから脊髄反射的に弾劾したりはしない。(現時点では一方的な申し立てだ、ということもある)
しかし、自分も研究者であると同時に、この時代を呼吸する一人の人間で、こうした創作、公開、事後対応のプロセスを経ていることが強く疑われる(断定はしないでおく)作家の作品に対して、かなりの嫌悪感を感じてしまう。そしてその感情が、作品の評価に対して跳ね返ってしまうことを止めることはできない。残念だ。
私は「モデル小説」についての歴史的な研究というのをやっていて、これとよく似たトラブルの史的変遷について少し知識がある。近代の小説家は、明治からずっと、まわりにしばしば迷惑をかけて創作を行ってきた。代表的なのが島崎藤村である。
藤村は、自分の姪っ子と性的な関係を持って、子どもまで産ませてしまった。もちろん、当時からそれは許されざることで、批判もあった。だが、彼はそのことを公表し、あろうことか『朝日新聞』にそれを題材とした連載小説まで書いた。『新生』(1919年刊)という作品がそれである。
現在では、もう考えられない状態である。当時の作家および文学についての感覚とはそのようなものだった。ただし、そのことは被害者を不幸にしなかったことは意味しない。たんに、被害者の悲劇がほとんど一顧だにされなかったというだけである。
藤村の姪っ子のその後の運命については、以下の本がある。こういう本が書かれるところに、その後の文学をめぐる私たちの社会の感性の変化がある。
- 作者: 梅本浩志
- 出版社/メーカー: 社会評論社
- 発売日: 2003/09
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- 作者: 森田昭子
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藤村のモデル問題については、拙論「写実小説のジレンマ──島崎藤村とモデル問題」もあります。以下全文。
hdl.handle.net
被害者側に共感がシフトしたことを示したもっとも明確な出来事は、柳美里の『石に泳ぐ魚』(1994年)をめぐる裁判だと思う。顔面に腫瘍をもつ登場人物のモデルとされた女性が、プライヴァシー侵害などを訴えて裁判を起こした事件である。2002年に最高裁が判決を下し、柳美里の敗訴が確定した。無名の、一般人の被害の訴えが、出版差し止めという強い判断まで事態を導いた、大きな出来事だった。
この時代に、明確に「書く者」と「書かれる者」の関係性は、曲がり角をまがり終えた。そして私たちは、その後を生きている。(このあたり詳しく知りたい方は、次の拙論をどうぞ。「「モデル小説」の黄昏──柳美里「石に泳ぐ魚」裁判とそれ以後」。全文以下で読めます)
hdl.handle.net
芸術家の作品の価値が、作品外の要素を排除して、それ単独で決まるというのは、ロマンチックな幻想に過ぎない。今、現実には作家自身についての毀誉褒貶や、批評軸や権力関係も含む外部的な要因で、その評価は決まっている。
その意味で、今回のKaoRiさんの告白と批判は、アラーキーにとって大きな打撃になって当然だし、それは現代の芸術空間の生態系として、当たり前の連鎖だと思う。
その上で言うとアラーキーの作品が真に偉大なら、関係者がほとんど死に絶えて、記憶が風化した後にも、彼の作品はまだ観衆を魅了し続けていると思う。芸術の偉大さがあるとすれば、時間の摩滅に耐えうるところにある。
島崎藤村の作品は、生き残った。彼は迷惑をかけ続けたトラブルメーカーだったし、もしかしたら死後75年を経てまだなお関係者で迷惑を被っている人が、いるのかもしれないが、ともかく彼の作品は読者を獲得し続けている。
アラーキーの作品は、生き残るだろうか。
卒園式の謝辞
T組のみんなにも聞いてもらいたいので、できるだけわかりやすくお話しします。
今日は雨が降ってしまってちょっと残念ですが、だんだんと暖かくなって春が近づいてくるなかで、こうして卒園式をみんなですることができるのは、とってもうれしいことです。すばらしい式を準備してくださった先生方に、まずはじめにありがとうございますと申し上げます。
T組のみんなは、6歳になるまで、C保育園で過ごしましたが、長い間、保育園に通ったなと思いますか。わたしは、この保育園に子どものTGと一緒に6年近くの間通いましたが、あっという間に時間がたったと感じます。
最初は、保育園に来る坂道を、だっこして上りました。
それから、ゆっくりと手をつないで、少しずつ一緒に歩いて上るようになりました。
最初はぜんぶひとりで歩けませんでした。
それからひとりで上るようになって、坂の途中の葉っぱや枝、自転車、書いてある字を一緒に見たり、触ったりするようになりました。
