日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

彼女に求められているのは「国籍」ではなく「血」の証明ではないのか

民進党は終わっていくようだ。蓮舫氏に戸籍を示させ説明させるという判断がどれくらいマイノリティにとって攻撃的で、かつ潜在的な党支持層を離反させるものであるのか、それすらわからない状態なのだろう。

www.huffingtonpost.jp

蓮舫氏が今、行おう/行わされようとしているのは、「忠誠の誓い」だと思う。日本国に対する、「忠誠の誓い」。
それは、「国籍」の証明をもって行われるとされている。

だが、本当にそうだろうか。真に彼女が問い詰められようとしているのは「国籍」なのだろうか。

問い詰められようとしているのは「血」ではないのだろうか。

私たちは、日本国籍を取得した外国出身アスリートが、いつまでたっても「日本人」扱いされない国に住んでいる。私たちは、米国市民権を取った日本生まれの米国在住のノーベル賞科学者を、なお「日本人」だと思いたがる国に住んでいる。
私たちの社会は「血」こそが忠誠の証明だと、頑なに信じてはいないか。

「血」にこだわる社会は、マイノリティに牙を剥く。部落差別。民族差別。外国人差別。混血児差別。などなどなどなど。

疑いの目を向けられたものたちは、必死で自からの「潔白」を証明しなければならない。
「お前は日本人か?」
「はい、そうです、私は日本人です」
「お前は〈本当の〉日本人か?」
「はい、〈本当の〉日本人です」
「ほんとうにか?それをどうやって証明する?」

関東大震災の時、パニックが起きた。朝鮮の人々が井戸に毒を投げ込んだなどというデマが広がった。
自警団が結成され、道を通る人々を誰何した。お前は日本人か、と。

「十円五十銭と言ってみろ」

災害のパニックの中で、証明書はない。見た目もわからない。自警団は、「朝鮮訛りの日本語」で「証明」を行わせようとした。「ザジズゼゾ」が日本人のように発音できない人々が、多数、虐殺された。殺したのは、軍人でも警察官でもない。市井の、町の日本人である。

「血」にこだわる社会の不寛容さは、危険である。
それは疑いの目を向けられたものたちに、常に潔白の証明を求め、忠誠の誓いを立てさせ、愛国の赤誠を求め続ける。
それは「血」からそもそも外れた者たちの居場所を、あくまでもなくそうとする。

「日本人のあなた」は無関係だろうか?
だれが、どうやってあなたが「日本人」だと証明できる?
いつかどこかであなたに疑いの目が向けられた時、「十円五十銭と言って見ろ」と言われた時、あなたはあなたが「日本人」であると本当に証明できるだろうか。
 あなたはきちんと「ザジズゼゾ」と正確に、間違いなく、“日本人のように” 言えるだろうか?
 そのときは「十円五十銭」ではない、なにか別のことを聞かれるかもしれない。あなたはその「何か」にきちんと応えられるのだろうか?

聞かれているのは、「血」なのである。そしてその「血」は、DNA鑑定で決着が付くような科学的なシロモノではない。(DNA鑑定をしたら、「日本人たち」の血族的多様性が明らかになるだけである)
忠誠の証明を求めるためにでっちあげられる、曖昧模糊とした「血」。
あなたは、その「血」とやらを、示すことができるだろうか?

「血」の証明を求める社会にしてはいけない。
「血」の証明に対抗する思想は、「形式」による証明である。

国籍を取れば、日本人である。
税金を収めれば、納税者である。
免許を持てば、資格者である。

蓮舫氏はすでに現在「形式」を満たしている。
それ以上求める必要は、これっぽっちもない。
さもないと、蓮舫氏に向けられた「血祭り」の刃は、今にこちらを向くことになる。

「国民ファースト」の世界が、すぐそこで私たちを待っている。

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私もありがたく頂戴してきました。「2015年8月31日(木)までの期間限定」とあるけれど、2017年かな?