かたつむりを探したり、たんぽぽの綿毛を飛ばしたり、雪の玉をつくって投げたりしました。
今では、歩いている私を置き去りにして、TGは走って行ってしまって、私が「待ちなさい!」と言うようになりました。
思い出してみると、本当にあっという間です。
ここまで大きく、元気になったのは、園のために働いてくれているすべてのみなさんのおかげだと感謝しています。
成長したのは、子どもだけではないと思っています。私たち家族にとっては、はじめての子育てでした。あかちゃんを、小さい子どもを育てていくということが、どういうことなのか、わからないまま、迷いながら、不安に思いながら、やってきました。何度も、園の先生方には相談に乗ってもらいました。はげましてもらいました。今でもまだ、立派な親になったとは到底言えませんが、「親になる」ということの手助けをしていただいた。そう感謝しています。
お世話になったたくさんの先生方、園を代わられたり辞められたりした先生方にも、ありがとうございました。保健の先生方、給食の先生方、ありがとうございました。活動を支えてくださった教職員のみなさんにも、ほんとうにありがとうございました。
親の働く仕事場の近くに保育園があり、そこで温かいサポートが受けられるということは、ほんとうにありがたいことでした。それは親にとっても、子どもにとってもそうでした。
四月からT組のみんなは、小学校に進みます。心配もちょっとあるかもしれません。でも、大丈夫です。みんなはこのC園で、いろんなことができるようになりました。
はやく走れるようになりました。
絵も上手に書けるようになりました。
お話をしたり、聞いたりするのもじょうずになりました。
小学校に行っても、ぜったいに大丈夫です。
四月に小学生になったら、元気に学校に行って、学校で起こったおもしろかったこと、楽しかったこと、新しく見つけたことについて、おとうさんおかあさんや家族に聞かせてください。みんなの家族は、それをとっても、たのしみにしています。
長くなりました。このC園が、これからもますます元気で、笑顔にあふれた、安心できる園として、発展していきますことを願っております。今日は本当におめでとう。そして、ありがとうございました。
『〈自己表象〉の文学史』第三版、刊行されました
2002年の刊行以来ご好評をいただいている(自分で言うな)『〈自己表象〉の文学史――自分を書く小説の登場』の第三版が刊行されます。
第三版のポイントは、
- 私小説研究文献目録が最新の状況にアップデートされた
- ソフトカバーになった
- 定価が 2900円+税 に値下げになった
- 第三版あとがきがついた
であります。もうすぐ、書店店頭やネット書店で買えるようになると思います。
以下、書誌、第三版あとがきと、目次を掲げます。
書誌
発行日 2018年3月20日
発行所 翰林書房
ISBN 978-4-87737-420-4
総ページ 297頁
第三版あとがき
本書『〈自己表象〉の文学史――自分を書く小説の登場――』は、二〇〇二年に初版が刊行された。筑波大学に提出した私の課程博士論文を公刊したものであった。それから一五年が経過したことになる。
刊行時に、「自己表象」という言葉をめぐって、翰林書房の今井肇氏から、ややわかりにくいのではないかと再考を促されたことを思い出す。修士論文や博士論文の審査過程でも、先生方からいく度もこの言葉の意味の説明を求められた。当時、わずかな先例しか見い出すことのできなかった術語であり、ほぼ造語に近い感覚を与えるものだと自分でも認識していた。いま、この言葉は文学研究だけではなく、社会学や人類学、歴史学で時折見かける言葉となっている。もちろんそれは私のささやかなこの本の影響などではなく、「自己」を「表象」することをめぐる学術的な関心が、さまざまな領域において広がってきたということを示すものだろう。他者や周囲の環境に向かって、どのように自分自身の「現われ」を指し示すのか、その表象行為のなかにどのような戦略や駆け引きがあるのか、分野を問わず興味深い考察テーマでありえよう。
この一五年間の私小説研究の状況は、盛況とはいえなかったが、停滞していたわけでもなかった。法政大学の私小説研究会とそのメンバーたちの活動があり、他の研究者の著作も継続的に現れている。車谷長吉(惜しくも二〇一五年に亡くなったが)やリービ英雄、柳美里、佐伯一麦、西村賢太らの創作活動もある。詳しくは本書所収の私小説研究文献目録の増補分をご覧いただければ幸いである。
学術出版をめぐる厳しい環境の中、第三版を刊行して下さった翰林書房の今井肇氏、静江氏には心から御礼を申し上げたい。相談の上、この版からソフトカバーとし、定価も大幅に下げることとしている。私小説の歴史に関心を持つ少しでも多くの方に、手に取っていただければ幸いである。二〇一八年二月三日