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ラインナップは以下。

二葉亭四迷樋口一葉
近代小説の嚆矢となった二葉亭四迷の「浮雲」「平凡」、哀しい宿命を背負う男女の姿を丹念に描き出した樋口一葉の「にごりえ」「たけくらべ」「十三夜」「うつせみ」他。

国木田独歩徳冨蘆花
独歩の代表作「武蔵野」「富岡先生」、蘆花の自伝的小説「黒い眼と茶色の目」、一高で行われた講演「謀叛論」他収録。

石川啄木高村光太郎宮澤賢治
石川啄木「一握の砂」「悲しき玩具」「あこがれ」「ローマ字日記」。高村光太郎「道程」「智恵子抄」「典型」。宮澤賢治春と修羅」「インドラの綱」「四又の百合」他。

4 泉 鏡花
代表作「高野聖」「歌行燈」「婦系図」はもちろん、観念小説と呼ばれた初期の短編「夜行巡査」「外科室」、今なお上演され続ける幻想的な戯曲「天守物語」他、全9作を収録。

北原白秋斎藤茂吉釈迢空
邪宗門(抄)」「思ひ出(抄)」「童謡」「桐の花」、斎藤茂吉「赤光(抄)」「あらたま(抄)」「念珠集(抄)」、釈迢空死者の書」「海やまのあひだ(抄)」他。

夏目漱石
江戸っ子の新米教師が四国の中学で引き起こす騒動を描いた「坊っちゃん」、明治の知識人のエゴイズムと孤独を描いた傑作「こころ」の他、「三四郎」「夢十夜」。

7 森鷗外
初期の代表作「舞姫」の他、「雁」「高瀬舟」「阿部一族」「山椒大夫」「青年」「ヰタ・セクスアリス」「うたかたの記」「興津弥五右衛門の遺書」「護持院原の敵討」を収録。

萩原朔太郎中原中也伊東静雄立原道造
萩原朔太郎「月に吠える」「青猫」。中原中也 「山羊の歌」「在りし日の歌」。伊藤静雄「わがひとに与ふる哀歌」「夏花」「反響」。立原道造「萱草に寄す」「暁と夕の詩」他。

佐藤春夫
代表作「田園の憂鬱」「殉情詩集」はもちろん、珠玉の少年文学「わんぱく時代」、画期的SF「のんしゃらん記録」、台湾を舞台にした傑作ミステリ「女誡扇綺譚」他を収録。

10 芥川龍之介

初期の代表作「羅生門」「鼻」「芋粥」、切支丹物の「奉教人の死」、開化物の「舞踏会」、未完の傑作「大導寺信輔の半生」、最晩年の「河童」「歯車」を含む32作収録。

11 横光利一
不安定な人間関係と心理の綾を「世人の語彙にはない言葉」(小林秀雄)で描いた「機械」、メロドラマ的題材を純文学の域に押し上げた長編「寝園」を含む計11編。

12 吉川英治
収録作品は、実在した幇間の数奇な人生を基にした長編「松のや露八」、柳生兄弟の確執を描いた短編「柳生月影抄」、作者が波乱万丈の少年期を回想した「忘れ残りの記」。

13 嘉村礒多梶井基次郎中島敦
嘉村礒多業苦」「崖の下」「途上」「神前結婚」。梶井基次郎檸檬」「城のある町にて」「桜の樹の下には」。中島敦「李陵」「山月記」「光と風と夢」「かめれおん日記」他。

14 室生犀星
初期の代表詩集「抒情小曲集」、実体験を基にした青春小説「性に眼覚める頃」、映画化もされた短編「あにいもうと」、後期の大傑作「かげろうの日記遺文」他。

15 尾崎士郎坂口安吾
尾崎士郎が描く壮大な人生ドラマの第一章「人生劇場 青春篇」、無頼派の代表的作家、坂口安吾の鬼才がほとばしる「風博士」「桜の森満開の下」「白痴」「堕落論」他。

16 島崎藤村
作者自身の分身である〈岸本捨吉〉を主人公に据えたほろ苦い青春小説「春」と「桜の実の熟する時」、代表詩で編まれた藤村詩抄、「千曲川のスケッチ(抄)」他。

17 堀辰雄
瑞々しい初期作品「不器用な天使」「ルウベンスの偽画」、作家として高い評価を得た「聖家族」、不朽の名作「風立ちぬ」、唯一の長編「菜穂子」他、全14作。

18 永井荷風
渡仏体験を基に綴られた「ふらんす物語」、自身の文学的立場を顧みた「花火」、江戸趣味に溢れる「すみだ川」「日和下駄」、円熟期の「濹東綺譚」「勲章」「踊子」他収録。

19 太宰治
自身のルーツを詳らかにした「津軽」、滅びゆくものの美しさと哀しさを見つめた傑作「斜陽」の他、「走れメロス」「富嶽百景」など太宰文学のエッセンスが詰まった11作品。

20 谷崎潤一郎
初期の「少年」「神童」「異端者の悲しみ」、中期の「吉野葛」「蘆刈」「春琴抄」、後期の「少将滋幹の母」「夢の浮橋」他、各時期の谷崎文学の神髄を示す計9作品を収録。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000343.000009949.html

嘉村礒多尾崎士郎以外は超大物鉄板キャノンやね。私は嘉村大好きだが。

しかしこの顔触れの中になぜ吉川英治…。謎

『連続討議 文系学部解体―大学の未来@横浜国立大学』

室井尚 編、内田樹吉見俊哉・ハヤシザキカズヒコ・三浦翔・日比嘉高増田聡・竹下典行・小林哲夫 著『連続討議 文系学部解体―大学の未来@横浜国立大学』読書人eBOOKS 004、読書人、2017年6月15日、電子出版

連続討議 文系学部解体―大学の未来@横浜国立大学

連続討議 文系学部解体―大学の未来@横浜国立大学

新刊の紹介です。

横浜国大で行った連続企画が本になりました。室井尚さんが企画編集。読書人eブック、電子出版です。

私は増田聡さんと一緒に、第4章を書いています。①分断に抗う、②文系学部がなぜ大事か、③教育の受益者とは、④文化構造を相続せよ、ということを言っています。

その他の章はこんな感じ。

第一回=内田樹「『文系学部解体』以降の日本の大学」
第二回=吉見俊哉「『文系学部解体』vs.『「文系学部廃止」の衝撃』
第三回=ハヤシザキカズヒコ・三浦翔「なぜ誰も声を上げないのか/なぜ伝わらないのか?―福岡教育大学問題から考える」
第四回=日比嘉高増田聡「大学はこのままでいいのか?――自由と多様性を求めて」
第五回=竹下典行・小林哲夫文部科学省との正しい付き合い方―こじれた関係を修復するために」

最近、政府の諮問委員会が地方国立大をさらに職業志向にするような内容の議論を行っています。日本の大学の力をこれ以上弱めてどうする、と思っています。

刊行記念イベントのお知らせ 津田大介×日比嘉高『「ポスト真実」の時代』

『「ポスト真実」の時代』出版記念&先行販売トークイベントをやります。

「シェア割」もあります。通常4000円のところ3000円(書籍代込み)となります。ツイッター、インスタ、FB、ブログなどで「#ポスト真実の時代」のハッシュタグをつけて本の感想をアップしてくれる方限定です。詳細は下記のページをご覧下さい。

ウェブでの中継も行われる予定です。詳細はこのページ、もしくはFacebookTwitterで続報します。

passmarket.yahoo.co.jp

近刊予告 『「ポスト真実」の時代―― 「信じたいウソ」が「事実」に勝る世界をどう生き抜くか』

津田大介さんとの共著で、『「ポスト真実」の時代―― 「信じたいウソ」が「事実」に勝る世界をどう生き抜くか』(祥伝社)という本を出します。

書店に並ぶのは7月2日頃の予定。現在、Amazonで予約受付中です(「ポスト真実」の時代 「信じたいウソ」が「事実」に勝る世界をどう生き抜くか)。

目次はこんな感じになりました。

はじめに(日比嘉高)
第1章 「ポスト真実Post-Truth」とは何か(日比嘉高)
第2章 日本におけるポスト真実(日比嘉高)
第3章 ポスト真実時代の情報とどう付き合うか?(日比嘉高)
コラム「イギリスEU離脱」「ピザゲート事件」「オバマ盗聴事件」「沖縄と『ニュース女子』問題」(津田大介)
第4章 ポスト真実時代の政治、メディアとジャーナリズム(津田大介)
第5章 対論 「ポスト真実」時代をどう生き抜くか(津田大介×日比嘉高)

ポスト真実」に関連する書籍や雑誌特集はいくつか出ていますが、この本には次の特徴があります。

  1. ポスト真実」「フェイクニュース」など関連するキーワードについてまとまった説明を加えている
  2. 主要な事件や出来事について、情報をまとめている
  3. ポスト真実」の時代を生み出した時代的・環境的背景を分析している
    1. ソーシャルメディアの影響」
    2. 「事実の軽視」
    3. 「感情の優越」
    4. 「分断の感覚」
  4. Brexitやトランプ政権の問題だけでなく、日本の状況の考察にも力を注いでいる
  5. で、結局どうすればいいか、なにができるか、について考えている

というわけで、

  • 時事的なキーワードが知りたい
  • ブレグジットとトランプを生み出した背景が知りたい
  • 日本が「ポスト真実」の時代ってどういうことだか知りたい
  • いくら何でも今、嘘がまかり通りすぎだろと思う
  • どうして嘘つきが横行するのか知りたい
  • このまま行くとどうなっちゃうの、この世界
  • それでどうしたらいいのか知りたい

という方にお勧めです。
ぜひ手に取ってみて下さい~


比喩からことばをひらく(講演)