目次
[目次]
序 章 〈私小説起源論〉をこえて
1 〈自分を書く〉ということ
2 先行する評価群の整理
3 〈私小説起源論〉の諸種
4 批判と超克第I部 〈自己表象〉の登場
第1章 メディアと読書慣習の変容
1-1 作品・作家情報・モデル情報の相関──明治三〇年代──
1 『新声』と新声社の活動
2 作家情報と作品の交差
3 題材/モデル情報と作品の交差
4 作家情報と題材/モデル情報1-2 「モデル問題」とメディア空間の変動──明治四〇年代──
1 「モデル問題」の射程
2 「モデル問題」の顛末
3 「モデル問題」のもたらしたもの第2章 小説ジャンルの境界変動
1 「自分を主人公として作つた」小説たち
2 〈身辺小説〉の流行と〈自己表象テクスト〉の登場
3 「蒲団」の読まれ方
4 小説ジャンルの境界変動
5 〈自己表象テクスト〉の出発第3章 〈文芸と人生〉論議と青年層の動向
1 〈文芸と人生〉論議の推移
2 青年たちの〈文芸と人生〉
3 「人生観上の自然主義」という思想
4 論議の行方第4章 〈自己〉を語る枠組み
4-1 〈自我実現説〉と中等修身科教育
1 〈自己〉への関心
2 〈自我実現説〉とは何か
3 中等修身科教育と〈自我実現説〉
4 〈自己〉を語る枠組みの形成
5 結び──〈自己〉・人格・芸術4-2 日露戦後の〈自己〉をめぐる言説
1 「二潮交錯」
2 〈自己〉論の三つの系統1 自己の文芸論
3 〈自己〉論の三つの系統2 自己の描写論
4 〈自己〉論の三つの系統3 自己の探求論
5 〈自己〉論の隆盛と〈自己表象テクスト〉第5章 小結──〈自己表象〉の誕生、その意味と機能
1 小結
2 〈自己表象〉の再評価へ向けて
3 〈自己表象〉の意味と機能第II部 〈自己表象〉と明治末の文化空間
第6章 自画像の問題系──東京美術学校『校友会月報』と卒業製作制度から──
1 自分を描く小説と絵画
2 東京美術学校西洋画科の卒業製作制度
3 絵画の読み方──作品と「人格」
4 〈自己〉への関心の広がり──校友会文学部と同時代の動向
5 〈自画像の時代〉へ第7章 帰国直後の永井荷風──「芸術家」像の形成──
1 ある〈肖像〉
2 読書の慣習と新帰朝者
3 『あめりか物語』から『ふらんす物語』へ
4 「歓楽の人」荷風第8章 〈翻訳〉とテクスト生成──舟木重雄「ゴオホの死」をめぐって──
1 〈ゴッホ神話〉の形成
2 〈神経衰弱小説〉の系譜
3 「ゴオホの死」における〈翻訳〉
4 結び──〈翻訳〉を拡張する初出一覧
あとがき
私小説研究文献目録
索引
「文化資源(コンテンツ)としての文学」横光利一文学会 第17回大会特集
17日(土)に以下の研究集会があります。私も登壇します。ご関心のある方は、ぜひ。
【告知】横光利一文学会 第17回大会
特集:文化資源(コンテンツ)としての文学
2018年 3月 17日(土) 12:30
日本近代文学館ホール
日比嘉高「文化資源となる文学、ならない文学――〝過疎の村〟で何ができるか」
芳賀祥子「「文豪」を愛するということ――女性読者による文豪キャラクターの受容」
大杉重男「『文豪とアルケミスト』に「転生」した「文豪」たち――「徳田秋声」と「横光利一」の比較から」
企画趣旨および各発表の要旨は、→ 横光利一文学会 「活動予定」でご覧になれます。
ディスカッサント 山岸郁子 / 司会 中沢弥
日比の発表要旨は以下のとおりです。
「資源(コンテンツ)」というキーワードを、ひとまず「文化資源」として捉え、考え始めてみる。文化資源を考えるためには、それを(1)資源化するプロセスとして考えること、(2)資源の価値と同時にそれを支える環境システムもあわせて考えること、(3)だれが何のために資源化するのかを考えること、が必要である。だが近代文学作品が「文化資源」と「なった」のだとしたら、それはいつから、なぜそうなったのか。「なった」作家・作品と「ならない」「まだ」の作家・作品があるならば、あるいは「なりやすい」それと「なりにくい」それがあるならば、それらを分けるものは何か。横光利一の場合は、どうか。
考察においては、「コンテンツ」という語自体も切り口となる。これは書籍・映像・音楽・ゲームなどの内容を指す語であり、情報サービス業の提供する提供物のことだ。この語の文芸領域への浸潤のプロセスに、現代の文化環境の変化が読めるはずだ。
「文化資源」言説は地域振興としばしば結託する。この図式を敷衍すれば純文学(とその研究)は過疎地域だという見立てが成立する。今回のシンポジウムは、さしずめ村おこしの会議イベントか。乗るか、背を向けるか。“過疎の村”で、何ができるか。