先日、尾張地区の高校の国語の先生方向けの研修で、講演をしてきました。テーマはこちらにまかせて下さったので、以前からの持ちネタの一つである、比喩の話をしてきました。題は「比喩からことばをひらく」。

私の専門は日本文学・文化研究ですが、認知言語学の議論に前から興味があって、我流で勉強をしています。そのなかで、私が最初に一番興味を持ち、また今の仕事とか、前の職場(教育大の国語教員養成)で役に立ったものの一つが、認知意味論の比喩、とくにメタファー(隠喩)の話でした。

メタファー、たとえば「滝のような汗」のようなやつのことです。

学校教育だと、ふつう隠喩は「たとえを用いながらも、表現面にはそれ(「如し」「ようだ」等)を出さない方法。白髪を生じたことを「頭に霜を置く」という類」(広辞苑)みたいに説明すると思います。

しかし認知意味論的にいうと、メタファーというのは、写像関係・転写関係です。ソースになる領域についてのイメージ(滝)を、ターゲットになる領域(汗)に写像する。我々はこの認知プロセスによって、ものごとを、より簡単に・効率的に・生き生きと理解しているわけです。

それだけではない。認知意味論の主張によれば、メタファーの理解とはこうなります。

「メタファーというのは、ただ単に言語の、つまり言葉遣いの問題ではないということである。それどころか、筆者らは人間の思考過程(thought processes)の大部分がメタファーによって成り立っていると言いたいのである」
レイコフ&ジョンソン『レトリックと人生』7頁

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面白いですよねぇ。

それで、こんな感じの話をしながら、教科書の文章や、一般的な文章をもとに、比喩の前で立ち止まり、それをかみ砕いて味わってみよう!というような方向の話を、10年ぐらい前から、前任校時代の授業とか講演とかで話していました。

今回、久々に話すにあたって、これをちょっとだけバージョンアップしました。ネタもとは、鍋島弘治朗『メタファーと身体性』でした。この本、文学研究者にとっても超重要です。今年の後期、名古屋大大学院の私のゼミで取り上げますよ。

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この本の眼目は、メタファー理解に1990年代以降、いろんな分野で進行した身体(性)の議論を導入した点にあります。鍋島さんによる、メタファーの再定義はこうなります。

「「メタファーとは、現実とは異なるフレームの経験を想起し、その仮想的経験から生じた推論、知覚・運動イメージ、情動を現実に対応づける行為である。」
鍋島弘治朗『メタファーと身体性』ひつじ書房、2016年、89頁

私は単に、メタファーとは写像関係だとざっくり理解していましたが、「推論」「知覚・運動イメージ」「情動」が転写されると言われると、マジでうなります。例を出します。

「この前行った歯医者は、ほとんど拷問だった。」(日比・作)

リアルに想像すると、

ひー…。
ひー (>_<)

となりませんか。

なぜ、「ひー(>_<)」となるのか。それを解く鍵が、メタファーのもつ身体性にあります。写像のプロセスの中で、われわれは「推論」し「知覚・運動イメージ」を再現し、「情動」を喚起する。そしてそれらは、単に想像の中だけでなく、実際の身体・脳の反応として現れる、というわけです(鍋島さんはミラーニューロンなんかの話もされています)

たいていの人は、歯医者に行ったことがあるでしょう。あのベッド、そこから見上げるまぶしいライト、マスクと眼鏡をした歯科医、キュイーンという削る機械やら、唾液を吸い取るゴゴゴーというチューブやら、歯ぐきにブッ刺される注射針やら、なにやらかにやら、という音やら痛みやら匂いやら姿勢やら記憶やら、というのが私たちの身体/脳に埋まっています。歯医者に行くとはこういうこと、という一連の〈歯医者フレーム〉が、身体化されているわけです。

歯科治療を拷問で喩えた(歯医者さんすいません)上記のメタファーは、そうした〈歯医者フレーム〉を呼び起こします。拷問を受けたことのある人はほとんどいないでしょうが、そのイメージを持っているはずです。自由を奪われて、身体的あるいは精神的な痛みを一方的に与えられるというその拷問ついてのイメージや推論が、〈歯医者フレーム〉を喚起し、歯科医院における知覚やら運動イメージ、情動を呼び起こす、というのですね。

いやー、面白い!

という話をしてきました。鍋島さん、ありがとうございます。ご著書、宣伝しました。ちなみに前段では、高橋英光『言葉の仕組み――認知言語学の話』(北海道大学出版会2010年)を参照したのでした。高橋さんのも宣伝して来ました。(あ、わたしは鍋島さんとも高橋さんとも知り合いではないです)

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